先日のB&Bの『鏡のなかのボードレール』をめぐるイベントで、こんな質問が出ました。
──クッツェーの『恥辱』に出てくるメラニーが前後の脈絡から白人ではありえない、とありますが、どうしてですか? 「メラニー」は白人の名前としてごくふつうに使われる名前ですが。
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原著『Disgrace』のp164です。主人公デイヴィッド・ルーリーが娘ルーシーの農場からケープタウンへ車で向かう途中、ジョージという町に立ち寄ります。メラニー・アイザックスの家族が住んでいる町です。そこでルーリーはメラニーに対してレイプまがいのセクハラをしたことを家族に詫びるのですが、最初にアイザックス家を訪ねたときは1人の少女しかいませんでした。少女の名前を尋ねると、彼女は「Desiree」と答えます。デジレーと読むのでしょうか(デジリーア、とアフリカーンス語現地音ふうに読むのでしょうか)。そしてこう続きます。
Desiree: now he remembers. Melanie the firstborn, the dark one, then Desiree, the desired one. Surely they tempted the gods by giving her a name like that!
(デジレーか。それで彼は思い出す。メラニーは初めての子で、浅黒い肌の子、その次がデジレー、強く望まれた子。きっと、彼らはそんなふうに彼女を名づけることで、神々の意思にあえて挑んだのだ!)
つまり、最初の子供であるメラニーは「dark one──浅黒い肌の子」だったが(melaninを暗示か?)、次に生まれた Desiree は強く望まれた子であり、より美人だった(Desiree, the beauty と4ページ先でルーリーは呼ぶ──p168)。
上記の「dark one──浅黒い肌の子」という部分が効いています。
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アイザックス家の雰囲気を見て、プチブル的上昇志向の強い家族だとルーリーは判断しています。もしもアイザックスが白人の家族であれば、作家は上記のような書き方をすることはなかったでしょう。(夕飯に招かれて出された料理がカレーという駄目押しまでついています!)
巧みな、暗示に満ちた書き方ですね。事情に通じた南アフリカの人たちにとっては言わずもがなの事実でも、外部にいる読者にはなかなか自信をもって断定できない要素でもあります。
イベントこぼれ話のひとつでした!