2014/09/07

秋の気配、ふたたび日々の翻訳へ


ぶりかえした暑さも昨夜の雨でどこかへ。本格的に、秋の気配が近づいてきた。虫の音も冷たい空気のなかで澄んだ音色を響かせている。
 
 力を出し切ったクッツェー三部作、オースターとの往復書簡集、イベントなども終わり、本格的にチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』に取り組まなければならないときがやってきた。すでにかなりの量は訳してあるのだけれど、ここへきてぐんぐん進む。毎日進む。

夕方近くなって散歩に出た。散歩に出るとパソコン画面をにらんでいる時間から解放されて、頭のなかで自由にことばが動きはじめる。黄色く色づいた桜の葉、つげの茂みに落ちた黄色い大きな葉を見て思うのは、しかし、やっぱりクッツェーの新作についての閃きだったりするところが悩ましい。

 春先に枯れ枝を根元から刈り取っても、またしっかり生えてくる萩。今年も赤紫のグラデーションの美しい小花をたくさんつけて、風にゆられている。

 西アフリカの大都市で育った女性が、アメリカに渡って体験するさまざまな大波、小波。移民労働の世界。肌の色の違い、髪の毛の縮れぐあい。それが決定的な要素となることの意味。物語はナイジェリアという土地を超えて、アメリカの境界も飛び越えて、いまやわたしたちの住む社会にもとどけられる。
そこには「アフリカ文学」という従来の枠には収まり切らない、若い書き手の作品があるのだ。そのこととアフリカの現実を切り離して考えていいということでは決してないのだけれど、それも、これも、また、現在のこの地球に住み暮らしている人間たちの、深くて複雑な内実なのだというしかないのだろう。心して訳していきたい。このとびきりの面白さを、早く読者と分かち合いたい。

2014/09/05

今日、発売の「ミセス」に三部作の紹介が!

今日発売の雑誌「ミセス 10月号」に、クッツェー三部作の紹介記事が載りました。書いてくれたのは小野正嗣さんです。小野さんはこの6月に、ノリッジで開かれた文芸フェスティヴァルで実際にクッツェーさんと同席したらしい。とっつきにく人かと思っていたけれど、予想ははずれ! とてもシャイで控え目な感じの人だったと書いている。

「この自伝的三部作には・・・いまや世界文学の中心的存在であるクッツェーが実はどれほど辺境の人であるかがよくわかる」と。そうなんですね、そうなんです。

「やや天然ボケ的なところもあってすごく感じがいい」とも書かれていて、笑ってしまった。
 今日から店頭にならんでいます。ぜひ、読んでみてください。元本もね!

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写真を載せましたが、ぼんやり見える程度にしたつもりが、案外くっきり出てしまうのですね。著作権の問題もあるのではずしました。あしからず。
 

2014/09/02

クッツェーの書いたシナリオが出版された

クッツェーの2つの小説作品 ──「In the Heart of Country」と「Waiting for the Barbarians」── が作家自身の手によってシナリオに書き直されていた。それがケープタウン大学出版から本になって出版される。ウェスタンケープ大学のヘルマン・ヴィッテンベルグ(ハーマン・ウィッテンバーグ)の解説つき。そう報じる記事が出た

「In the Heart of Country」をもとにマリオン・ヘンセル監督が「Dust」(日本では「熱砂の情事」?????というタイトルでビデオで売られている)という映画を作成したのが1985年。この映画の出来映えには、クッツェー自身いたく不満だった。無理もない、自分のシナリオが使われなかったのだから。

 その不満は『ダブリング・ザ・ポイント』で作家自身が語っていたし、カンネメイヤーの伝記にも詳述されている。ジェーン・バーキン主演、スペインでロケされたこの映画、光が南アフリカの苛烈な光とはまるで異なる、と件の記事の著者は語っている。そうだろうなあ。それは容易に想像できそうだ。

 「Waiting for the Barbarians」のシナリオは、フィリップ・グラスによって舞台化されたときのものだろう。これは2005年にドイツのエルフルトで初演され、2012年には南アフリカのバクスター・シアターでも演じられた。

2014/09/01

水牛:なぜ、J・M・クッツェーを訳すのか?


