『鉄の時代』が発表された1990年は、南アフリカにとってはとても重要な年である。アパルトヘイト体制がはっきりと崩れていく、激動の年だったからだ。兆しはすでに前年にあらわれていた。89年1月中旬に当時のボタ大統領が脳溢血で倒れ(このニュースをわたしは、ジンバブエの首都のホテルの部屋にいて偶然つけたテレビで知った)、その後デクラークが大統領になって、10月にウォルター・シスルーをはじめとする7人の政治囚が解放され、いやがうえにも期待感はたかまっていった。翌90年2月2日にそれまで非合法だった解放組織が合法化され、ネルソン・マンデラが27年におよぶ拘禁ののち、同月11日に解放されて、人びとを苦しめつづけたアパルトヘイト体制が崩壊するという予感と、その興奮は頂点に達した。
『鉄の時代』が書かれた86年から89年(作品末尾には、この作家にはめずらしく「1986─89」と記されている)という時期は、再度発動された非常事態宣言のもとで、一連の激変へいたる事実が着々と準備されていった時期とほぼ重なる。扉をめくると、作家がこの作品をささげた人たち(両親と息子)のイニシャルと生没年が刻まれている。こういったことからも『鉄の時代』という作品が、この作家にとって、特別の意味を含みもつ作品であることが推察できる。
カフェでの会見は、沈黙とことばが拮抗する濃密な時間だった。わたしはほかにもいくつかの小道具を持参した。寡黙な作家との会話が行き詰まったときのための、話のネタである。まずは自分自身の三人称で書かれたバイオグラフィー。そこに並んだマジシ・クネーネの名前を見て、彼は質問してきた。「クネーネの叙事詩はズールー語から訳したのですか?」(答「いいえ、英語からです」)「彼が亡くなったのは知っていますか?」(答「ええ、8月にメール&ガーディアンの記事で知りました」)
ベッシー・ヘッド、マリーズ・コンデ、エドウィージ・ダンティカといった名前に、「アフリカ系の作家が多いですね」と述べたあと、話はアフリカ出身の若手作家のことになった。翻訳中のナイジェリア出身の若手作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの名前を見て、「この作家のことはよく知っていますよ」といった。それもそのはず、アディーチェが短編「半分のぼった黄色い大陽」で受賞したPEN/デイヴィッド・T・K・ウォン賞の審査員の1人は、ほかならぬクッツェー氏だったのだ。それから何かいいたそうに、しかし、いいだせないような、どこかいぶかし気な表情を見せた。ああ、そうか、とわたしは察した。近刊と書かれたアディーチェ短編集「Collected Stories」(註/2007年9月に『アメリカにいる、きみ』として刊行)にはオリジナルがないのだ。「短編集はまだ英語版は出ていません。わたしが作品を選び、編集し、それについて著者から許諾をえました」というと、彼はホッとした表情を見せながら、大きくうなずき「彼女の第一小説の名前は、ええと…」と口ごもった。ほぼ同時に思い出した両者の声が、ユニゾンであたりに響いた。
「パープル・ハイビスカス!」(つづく)☆☆☆
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付記:MWENGE no.37に載せた文章に加筆したものです。