Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2009/01/01

アミラ・ハス──われらが指導者を好む、私たちの作法

<ハアレツ紙の主な読者はイスラエル人で、ハス自身もイスラエル人です──訳者>

われらが指導者を好む、私たちの作法
ハアレツ紙/2008.12.30

倫理について語るときではない、正確な諜報についていて語るときだ。私たちの息子のなかでいちばん優秀なパイロットが操縦する、100機の軍用機に出撃命令を出す者は、ガザの敵に狙いを定めて爆撃し、地上掃射せよと指令を出す者は、それが誰であろうと、目標──とくに警察署──に近接した多くの学校のことを熟知している。その人間はまた土曜日の11時30分きっかりに、いきなり襲ってきた爆撃に敵が驚いているあいだ、ガザ地区の子どもたちが全員通りに出ていることを知っていたのだ。子どもたちの半分は午前中の授業を終えたばかり、残りの半分は午後の授業を受けるため登校中だということも。

いまは均衡のとれた応答について語るときではないし、イスラエル国会がこの作戦の立案者たちに、より多くの議席を分けあたえると約束する得票数について語るときでもない。むしろ、いまはこの作戦は成功すると見る有権者の信条について語るべきときだ、この攻撃は正確で、目標は正当であるとする信条について。

たとえば、土曜日の深夜直前に、ジャバリヤ難民キャンプ内のイマド・アケル・モスクが爆撃され、一斉射撃を受けた。私たちが見事な軍事的勝利とするものの名前をあげよう──4歳のジャワヘル、8歳のディナ、12歳のサハール、14歳のイクラム、そして17歳のタハリール、すべてバルーシャ一家の姉妹たちだ。姉妹は全員、モスクが「正確に」攻撃されて殺された。残りの3人の姉妹たちと、2歳の弟と、その両親は重傷を負った。近くにいた24人もまた怪我をし、5軒の民家と、3軒の店が破壊された。軍事的勝利のこの部分は、昨日の朝のイスラエルのテレビやラジオのニュースで取りあげられず、イスラエルのニュースを伝えるウェブ上に現れることもなかった。

いまは、イスラエル軍指揮官の手中にある詳細な地図について語るときだ。モスクと近隣の民家との正確な距離を熟知しているシン・ベト顧問について語るときだ。小型無人機について論じるときであり、最先端技術のカメラを備えた熱気球が、夜も昼も、ガザ地区の上空を飛びまわり、あらゆるものを撮影していることについて論じるときだ。

いまは、「附随する損害」を正当化する的確な表現を見つけようと、作戦について学んでいる法律顧問に頼るときであり、外務省の広報担当者がエレガントな南アフリカ訛りと、うっとりするようなパリ仕込みのアクセントを駆使し、洗練されたことば遣いで「ハマスが悪いのです。なぜなら近所のモスクを自分の目的のために利用したからです」と語るのを賞賛するときなのだ。二重基準の語りはいつも議論の余地を残してきた。モスクには武器が貯えられていたかもしれない。アル・アクサ殉教者軍団の戦闘員がそこで毎夜集会を開いていたかもしれない、レベルアップした戦闘用ロケット弾をそこから撃ち込む計画だったかもしれない、と。

イスラエル軍参謀長が戦闘計画を立案するとき、彼はどこに座っているか? サハラ砂漠でも、ネゲブ砂漠でもない。テルアビブ映画館の入口で誰かが自爆したとしたら? 彼を送りだした者が、ごめん、彼は通りの向こうの国防省に行くつもりだったんだ、といったとしたら?

いまは、長く忘れられた歴史の授業を思い出し、こんなやり方で政府を打倒すべきではない、などというときではない。バランスのとれた政治家をもとめて道理ある提案をするときでもない。そんなことをする時機はすでに去った。私たちが傲慢にもかつてレバノンで打ち立てようとした「新秩序」とともに。あれはヒズボラを生んだだけだった。あの計画は、PLOの人気を削ぐためのオリエンタリストの計画とともに、武装イスラム民族主義者運動の台頭に道を開いただけだった。

そんな提案をするときは去ったのだ。パレスチナ人の土地を略奪し、オスロ合意の時代に入植地を激しい勢いで拡大したこととともに。あの合意は、第二次インティファーダへの礎石を敷き、ファタハの凋落を招いただけだった。

道理と審判のときはとうに死んだ。ファタハ活動家を狙った、ヨルダン川西岸地区での暗殺の前に死んだのだ。暗殺はすぐに、兵士への銃撃に転じ、新たに武器をとる数千の若者の登場をうながした。自爆攻撃の現象については、いうまでもない。

いまは決して「だから言ったじゃないか」というときではない。なぜなら、かりにそういえるとしても、ことばはすでに無力だから。死者を生き返らせることはできないし、傲慢と誇大妄想によって引き起こされた損害を修復することもできない。

いまは私たち自身の満足と喜びについて語るときなのだ。地上戦の準備のために、ふたたび砲身を上げ下げする戦車への満足感について、脅すように指を振りながら敵を示すわれらが指導者への満足感について。それが、われらが指導者を好む、私たちの作法なのだ──予備役兵を召集し、敵を爆撃するパイロットを送り込み、国家の団結を表明する、バルーク・マーツェルからツィピ・リヴニまで、ネタニエフからバラク、そしてリーバーマンへいたるまで。

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