いやはや、すっかり秋めいて。


    なぜ、J・M・クッツェーを訳すのか?

 雨の池袋の夜のこと、イベント「これでわかるクッツェーの世界」が終わって、みんなでワインを飲んでいるときだった。隣の席の人からそんな質問を受けた。う〜ん、それに答えるには、ことばがたくさん必要なのだ。
 というわけで今月の「水牛のように」に、しっかり書かせていただいた。

 こちらです!

いやあ、今月の「水牛」はとっても盛りだくさんで、面白い!

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PS: 2014.9.2──ここ数日、J.M.クッツェーの第一作目『Dusklands/ダスクランズ』を20年ぶりに、しっかり再読していた。一度目にはぼんやりとしか見えなかった細部が、あざやかに立ち上がってくる瞬間を何度も経験した。読書って、不思議! 面白い! やめられない/笑。

 
 

2014/08/30

雨の池袋で──「これでわかるクッツェーの世界」報告


 イベントが開かれた28日は、8月とは思えないほどひんやりとして、小雨もぱらつくようなお天気でした。暑熱の雑踏を避けて、郊外暮らしを決め込んでいる者には、ひさしぶりの人の波。屋外はひんやりしていても、建物のなかに入ると妙に蒸し暑かったり、冷房が効きすぎて寒かったり、体調調整の難しい季節です。

 J・M・クッツェーについて、こんなイベントが開かれたのは恐らく、わたしの知るかぎり、大学以外では初めてではなかったかと思います。それだけでも、なんだかどきどきしました。
 
『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの〈自伝〉』(インスクリプト刊)刊行記念イベントは、池袋ジュンク堂の4階カフェで予定通り7時半から始まりました。田尻芳樹さん、都甲幸治さん、というベストメンバーを迎えて、翻訳者のくぼたのぞみがこれまでの経緯などを語り、それぞれのクッツェー作品との出会いや、さまざまな角度からクッツェーの作品を読み込んだ話の展開になっていきました。思わぬエピソードも飛び出し、くだけた調子で笑いも入り、専門的な突っ込みもあり、となかなか得難い会になったと思います。
 なにしろこの三部作は、ジョン・クッツェーという人間のできあがっていく過程を素材にして、作家になった J・M・クッツェーがその作家生成のプロセスをフィクションとして書くという希有な試みです。
 クッツェーの他の作品に向かって全方位的に触手が伸びていく、そんな芽をいくつも内包するこの自伝的三部作の翻訳出版によって、これからのクッツェーの読み方が大きく変わっていくことを確かに予感できる充実した会になりました。

 雨の中、とても大勢の方に来ていただきました。遠くは関西からわざわざいらしてくださった方までいて・・・感激です。質疑応答では、質問がどれもクッツェー作品をしっかり読み込んでくださっていることがわかる濃い内容のものでした。

 二次会もとても盛り上がって、終電の関係でわたしは途中退席しましたが、参加者どうしの会話がはずんで、まだまだ話は尽きないようでした。

 ご来場くださった方々、ほんとうにありがとうございました。

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PS: facebook に昨日書き込んだレポートに加筆して、記録としてこちらにも残しておきます。2日後のいまも、当日の密度の濃い時間の余韻がまだ抜けません(笑)。

2014/08/27

クッツェーが選んだ12冊とは

クッツェーが選んだ12冊とは:

