「神奈川大学評論 76号──特集:アフリカの光と影」(11月末発売予定)に「複数のアフリカ、あるいはアフリカ"出身"の作家たち」という文章を載せ、三つの短編とエッセイを紹介、と書きました。
一つ目が、J・M・クッツェーの「ニートフェルローレン」。
そして二つ目が、2011年のケイン賞受賞作、ノヴァイオレット・ブラワヨの「ブダペストやっつけに/Hitting Budapest」です。(hit は「めざす」という意味ですが、この作品に登場する子供たちが、なんのためにブダペストという場所をめざすか、ブダペストがどんな場所か、を考えて、あえて「やっつける」としました。)
ジンバブエ出身の1981年生まれの作家、ノヴァイオレット・ブラワヨが初めての小説『あたしたち、新しい名前が要る/We Need New Names』で、今年のマン・ブッカー賞のファイナルリストに残り、話題をさらったことは記憶に新しいところですが、じつはこの初小説の第一章にかなり書き換えられた「ブタペストやっつけに」が入っています。(私が訳出したのは、ケイン賞受賞作の短編のほうです。)
文体がとっても、とっても特徴があって、あのね、あたし、〜〜なんだよね、それから、それから、〜〜じゃないからね、というふうなおしゃべり文体で、ローティーンの子供たちの目と耳と口と皮膚感覚を全開にして、そして思考を総動員して生きていこうとするようすが伝わってきます。しかし、そこに描かれるジンバブエという国の出来事は、その歴史を含めて、途方もなく苛烈。
目の前で起きる理不尽な出来事に大人の価値観で意味づけせず、とにかくまっすぐに、彼らならこう考えるだろうな、こうするだろうな、といった位置から物事が見つめられています。子供の心に秘められた根拠のない憧れや希望、どうしようもない悔しさや痛みもふんだんに書き込まれ、生き延びるために幼いうちから否応なく鍛えられる生活力をもありありと描き出していく筆力、したたかな作品です。大人たちのやっていることを見る、子供たちの情け容赦ない視線やことばが、読んでいてホントに痛い。
とりわけ、早い章(第6章)で明かされる、なぜ、どういうときに「あたしたちに」新しい名前が必要になるか、これはもう胃の腑がきりきりするほど。心身ともにシーンとなります。でも悲壮感というのが不思議とない。そこがうまい。言語や民族や、もちろん国境も突き抜けている。
そして中盤以降は、おばさんを頼りにアメリカに渡った主人公ダーリンが経験する、ミシガン州デトロイトとカラマズーでの「アメリカン・ライフ」。ナイジェリアとアメリカのあいだで書いてきたのが1977年生まれのアディーチェ、ジンバブエとアメリカのあいだで書いているのが1981年生まれのブラワヨ。共通点はたくさんあるけれど、個別に見ると随分ちがう。
「アメリカのなかのアフリカ人移民」とひとくくりにはできないほど、アメリカのなかのアフリカ人そのものの多様性が具体的に、細部まで、ようやく書かれるようになったことが理解できます。考えたら、当たり前。これは、アメリカ社会のなかに暮らす日本人と、中国人と、韓国人が違うのとおなじことですから。
ジンバブエはかつて、南部アフリカを植民地化したヨーロッパ勢力の象徴的存在、セシル・ローズの名にちなんで「ローデシア」と呼ばれた国。わたしが初めてアフリカ大陸に足を踏み入れたのは1989年1月、このジンバブエでした。当時は、長い独立戦争を戦って黒人政権を打ち立てて9年、もうすぐ独立10周年、南部アフリカの星といわれていました。
***つづく***
一つ目が、J・M・クッツェーの「ニートフェルローレン」。
そして二つ目が、2011年のケイン賞受賞作、ノヴァイオレット・ブラワヨの「ブダペストやっつけに/Hitting Budapest」です。(hit は「めざす」という意味ですが、この作品に登場する子供たちが、なんのためにブダペストという場所をめざすか、ブダペストがどんな場所か、を考えて、あえて「やっつける」としました。)
ジンバブエ出身の1981年生まれの作家、ノヴァイオレット・ブラワヨが初めての小説『あたしたち、新しい名前が要る/We Need New Names』で、今年のマン・ブッカー賞のファイナルリストに残り、話題をさらったことは記憶に新しいところですが、じつはこの初小説の第一章にかなり書き換えられた「ブタペストやっつけに」が入っています。(私が訳出したのは、ケイン賞受賞作の短編のほうです。)
文体がとっても、とっても特徴があって、あのね、あたし、〜〜なんだよね、それから、それから、〜〜じゃないからね、というふうなおしゃべり文体で、ローティーンの子供たちの目と耳と口と皮膚感覚を全開にして、そして思考を総動員して生きていこうとするようすが伝わってきます。しかし、そこに描かれるジンバブエという国の出来事は、その歴史を含めて、途方もなく苛烈。
目の前で起きる理不尽な出来事に大人の価値観で意味づけせず、とにかくまっすぐに、彼らならこう考えるだろうな、こうするだろうな、といった位置から物事が見つめられています。子供の心に秘められた根拠のない憧れや希望、どうしようもない悔しさや痛みもふんだんに書き込まれ、生き延びるために幼いうちから否応なく鍛えられる生活力をもありありと描き出していく筆力、したたかな作品です。大人たちのやっていることを見る、子供たちの情け容赦ない視線やことばが、読んでいてホントに痛い。
とりわけ、早い章(第6章)で明かされる、なぜ、どういうときに「あたしたちに」新しい名前が必要になるか、これはもう胃の腑がきりきりするほど。心身ともにシーンとなります。でも悲壮感というのが不思議とない。そこがうまい。言語や民族や、もちろん国境も突き抜けている。
そして中盤以降は、おばさんを頼りにアメリカに渡った主人公ダーリンが経験する、ミシガン州デトロイトとカラマズーでの「アメリカン・ライフ」。ナイジェリアとアメリカのあいだで書いてきたのが1977年生まれのアディーチェ、ジンバブエとアメリカのあいだで書いているのが1981年生まれのブラワヨ。共通点はたくさんあるけれど、個別に見ると随分ちがう。
「アメリカのなかのアフリカ人移民」とひとくくりにはできないほど、アメリカのなかのアフリカ人そのものの多様性が具体的に、細部まで、ようやく書かれるようになったことが理解できます。考えたら、当たり前。これは、アメリカ社会のなかに暮らす日本人と、中国人と、韓国人が違うのとおなじことですから。
ジンバブエはかつて、南部アフリカを植民地化したヨーロッパ勢力の象徴的存在、セシル・ローズの名にちなんで「ローデシア」と呼ばれた国。わたしが初めてアフリカ大陸に足を踏み入れたのは1989年1月、このジンバブエでした。当時は、長い独立戦争を戦って黒人政権を打ち立てて9年、もうすぐ独立10周年、南部アフリカの星といわれていました。
***つづく***