Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2007/10/14

民族的詩人、マジシ・クネーネ逝く


「北海道新聞 2007.1.9 夕刊」コラムに、こんな記事を書きました。(掲載版に少し補足してあります。)
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 2006年8月12日、マジシ・クネーネが他界した。1970年の初来日と、80年代初めの2度の来日で、知る人ぞ知るズールー民族の大詩人だ。20余年の亡命生活を終えて、南アフリカに帰国したのが93年。享年76歳だった。
 初来日の目的は解放組織の活動資金調達だったという。70年当時、南ア国内は厳しいアパルトヘイト(人種隔離)政策のもとで、解放運動は壊滅的状況に追いやられていた。94年の解放で政府与党となるANC(アフリカ民族会議)も当時は非合法組織で、クネーネはロンドンを拠点とする財務担当として初来日したのだ。思うように資金調達がかなわず、離日するとき「日本の繁栄はわれわれの血によって贖われている」と言い残して、当時の若い支援者たちに「クネーネ・ショック」をあたえた話は有名である。

 詩人の第一義的な仕事は、民族の社会的価値観や哲学的概念を教え、伝えることにあるとするクネーネは、ズールー語で書いた作品をみずから英訳した。その一冊を訳してみないかと声をかけられたことがきっかけで、私は南ア文学のさまざまな作品と出会い、この国の政治情勢の変転や、文学者をとりまく環境の激変を見ることになった。だから訃報に接したときは、この20年間の出来事が走馬灯のように脳裏をよぎった。

 民族の創世を物語る長大な叙事詩『アフリカ創世の神話』(人文書院、1992、共訳)との格闘をはじめたのは86年のこと。だが、南アの事情に疎かった私も、原著の献辞にマンゴスツ・ブテレジの名をみつけたときは、さすがに放っておけない疑問を感じた。79年にANCを離れてから、ズールー民族組織インカタの長として、ことあるごとにANCと血で血を洗う凄惨な権力闘争(西側メディアは「部族抗争」と報じた)を繰り広げていた人物、それがブテレジだったのだ。(下欄の付記参照)

 叙事詩の翻訳は遅々として進まず、なじみのない哲学、宗教、文化の概念は、部外者などにそう簡単にわかってたまるか、とばかりに分厚い壁として立ちはだかった。なかでも、いささか辟易とした、その誇り高き民族主義は、西欧植民地主義に対抗する強力な精神基盤ではあったものの、皮肉にも、人種間の和解と諸民族の融合をうたう新生南アの国家概念とは、際立った対比を見せることになった。
 まことにアフリカ、いや世界は、一筋縄ではいかない。

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付記:
 後に、当時のアパルトヘイト政権が「部族抗争」を(国外向けに)演出するため、インカタに資金を渡していたことが発覚して、南ア国内で大きな問題になっていたことを思い出します。