Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2016/09/16

J・S・バッハについてクッツェーは

 15歳のときに偶然、隣家から流れてきたバッハの音楽に少年ジョン・クッツェーが凍りついた話が「古典とは何か?」(『世界文学論集』所収)に出てきたけれど、以来、クッツェーはJ・S・バッハの音楽をつねに身近に置いて暮らしてきた。『サマータイム』には、バッハにはまった少年が、テバルディ好きの父親と戦闘状態に入ったという、少年時代のエピソードも書かれていた。

 彼の最新作 The Schooldays of Jesus のなかに、ヨハン・セバスチャン・バッハの名前や彼の音楽理論のようなものが書き込まれているのを読んで、ふと思い出したことがある。2007年に出版された『厄年日記/Diary of a Bad Year』だ。
 この本は奇妙な構成で、全体が第一部「強烈な意見/Strong Opinions」、第二部「第二の日記/Second Diary」の二部からなり、さらに、その主文ともいえるオピニオンやダイアリーの下に、まるで楽譜のスコアのように下部パートが二つならんでいる。今回、思い出したのは、ポリフォニックな装いで小説仕立てにするためのそれら下部パートではなく、あくまで主文のほうだ。

 この本の「第二の日記」の最後から二番目に「 J・S・バッハについて/On J. S. Bach」という一文があったのだ。クッツェーが大バッハをどのように評価しているかを考えるよき道しるべになる文章と言えるだろう。

 試訳を少し引用しよう。
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 人生は良きものであり、それゆえに神はやはり存在するかもしれず、神がわれわれの幸福を望んでいることを証明する最良のものとして手元にあるのは、われわれ万人には、生まれたその日からヨハン・セバスチャン・バッハの音楽があたえられていることだ。それは贈り物として、労せずして、不相応にも、無償であたえられている。
                             
 一度でいいからあの人と、とうの昔に死んでしまった人ではあるが、話をしてみたいものだ!「見てください、二十一世紀のいまも、われわれはあなたの音楽を演奏し、その音楽に深い敬意を抱き、愛しつづけています。心を奪われ、感動し、力づけられ、楽しませてもらっています」とわたしは言うだろう。「全人類の名において、とても十分とはいえませんが、どうかこの賛辞を受け取ってください。そして、あなたが晩年に耐えた辛い歳月を、痛ましい目の手術も含めて、忘れ去ることができますように」

 なぜバッハなのか、なぜバッハだけに話しかけたいという願望をわたしは抱くのか? なぜシューベルトではないのか(酷い貧窮のなかで生きなければならなかったことを忘れることができますように)? なぜセルバンテスではないのか(無残にも手を失ったことを忘れることができますように)? ヨハン・セバスチャン・バッハとは、わたしにとって何者なのか? 彼の名をあげることで、生者と死者のなかから父なる人を選んでよいと言われて、自分は彼の名をあげているのだろうか? そういう意味で、精神的な父としてわたしは彼を選んでいるのか? そしてその口元に、初めて、かすかな微笑みをついに浮かばせたことで、わたしが償いたいと思うものとは、いったい何か? 生涯にわたり、わたしがかくも悪しき息子であったことだろうか?
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この最後のところが泣かせる。というか、『厄年日記』の2年後にあたる2009年に発表された『サマータイム』の息子と父親の関係に、まっすぐつながっていくところが要注意だ。
 考えて見ると、奇妙にもスペイン語が出てくるのは、この『厄年日記』からだった。72歳の書き手がスペイン語のフアンという名になり、セニョール・Cと呼ばれていたのだ。ここから「イエスの新シリーズ」は羽を生やして、飛び立ったのかもしれない。