E. Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2007/10/29

わたしの好きな本(1)『ハーレムの少女 ファティマ』


 ときどきこんな書評コラムもアップします。これまで書いたものが中心ですが、ずいぶんむかしのものも顔を見せます。へえ〜、そんな本があるんだ、と新鮮な気持ちで読んでくれる方がいることを願って…!
 まず第1回はファティマ・メルニーシー著/ラトクリフ川政祥子訳『ハーレムの少女 ファティマ』(未来社、1998年刊)。
 9年前に出たものですが、この本の中身はいまもって新しい!
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 モロッコの古都フェズを舞台にした、8歳の少女の目で見た女たちの日常生活の物語。そう書くと、なんとなくわかったような気になるかもしれない。
 でも、読み進むうちに、そんな思い込みは子気味よく裏切られる。
 むしろ、読み手である私たちのなかには、いまだにイスラム世界の内側、ベールに隠された暮らし、といったステロタイプなイメージとして、彼女たちを「未知の世界」に閉じ込めておきたい欲望が、意識されないまま眠っているのではないか。この本を読んでから、私はそんな疑問にとらわれている。
 過去百年にわたって、西欧キリスト教世界を通して見た世界観を否応なく学ばされてきた日本人にとって、これは新鮮な驚きや発見が随所にちりばめられている本だ。
「ハーレム」ということばひとつとっても、私たちが抱いているのは「権力を握った一人の男が多くの女性を囲っている後宮」といったイメージだけれど、そんな思い込みはさらりとくつがえされる。
 イスラム世界では、決しておろそかにされてはならないフドゥード(神聖な境界線)によって、多くの不自由を余儀なくされながらも、女たちは束縛の裏をかく術をみごとに発達させ、したたかに、賢明に生きてきたこと、そして、いまも生きていることが、少女の目を通して活写されていくのだ。
 なかでも私を爽快な思いにさせてくれたのは、主人公ファティマの母方の祖母、農場に住むヤースミーナだ。町中に住む女たちよりもずっと行動範囲が広くて、馬を乗りまわしたり、自然のなかで生き生きと暮らす場面が、じつに印象的。とりわけ、大勢の女たちが川べりで、競争しながら皿や鍋を洗う場面は圧巻。
 著者、ファティマ・メルニーシーは1940年生まれの、著名な社会学者で、モロッコ、フランス、アメリカで学び、海外で初めて博士号を取得したモロッコ女性だという。目からウロコの好著。
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付記:1998年10月初旬、共同通信社が配信したものに加筆しました。
(2001年9月以降、イスラム世界の情報はぐんと増えましたが、ごくふつうの人びとの暮らしが見えるものは、どうなのかしら?)