1)ハインリヒ・フォン・クライスト『O公爵夫人』
2)ロベルト・ヴァルザー『助手』
3)ダニエル・デフォー『ロクサーナ』
4)サミュエル・ベケット『ワット』
5)フォード・マドックス・フォード『良き兵士』
6)フランツ・カフカ『短篇集』
7)パトリック・ホワイト『完全な曼荼羅』
8)ナサニエル・ホーソーン『緋文字』
9)レオ・トルストイ『イヴァン・イリイチの死』『主人と下男』『ハジ・ムラート』
10)ロベルト・ムージル『三人の女』
11)ギュスタヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』
12)詩のアンソロジー

 意外や意外、ドストエフスキーは入っていませんでした。ふ〜ん。しかし、どういう経緯で選ばれたのか、アルゼンチンの出版社が出すシリーズだし、スペイン語版なわけでしょうから、すでに翻訳が出ていて、よく読まれているものをあえてはずしたということは考えられる。
 とにもかくにも、昨夜、このラインナップが発表されたと伝えるコロンビアのニュース。スペイン語なので、部分的にしか分かりませんが、タイトルをなんとか拾って上に載せました。

こうして見ると、ドイツ語圏作家が4人、英語圏作家が4人+1人、フランス語が1人、ロシア語が1人。
 ドイツ文学、フランス文学、イギリス文学という国別とか、「国語」のくくりから完全にはみ出てしまう作家が多い。ヴァルザーはスイス人だし、ベケットは途中からフランス語だし、カフカはプラハの住人だったし、ホワイトはオーストラリアだし・・・。
 もちろん、文学作品としてこれがすべてでも、ベストでもないと、クッツェー自身はことわってはいるものの、とりあえずこれがスペイン語圏で文学をやろうとする人たちへ向けて、クッツェーが発信する「個人ライブラリー」ということでしょうか。

PS: 二枚目の写真に写っている対話の相手は、コロンビアの若手作家フアン・ガブリエル・バスケスだそうです。クッツェーはいつものようにダークスーツにノーネクタイですが、バスケスはジーンズというくだけたスタイル、この対比もまた面白い。(ミーハー観察者の独り言です。)

PS: ボルヘスの短篇は勘違いでした。スペイン語の記事のなかでは、ボルヘスの図書館の話はあくまでイントロとして用いられていたようです。考えたら、これは翻訳書シリーズですから/汗。詩のアンソロジーが一冊入っていました。すみません! 


付記:2017.2.1──2014年8月にボコタの中央大学を訪れたクッツェーが、この個人ライブラリーについて、なぜこの12冊なのかということを詳しく語った動画があります。そちらもぜひ見てください。詳細はこのポストで。


2014/08/26

コロンビアはボゴタの大学でスピーチするクッツェー

昨年4月、コロンビアのボゴタを訪れたクッツェーはいまふたたび、この地の中央大学を訪れています。クッツェーという作家を形成する基礎となった12冊の本、という個人ライブラリーの発刊にちなんで長いツアーに出たクッツェー、まずはボゴタの「中央大学」でスピーチ。明日はその、アルゼンチンの出版社から出る12冊を市内の劇場で発表するようです。

その12冊とは? 記事にあがっているのは7人の作家の名前だけですが、おそらくホーソーンは『緋文字』、ベケットは『ワット』、フロベールは『ボヴァリー夫人』、クライストは『O侯爵夫人』で、カフカ、ヴァルザー、ムージル、とドイツ語圏の作家の名前があがっています。12人ですから、残り5人にはドストエフスキーなども含まれるのでしょうか。興味津々です。もちろん各巻にはクッツェー自身の序文がつくとか。ツアーはその後、ブカラマンガの大学、それからブックフェア、と続くようで、続報を待ちたいところです。

 それにしても、この数年のスペイン語圏へのクッツェーの熱の入れようは凄いな。作品にもそれは出ているけれど。

クッツェー:文学によって孤独を深々と抱擁する作家

明後日です!

時代と土地の境界をこえ、文学によって孤独を深々と抱擁する作家、それがクッツェーです。

 クッツェーの作品には、「世界文学」の底で、文学にたずさわる個々の人間の連帯をもとめる姿勢が秘められている。秘められている、ということは、読者がそれを探し当てなければならない、ということでもあって、それが、クッツェー作品を語るときに人がよく「gem/宝物」という語を用いる理由かもしれない。さあ、宝さがしに!

