2008/06/04

もう森へなんか行かない──(1)

 ずっと気になっていたことがある。ある歌詞の一行。
 10年ほど前に『立ったまま埋めてくれ』(青土社刊)という本を訳した。ロマ民族(ジプシー)をルポしたイザベル・フォンセーカの名著だ。そのプロローグ「パプーシャの口からこぼれた歌」のなかに、つぎようのような歌詞が出てくる。

  おお、いったい、どこへ行けばいいの?
  わたしに、なにができるというの?
  物語や歌は
  どこで見つければいいの?
  わたしは、森へは行かない。
  そこでは川と出会えないから。
  おお、森よ、わたしの父よ、
  わたしの、黒い父よ!

 パプーシャ(本名ブロニスワヴァ・ヴァイス、1910-87)はポルスカ・ロムだった。クンパニア(キャラバン)を率いて旅をしていたポーランド・ジプシーの女性だ。この歌詞は、彼女の才能にいちはやく目をつけた詩人、イェジ・フィツォフスキによって、当時のポーランド社会主義政権の徹底した同化政策の手がかりとして「表」に出されたロマの歌のひとつである。
 ずっと気になっていたのは「わたしは、森へは行かない」というところだ。訳しながら、どこかで聞いたような歌詞だなあ、と思ったのだ。記憶の奥にずっとしまいこまれたなにかと響きあうフレーズ。

 パプーシャはまた、こんなふうにも歌う。

  森と川のほかは、
  だれもわたしをわっかってくれない。
  歌にしてきた森と川の物語は、
  みんな、みんな死んでしまった。
  なにもかも、それといっしょに行ってしまった… 
  そして青春の日々もまた。

 先日、思いたって埃だらけの一枚のLPをターンテーブルにのせてみた。針を落とすとこんな歌詞が流れ出てきた。

  わたしの青春が逃げていく
  一篇の詩といっしょに
  ひとつの韻からもうひとつの韻へ
  腕をぶらつかせながら
  わたしの青春が
  枯れた泉の方へ逃げていく
  そして柳を切る人たちが
  わたしの20歳を刈り取っていく
  
  わたしたちはもう、森へなんか行かない
  詩人の歌
  安っぽいルフラン
  へたな詩句
  みんなで歌ったっけ
  パーティーで出会った男の子を
  思い浮かべながら
  もう名前さえおぼえていない子
  もう名前さえおぼえていない
 
 1967年にリリースされたフランソワーズ・アルディのアルバムに入っていた「Ma Jeunesse Fout le Camp/わたしの青春が逃げていく」という曲である。(つづく)