Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2011/10/22

雨とともに心にしみる歌、声

昨夜から、いい雨がふる。今朝もやまない。心にしみる雨がふる、ふる、ふる。

 3.11以降、音楽が、歌が聴けなかった。聴く気持ちになれないから、遠ざけてきた。
 がんばっている間は、やわらかなもの、やさしいもの、心なごむものを遠目にしながら、手を伸ばしたいと思いながら、なんとなく、無意識に、距離を置いてきた。自分にそういうものを許してはいけな、まだ、いけない、と思っていた、どうもそうらしい。

 なにかに対して身構える、なにかに対して抗う、その姿勢を貫くために、心の筋肉に力をこめて、まいにち、まいにち。でも。一月ほど前から心がふさぐ。渇いてきた。気持ちが上へ向いて行かない。努力が足りない、と自分を叱咤する。友人も、知人も、東奔西走でがんばってるじゃないか。もっと「困っている人」はたくさんいるじゃないか。そう自分に言い聞かせてきた。でも、それも限界。

 今朝、ある人のfacebook への書き込みを見て、あふれるような感情におそわれる。

 セザリア・エヴォラの「Mar Azul」をかける。セザリアの原点ともいえる(と勝手にわたしが思っている)アルバム。カーヴォ・ベルデの青い、青い海と空。
 昨夜、小樽旅行から帰ってきた娘たちが見せてくれた写真、そこに映っていた風景が思い出される。閑散とした埠頭にウミネコが一羽、あとはただ、なにも遮ることのない海と空の透き通った青さ、目が痛いほどの青。涙があふれそうになる。
 泣いてもいいのだ、と歌はひそかに囁いてくれる。泣いてもいいのだ、甦るために。ふたたび力を取りもどすために。