Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2016/09/06

J・M・クッツェーの「晩年のスタイル」

 イギリスのガーディアン紙などで『イエスの学校時代The Schooldays of Jesus』が話題だ。先ごろ邦訳が出た『イエスの幼子時代The Childhood of Jesus』の続編で、いずれもJMクッツェーが70歳をすぎて発表した作品。まさに彼の「晩年のスタイル」と呼ぶにふさわしい内容であり、スタイルだ。テーマは「子育て」と「教育」、(これ以降は9.19に加筆)といってみてじつはこの本、「小さいけれど多くの重要な真実を含んだ作品で、ひとつの中心となるメッセージではなく」というガーディアンの評(Alex Preston)に深くうなずいてしまった。(加筆はここまで)

 ここで「晩年のスタイル」をめぐる作家自身の定義を確認しておこう。ポール・オースターとの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』(岩波書店刊)で、クッツェーはこんなふうに述べている。2009年10月14日付のポール・オースターへの手紙だ。

──晩年のスタイルというのはそもそも、僕にとってはシンプルかつ抑制のきいた、文飾を排した言語という理想と、生と死の問題まで包含する真に重要な諸問題への集中から出発する。もちろん、その出発点をひとたび超えたら、書くことそれ自体が優勢になり、書き手を導いていく。最後にできあがったものはおよそシンプルとは言いがたく、抑制とも無縁のものかもしれないが。
          
 この最後の「およそシンプルとは言いがたく、抑制とも無縁」というところで、考えてしまうのだ。このイエスの連作は、読者を煙にまくような謎めいた書き方をしているように見える。でも、じつに明らかなこともある。このシリーズを書いた動機だ。「自伝的要素を作品のなかに流し込んできた」作家が、76歳にしてこの連作を発表しければならなかった衝迫について考えることが、その手がかりになるだろう。

 彼は自伝的三部作の最終巻『サマータイム』(2009)を発表してすぐにこのシリーズに取りかかったと思われる。
 以前ここにも書いたけれど、2012年12月に南アフリカのヴィッツ大学から名誉博士号を授与され、その卒業式で行ったスピーチで会衆から一瞬どよめきが起きた。「小学校の教師になって幼い子供のそばにいること」を卒業生に薦めたのだ。大学院の男子卒業生に、である。「思春期前の幼い子供たちといっしょにいることは、きみたちにとって、きみたちの魂にとっていいのだ」と。原著『イエスの幼子時代』を発表する直前のスピーチである。

 このエピソードを考え合わせながら、一作目よりさらに摩訶不思議な(と表層的には思える)二作目を読むと、この作家が晩年にいたって何を最重要事項と考えてきたかが見えてくる。多出する、ヨハン・セバスチャン、アンナ・マグダレーナ、ドミートリー、アリョーシャといった有名な固有名詞がどこに由来するのかは、クッツェーの読書歴と音楽の好みについて調べればすぐにわかる。アンナ・マグダレーナはヨハン・セバスチャン・バッハの二人目の奥さんの名前。ドミートリーやアリョーシャは、もちろん、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』である。ダビードが入る寄宿制のダンス学校を経営する一家「アロヨ」はスペイン語で「小川」、ドイツ語の「バッハ」なのだ。

 ちりばめられた固有名詞の向こうに広がる文学史上の濃厚なイメージと、それをつなぐ太い糸と、物語をあやつる細い糸との絡まり。これはもうほとんど謎解きの様相を帯びてくる。しかし、それを超えて、シモンがダビードの保護者として自問し、苦悩し、ときには堪えきれずに大泣きまでして、ひたすら努力する姿は、いささか滑稽ながら、やはり胸を打つ。この作品を晩年にクッツェーという作家に書かせたものは、どうやら、決定的なある体験に端を発しているといえるだろう。

 それにしても、シモンという人物の理論中心の思考やことばで綴られるモノクロのシーンに、デモーニッシュで激情的なドミートリーという人物が登場するや、物語全体がフルカラーになるところがなんとも面白い。