従順なはずのソラヤの「眼差し」が、窓ガラス越しに自分をじっと見返してくる。そのことにルーリーは強い居心地の悪さを感じる。そこに焦点をあてながら、著者クッツェーが冒頭部分を最後の最後に書き直したことの意味を、あらためて考えてみることは重要だ。この第一章に書かれたルーリーの心の「ざわめき」、それを引き起こしたソラヤの鋭い視線こそが、作品全体を貫く「ざらっとした感触」の、秘められた核心にあるのかもしれない。
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この小説はわれわれに、ケープタウンにおける「違和感」の始まりを警告する(p6)。これは、たとえばルーリーが「ワーム」とか「スネイク」といったトーテムを通してソラヤとのセックスを想像したり、あるいは後には動物のイメージを通してセクシュアルな出会いを想像するといった重層性や循環性を小説内に入れ込む手法に明示されている。ソラヤとの密会を描くルーリーの、油断のない、抽象化された表現、「自分の感情に逆らわずに生きる」(p2)が、小説後半でルーシーに振りかかる性的暴行とぞっとするような響き合いを見せるのは、あくまで合理的かつ熟慮の上のことなのだ。
以下は、もうすぐ出る『鏡のなかのボードレール』に著者の許可をえて詳しく引用してありますので、ぜひ、そちらを!
以下は、もうすぐ出る『鏡のなかのボードレール』に著者の許可をえて詳しく引用してありますので、ぜひ、そちらを!