ずっと気になっていたことがある。ある歌詞の一行。
10年ほど前に『立ったまま埋めてくれ』(青土社刊)という本を訳した。ロマ民族(ジプシー)をルポしたイザベル・フォンセーカの名著だ。そのプロローグ「パプーシャの口からこぼれた歌」のなかに、つぎようのような歌詞が出てくる。
おお、いったい、どこへ行けばいいの?
わたしに、なにができるというの?
物語や歌は
どこで見つければいいの?
わたしは、森へは行かない。
そこでは川と出会えないから。
おお、森よ、わたしの父よ、
わたしの、黒い父よ!
パプーシャ(本名ブロニスワヴァ・ヴァイス、1910-87)はポルスカ・ロムだった。クンパニア(キャラバン)を率いて旅をしていたポーランド・ジプシーの女性だ。この歌詞は、彼女の才能にいちはやく目をつけた詩人、イェジ・フィツォフスキによって、当時のポーランド社会主義政権の徹底した同化政策の手がかりとして「表」に出されたロマの歌のひとつである。
ずっと気になっていたのは「わたしは、森へは行かない」というところだ。訳しながら、どこかで聞いたような歌詞だなあ、と思ったのだ。記憶の奥にずっとしまいこまれたなにかと響きあうフレーズ。
パプーシャはまた、こんなふうにも歌う。
森と川のほかは、
だれもわたしをわっかってくれない。
歌にしてきた森と川の物語は、
みんな、みんな死んでしまった。
なにもかも、それといっしょに行ってしまった…
そして青春の日々もまた。
先日、思いたって埃だらけの一枚のLPをターンテーブルにのせてみた。針を落とすとこんな歌詞が流れ出てきた。
わたしの青春が逃げていく
一篇の詩といっしょに
ひとつの韻からもうひとつの韻へ
腕をぶらつかせながら
わたしの青春が
枯れた泉の方へ逃げていく
そして柳を切る人たちが
わたしの20歳を刈り取っていく
わたしたちはもう、森へなんか行かない
詩人の歌
安っぽいルフラン
へたな詩句
みんなで歌ったっけ
パーティーで出会った男の子を
思い浮かべながら
もう名前さえおぼえていない子
もう名前さえおぼえていない
1967年にリリースされたフランソワーズ・アルディのアルバムに入っていた「Ma Jeunesse Fout le Camp/わたしの青春が逃げていく」という曲である。(つづく)