 「これでわかるクッツェーの世界」

 8月28日(木)午後7時半から、池袋ジュンク堂4Fで。
 田尻芳樹 × くぼたのぞみ × 都甲幸治(司会)

 予約していただくのがいちばんですが、当日その気になったら、ためらわず、迷わずおいでください。

2014/08/25

いよいよ3日後です/池袋ジュンク堂イベント


今日は、いよいよ3日後に迫った池袋ジュンク堂でのイベントのため、田尻芳樹さん、都甲幸治さんと吉祥寺で打合せ。駅ビルがすっかり変わっていて、びっくり。

 昨日は朝日新聞に佐々木敦氏による書評が掲載されたクッツェー三部作。とにかく、この本の面白さ、意表を突く形式、その内容の深さ、そして、クッツェーという作家の魅力について語り尽くします。ご期待ください。 

2014/08/19

これでわかるクッツェーの世界/再度、お知らせ!

9日後に迫ってきました!

<イベントのお知らせ>

『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの〈自伝〉』(インスクリプト刊)刊行記念イベント


 日時:8月28日(木)午後7時半から

 場所:池袋ジュンク堂本店4Fのカフェ



  田尻芳樹(東京大学准教授)
  都甲幸治(早稲田大学教授)
  くぼたのぞみ(翻訳者)

 入場料:1000円(飲み物代を含む)

 J・M・クッツェーは南アフリカに住んでいるころから、世界中の耳目を集めつづけている「世界文学」の最重要作家の一人です。昨年3月の第一回東京国際文芸フェスティヴァルにも特別招待作家として招聘され、3度目の来日をはたしました。

 今回のイベントは、この作家とサミュエル・ベケットへの関心を共有し、いくつものクッツェー論を展開する東京大学准教授、田尻芳樹氏、またクッツェー作品を深く読み込み、幅広い読者にその魅力を紹介してきた早稲田大学教授、都甲幸治氏、そして、1989年に初訳『マイケル・K』で日本の読者にクッツェーを紹介してから今日までに5つの作品を訳し、クッツェーの世界にどっぷり浸かってしまった(笑)訳者、くぼたのぞみが、夏の夜、クッツェー談義に花を咲かせます。

 クッツェーは今後ますますその存在が世界的な重要性をもつようになる作家と思われます。アカデミズムの場以外で、このような議論やトークの場が設けられるのは今回が初めて(?)かもしれません。ぜひ、夏の夜のクッツェー談義をごいっしょに!


2014/08/15

『ヒア・アンド・ナウ』── 今日もゲラ読み!

 長年、エアコンを使っていない。机上の温度計は30度を越している。外は蝉しぐれ。

 窓に面した机の上でB4サイズの再校ゲラのページが、書き込みをするたびに腕の下で湿っていく。窓からの風があるのが救いだ。

 こんな夏をいくつも越してきた。この夏を越せば、ポール・オースターと J・M・クッツェーの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』(岩波書店刊予定)ができあがるはずだ。ユダヤ系移民の系譜のポール・オースターとオランダ系移民の系譜のジョン・クッツェーの、パレスチナ/イスラエル問題への発言も、2011年までのものとはいえ、しっかり含まれている。世界情勢へのこの2人のスタンスの違いも、ちらりちらりと垣間見える。
 しかし、なんといっても面白いのは作家としての「書くこと」への態度の違いだ。というか、手紙をやりとりしていて明らかになっていく、それぞれの作家としての特徴だ。そこがだんとつに面白い。
 夏の仕込みと秋の収穫。9月26日が発売予定だ。あときっかり6週間の道のり。

 わたしが生まれる4年と5カ月前に終った戦争の、69回目の敗戦記念日に。