これまで何冊か南アフリカ出身の詩人、作家の作品を訳してきたけれど、最初に出たのは、J・M・クッツェーの『マイケル・K』で、1989年のことだった。
80年代はまだワープロが主流だった。PCによる通信もはじまったばかりで、現在のようなインターネットの繁栄は、当時の一般の人間にしてみれば、ほとんど想像がつかなかった。
南アフリカからの情報も、いまでこそワールドカップの試合のようすを、ネットで刻一刻と追いかけたり、コメントを書き込んだり、と相互に交信できるようになったが、80年代後半は、定期購読している南アの新聞も、いつ届くのやら、発行時期順に届くことさえまれだった。
いまは「メール&ガーディアン」という紙名になったその新聞、当時は「ウィークリーメール」という週刊新聞で、アパルトヘイト体制下の検閲制度によって、頻繁に発禁処分になったり、記事がバンされてその箇所が真っ黒に塗られて発行されたりしたものだった。
紙面にならぶ英語がまた一筋縄でいかず、骨が折れた。南アフリカ特有の英語なのだ。
当時すでにブッカー賞やらなにやら国際的に高い評価を受けていたクッツェーの文章は、さすがに、じつにすっきりした文体で、「南ア特有の」という感じは「一見」ほとんど感じられなかった。だれもが指摘するように、削りに削った無駄のない、無機的なとまでいわれる端正な文章だった。しかし、である。やはり、南アだあ〜、と思わせることば使いがあちこちに隠れていた。
主人公マイケルが自力で育てたカボチャを、ついに収穫して、ナイフを入れ、網で焼くシーンがある。作品中もっとも美しい場面だ。
「やがて、十分に熟れた最初のカボチャを切る夕べがやってきた。それは畑のまんなかで、ほかの実よりも一足早く生長していた。・・・(中略)・・・外皮は柔らかく、ナイフはすっと深く入った。果肉は、縁のところがまだ緑色を残していたが、濃いオレンジ色だ。作っておいた焼き網の上にカボチャの薄切りを並べ、炭火で焙った。暗くなるにつれて火はいっそう明々と燃えた」(ちくま文庫版、p166)
最後の「炭火」、これは「coals」の訳。英語の辞書には真っ先に「石炭」という訳が出てくるが、「南アフリカの英語辞典/A Dictionary of South African English」(Oxford Univ. Press, Cape Town, 1991)には、はっきりと「炭火」とあって、それ以外の意味は出てこない。
ジョハネスバーグ近郊のタウンシップ、ソウェトの煮炊きでは石炭が使われ、朝夕の空は煤煙でおおわれる、という情報に引っ張られて、そうか南アは石炭の産地なんだ、と最初の訳では、悩んだ末に「石炭」と訳した。
それから2年後に出た件の辞書には「The glowing or white-ashed embers of a wood or charcoal fire used for braaiing」とある。まさに「炭火」である。braai(ing)/ブラーイ というのはアフリカーンス語で南アの農場料理、肉やブルボース(渦巻き形のブラッドソーセージ)を網で焼くバーベキューのことだ。
しかし、考えてみるべきだった。マイケルはマッチで火を点けるのだ。石炭はマッチごときでは火は点かない。新聞紙をしぼるようにひねり、その上に細く割った薪をのせ、さらにそこに拳大の石炭をのせて、それから火を点ける。石炭は燃え出すまでにひどく時間がかかるのだ。北海道では60年代半ばまで、冬の暖房の主力は石炭だった。思い出すべきだった。
いまならネット検索であっけなく情報に行き着くことも可能だし、メールで確認だってできる。当時は、そうはいかなかった。件の辞書も手元になかった。だから、全面改訳して2006年に文庫化できたときは、ほっとした。間違いに気づいていて、それを訂正できないもどかしさ。長いあいだの宿題がはたせたのは、本当にうれしかった。
80年代はまだワープロが主流だった。PCによる通信もはじまったばかりで、現在のようなインターネットの繁栄は、当時の一般の人間にしてみれば、ほとんど想像がつかなかった。
南アフリカからの情報も、いまでこそワールドカップの試合のようすを、ネットで刻一刻と追いかけたり、コメントを書き込んだり、と相互に交信できるようになったが、80年代後半は、定期購読している南アの新聞も、いつ届くのやら、発行時期順に届くことさえまれだった。
いまは「メール&ガーディアン」という紙名になったその新聞、当時は「ウィークリーメール」という週刊新聞で、アパルトヘイト体制下の検閲制度によって、頻繁に発禁処分になったり、記事がバンされてその箇所が真っ黒に塗られて発行されたりしたものだった。
紙面にならぶ英語がまた一筋縄でいかず、骨が折れた。南アフリカ特有の英語なのだ。
当時すでにブッカー賞やらなにやら国際的に高い評価を受けていたクッツェーの文章は、さすがに、じつにすっきりした文体で、「南ア特有の」という感じは「一見」ほとんど感じられなかった。だれもが指摘するように、削りに削った無駄のない、無機的なとまでいわれる端正な文章だった。しかし、である。やはり、南アだあ〜、と思わせることば使いがあちこちに隠れていた。
主人公マイケルが自力で育てたカボチャを、ついに収穫して、ナイフを入れ、網で焼くシーンがある。作品中もっとも美しい場面だ。
「やがて、十分に熟れた最初のカボチャを切る夕べがやってきた。それは畑のまんなかで、ほかの実よりも一足早く生長していた。・・・(中略)・・・外皮は柔らかく、ナイフはすっと深く入った。果肉は、縁のところがまだ緑色を残していたが、濃いオレンジ色だ。作っておいた焼き網の上にカボチャの薄切りを並べ、炭火で焙った。暗くなるにつれて火はいっそう明々と燃えた」(ちくま文庫版、p166)
最後の「炭火」、これは「coals」の訳。英語の辞書には真っ先に「石炭」という訳が出てくるが、「南アフリカの英語辞典/A Dictionary of South African English」(Oxford Univ. Press, Cape Town, 1991)には、はっきりと「炭火」とあって、それ以外の意味は出てこない。
ジョハネスバーグ近郊のタウンシップ、ソウェトの煮炊きでは石炭が使われ、朝夕の空は煤煙でおおわれる、という情報に引っ張られて、そうか南アは石炭の産地なんだ、と最初の訳では、悩んだ末に「石炭」と訳した。
それから2年後に出た件の辞書には「The glowing or white-ashed embers of a wood or charcoal fire used for braaiing」とある。まさに「炭火」である。braai(ing)/ブラーイ というのはアフリカーンス語で南アの農場料理、肉やブルボース(渦巻き形のブラッドソーセージ)を網で焼くバーベキューのことだ。
しかし、考えてみるべきだった。マイケルはマッチで火を点けるのだ。石炭はマッチごときでは火は点かない。新聞紙をしぼるようにひねり、その上に細く割った薪をのせ、さらにそこに拳大の石炭をのせて、それから火を点ける。石炭は燃え出すまでにひどく時間がかかるのだ。北海道では60年代半ばまで、冬の暖房の主力は石炭だった。思い出すべきだった。
いまならネット検索であっけなく情報に行き着くことも可能だし、メールで確認だってできる。当時は、そうはいかなかった。件の辞書も手元になかった。だから、全面改訳して2006年に文庫化できたときは、ほっとした。間違いに気づいていて、それを訂正できないもどかしさ。長いあいだの宿題がはたせたのは、本当にうれしかった。