Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2011/08/07

ジュノ・ディアス、ふたたび

やっぱり書いておこうかな。ま、いっか、と時間切れになるまで放っておかないで、やっぱり書いておこう! 
 
 わたしが聴きにいったのは8月4日のシンポだったけれど、その前日、渋谷の青山ブックセンターで訳者のひとりである都甲幸治さんとのトークがあった。そのときディアスさんが語ったことのひとつに、作品に登場する女性と男性の書き方についてというのがあったらしい。

 ネット上のことばを引用すると「女性作家が描く男性はとても的確だが、男性作家が描く女性は総じてひどい、これは全世界共通」。この話、おおいにうけたとか。やっぱり!

 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』の原稿を女友だち5人に読んでもらって、半数以上からオーケーをもらうまで書き直したというのも凄い。あの作品は長い年月をかけて、周到な準備のもとに、きわめて意識的な書き方で書いたのだ。作品内にミソジニー(女嫌い)が欠片も感じられないわけだ。

 ジャンク・カルチャーを「本当のこと」を書き込む器として使いこなした点もさることながら(あらぬバッシングを避けるためだろう)、女性を描くときのこの作家の態度は、まったく新しいアメリカ文学の書き手が登場したといっても過言ではないように思う。

 もう一度書いておこう、これは特筆にあたいすると。なんともお寒い日本の現実のなかで奮闘している作家たちにとって、これは大きな励ましになるだろうな。Viva, Junot!!!