Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2019/05/19

中島京子著『夢見る帝国図書館』を読み終える

 数日前から読みはじめた中島京子著『夢見る帝国図書館』(文藝春秋刊)を読了。安定した日本語の流れに身をまかせながら、このあと話はどうなるんだろ? どう展開するの? と心躍らせながらも、まるで心あたたまる家族再会の食事会のような満足感とともにページを閉じた。

 日本初の国立図書館の歴史をベースにして物語は展開するのだけれど、頭陀袋のようなスカートをはいた喜和子さんという女性と作家の「わたし」が上野で偶然出会うところから物語は始まる。上野の森に初めてできた図書館の歴史と、戦後の上野ですごした幼少期の喜和子さんの記憶が絡まり、謎めいた人物たちの戦中、戦後の足跡がそこここに絡まって...... 九州の宮崎にも話は飛んで......

 いや面白かった。さまざまな場面で、あ、このことを「いま」書いてくれたのは嬉しいなあと思ったり、突然、太字で立ち上がってくる歴史的な事実に瞠目したり、なるほどと納得したり。いやいや、未読の人のためには、これ以上は書かないことにしよう。でも、とにかく充実した読書時間が体験できることは太鼓判を押します! 

 個人的には、土地の名前がとにかくなつかしい。26歳から33歳までわたしは上野の池之端というところに住んでいたのだった。そこは、ちいさな3人の子どもたちがこの世にやってくるのを出迎えた思い出の土地でもあった。根津、谷中、言問通り、弥生坂、千駄木、湯島、不忍の池、寛永寺、上野動物園、などなど、あのころは「ベビーカー」ではなくて「バギー」と呼んでいた乳母車に子供を乗せて、あっちこっちを歩いたものだった。動物園通りを自転車で走って、モノレールの架線をくぐって、上野松坂屋まで買い物にいったものだった。

 当時は、国会図書館の上野分室はとても厳しい雰囲気の建物で、仄暗く、厳粛な趣に包まれていて、とても、子連れで入れるような場所ではなかったのが残念だけれど。いまは国際子ども図書館になっているんだね。
 今度いってみようかな。

 とにかくこの本、しみじみと面白く、じわりと励まされた。こういう本がいま、この社会に投げ込まれることのありがたさを思う。Merci beaucoup, Nakajima Kyoko san!