確かめておきたいことがひとつあった。作家のミドルネーム「M」をめぐる欧米メディアの対応に関するものだ。ある新聞にすでに書いたことだが、ここでも再度書いておきたいと思う。
作家の名前はジョン・マクスウェル・クッツェーで、作品にはデビューから一貫してJ・M・クッツェーと記されてきた。しかし欧米の主要メディアはこれを、ジョン・マイケル・クッツェーと勝手に読み替えてきた。米のニューヨークタイムズ紙も、英のタイムズ紙やガーディアン紙も、仏のルモンド紙も。はては文学事典の類いまで。いくつかの根拠から「マクスウェル」が正しいことはわかっていた。
1999年の『恥辱』で2度目のブッカー賞を受賞したとき、長年購読してきた南アの新聞「メール&ガーディアン」にも「マクスウェル」とあったので、やはり、とうなずいた記憶がある。しかし、なぜ欧米のメディアが訂正しないのか、疑念は晴れなかった。そこへ2003年10月3日のノーベル賞受賞記事内に、米のニューヨークタイムズと英のガーディアンが記者の署名入りで「生まれたときはマイケルだったが、それをマクスウェルに変えた」と書いた。この辻褄合わせを迂闊にも、わたしは真に受けてしまったのだ。
「生まれたときからマクスウェルで、名前を変えたことはない」と彼が、静かに、確固たる口調で語るのを聞いたとき、あれは確かめもせずに作り上げた記事だったのだ、とそれを鵜呑みにした自分が恥ずかしかった。
さらに「フランス語訳の『少年時代』でも裏表紙にジョン・マイケル・クッツェーと書いてありましたが」とたたみかけると、氏からは「彼らはジャン・マリー・クッツェーとまでいったんです!」ということばが返ってきた。大きな声ではなかったけれど、抑えた語気は烈しかった。
なぜこういうことになるのか。このようなズレがなぜ起きるのか。ずっと考えてきて思い至ったのは、この作家のスタンスはある意味で、西側メディア、とりわけ欧米諸国のメディアが流す情報と事実との差を可視化することに貢献している、ということだった。ズレはそのまま放置する。一方的な決めつけをして恥じないのは、気づかなければならないのは、メディア自身なのだ、と。これは『マイケル・K』の第2章で医者が主人公の名前を誤って「マイケルズ」と呼びつづけたり、『フォー』で舌を切られて発語できないフライデーのある動作に、主人公が勝手な意味づけを行ったり、といった場面を書き込むことで、「名づけ」をめぐる権力構造を可視化させる手法にも通底する。
話は音楽のことや彼が訳したオランダの詩人たちの作品、あるいはその訳詩集に彼が書いたオランダの国民性のことなどにおよび、ふたたび日本語の翻訳書へともどっていった。日本では一般に翻訳書には「訳者あとがき」というスペースがあることなど、作家にとっては耳新しい話だったようだ。
そして「クネーネの叙事詩の翻訳にはとても苦労しました。その翻訳の最中に『マイケル・K』を読んだのですが、それがオアシスのように感じられて」というわたしのことばに、作家は「ふふっ」と笑い声をもらした。(つづく)☆☆☆☆
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付記:MWENGE no.37に載せた文章に加筆したものです。
作家の名前はジョン・マクスウェル・クッツェーで、作品にはデビューから一貫してJ・M・クッツェーと記されてきた。しかし欧米の主要メディアはこれを、ジョン・マイケル・クッツェーと勝手に読み替えてきた。米のニューヨークタイムズ紙も、英のタイムズ紙やガーディアン紙も、仏のルモンド紙も。はては文学事典の類いまで。いくつかの根拠から「マクスウェル」が正しいことはわかっていた。
1999年の『恥辱』で2度目のブッカー賞を受賞したとき、長年購読してきた南アの新聞「メール&ガーディアン」にも「マクスウェル」とあったので、やはり、とうなずいた記憶がある。しかし、なぜ欧米のメディアが訂正しないのか、疑念は晴れなかった。そこへ2003年10月3日のノーベル賞受賞記事内に、米のニューヨークタイムズと英のガーディアンが記者の署名入りで「生まれたときはマイケルだったが、それをマクスウェルに変えた」と書いた。この辻褄合わせを迂闊にも、わたしは真に受けてしまったのだ。
「生まれたときからマクスウェルで、名前を変えたことはない」と彼が、静かに、確固たる口調で語るのを聞いたとき、あれは確かめもせずに作り上げた記事だったのだ、とそれを鵜呑みにした自分が恥ずかしかった。
さらに「フランス語訳の『少年時代』でも裏表紙にジョン・マイケル・クッツェーと書いてありましたが」とたたみかけると、氏からは「彼らはジャン・マリー・クッツェーとまでいったんです!」ということばが返ってきた。大きな声ではなかったけれど、抑えた語気は烈しかった。
なぜこういうことになるのか。このようなズレがなぜ起きるのか。ずっと考えてきて思い至ったのは、この作家のスタンスはある意味で、西側メディア、とりわけ欧米諸国のメディアが流す情報と事実との差を可視化することに貢献している、ということだった。ズレはそのまま放置する。一方的な決めつけをして恥じないのは、気づかなければならないのは、メディア自身なのだ、と。これは『マイケル・K』の第2章で医者が主人公の名前を誤って「マイケルズ」と呼びつづけたり、『フォー』で舌を切られて発語できないフライデーのある動作に、主人公が勝手な意味づけを行ったり、といった場面を書き込むことで、「名づけ」をめぐる権力構造を可視化させる手法にも通底する。
話は音楽のことや彼が訳したオランダの詩人たちの作品、あるいはその訳詩集に彼が書いたオランダの国民性のことなどにおよび、ふたたび日本語の翻訳書へともどっていった。日本では一般に翻訳書には「訳者あとがき」というスペースがあることなど、作家にとっては耳新しい話だったようだ。
そして「クネーネの叙事詩の翻訳にはとても苦労しました。その翻訳の最中に『マイケル・K』を読んだのですが、それがオアシスのように感じられて」というわたしのことばに、作家は「ふふっ」と笑い声をもらした。(つづく)☆☆☆☆
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付記:MWENGE no.37に載せた文章に加筆したものです。