2007/10/15

クッツェーの微笑み、あるいはテキストの落とし穴(1)

今日から5回に分けて、J・M・クッツェー氏との会見記を掲載します。(MWENGE no.37に載せた文章に加筆したものです。)
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 テーブルのうえの白い紅茶ポットにむかって腕がすうっと伸びてきて、人差し指が、ポットの横の砂時計をピンとはじいた。中央が大きくくびれた透明なガラス容器のなかで、ショッキングピンクの砂が音もなく落ちている。「何分か待たなければなりませんね」そういって、その人はふっと表情をゆるめた。
 初対面のはりつめた緊張感に、雰囲気を少しでもなごませるためだったのだろうか。それとも、かつてはまちがいなく、とびきり凝り性の工作少年だった人が、この種の機器を目にするとき、思わず見せる仕草だったのだろうか。明るい光にみちたカフェで、そんなふうに会話は始まり、時間は夢のようにすぎていった。
 
 2006年9月29日、約束どおり午前11時きっかりに、ホテルのロビーに痩身のシルエットが浮かんだ。早稲田大学で開催される「サミュエル・ベケット生誕百周年シンポジウム」の特別ゲストとして招かれ、前夜、成田に到着したばかりのJ・M・クッツェー氏は、ざっくりしたチャコールグレーの上着にボタンダウンの白いシャツ、ノーネクタイという出で立ちであらわれた。隅の椅子に腰かけていたわたしが立ちあがると、彼は急ぎ足で近づいてきた。初めて聞く声は少しかすれ気味で、翌日の2時間あまりの講演のときも、その声はやっぱり少しかすれていた。
 床から天井までガラス張りになった中庭にむかって、ゆったりとした椅子に腰を降ろし、彼はオレンジジュースを注文した。紅茶を注文したのはわたしだ。ベジタリアンの彼はアルコール類を飲まないばかりか、紅茶や珈琲といった嗜好品も摂らない、というのはあとから聞いた話で、そのときは「ヴィーガン(動物性の食品はいっさい食べないベジタリアン)ですか?」という問いに「いいえ、ただのベジタリアンです。乳製品で栄養を摂りますから」と彼は答えた。

 メールのやりとりが始まったのは、拙訳『マイケル・K』(ちくま文庫)の全面改訳版のゲラ読みが最終段階に入ったときだった。セッカー&ウォーバーグ社版ハードカバーにある第2部の8行ほどが、新しいヴィンテージ版ペンギン版のペーパーバックには見当たらなかったのだ。これは作家が削除したのか、それともたんなる脱落なのか。確かめる手紙をエージェント経由で出すと、即座に作家から直接メールが返ってきた。答えは作者も気づいていなかった「脱落」。「信頼すべきテキストはセッカー&ウォーバーグ社版のハードカバー(初版)のみです」というのが返事の文面だった。ちなみに脱落がみられるのは、次の箇所(ちくま文庫版、p239の9〜13行目)にあたるオリジナル英文である。

 「国家はマイケルズのような土を掘り返す者たちの背中に乗っているんだ。国家は彼らがあくせく働いて生産したものを貪り食い、そのお返しに彼らの背中に糞を垂れる。だが、国家がマイケルズに番号スタンプを押して丸飲みにしても、時間の無駄だ。マイケルズは国家の腹のなかを未消化のまま通過してしまった。学校や孤児院から出たときとおなじように、キャンプからも無傷で抜け出してしまったのだから。」

 この作品について書かれた評によく引用される箇所である。英語で出まわっているテキスト類の場合、日本の慣例のように、版を重ねるごとに作者や訳者が訂正を入れたりすることはあまりない。クッツェー氏の場合も、ペーパーバックになるときに、いちいちゲラ刷りに目を通すことはないのだという。メールには「この件について注意を喚起してくれてありがとう」というコメントが書き添えられていた。(つづく)☆