11月11日から3日間、アデレードで開催された「Traverses: J.M.Coetzee in the World」というイベントのハイライトは、やはりアデレード大学構内にある旧い建物エルダー・ホールで行われた作家自身の朗読だった。建物のなかに入ると、ステージの奥にはパイプオルガンがあって、そこが教会であることが分かる。エルダーというのだから「長老派」だろう。この催しだけが公開だったため、早くから大勢の人たちが詰めかけていた。
アデレード大学の副学長の挨拶につづいて、シカゴ大学の哲学教授、ジョナサン・リアの「Waiting for the Barbarians/夷狄を待ちながら」をめぐる基調講演があった。これが興味深い内容だったので、わたしの耳が拾った部分を中心に少し書いておきたい。
ジョナサン・リアはクッツェーがノーベル賞受賞の知らせを受けたときいっしょにいた彼の長年の友人で、そのときのエピソードにも今回ちらりと触れれて、場内をなごませていた。
ノーベル財団がクッツェーに連絡を取ろうとしたが、本人はそのときシカゴ大学で教えていたので、ケープタウンにはいなかった。財団側から連絡を受けたシカゴ大学の誰かが、リア教授の電話番号を教えてしまったので、それからが大変。彼の電話がひっきりなしに鳴りつづけた。知らせの前夜、リア教授夫妻はジョンとドロシーと4人でディナーを共にしたところだった・・・といった、すでにそこにいる大方の人たちが知っているエピソードではあったけれど、直接ご本人から聞くと、そうだったなあ、と感慨深かった。(2枚目の写真:クッツェーとジョナサン・リア)
さて、重要なのはそんなことではなく、リア教授の『
Waiting for the Barbarians』の読みに対する問題提起なのだ。この作品は一般に、架空の土地を舞台にした時代も不特定の小説、として読まれることが多いが、それは違う、とリアは言うのだ。注意深く読んでみると(Read carefully! はクッツェー本人がくりかえし発言していることば!)、作品冒頭にはちゃんと年代が書き込まれている、決め手は第三局からやってきたジョル大佐がかけていた眼鏡である、と言うのだ。では、この作品の書き出しを見てみよう。
"I have never seen anything like it: two little discs of glass suspended in front of his eyes in loops of wire. Is he blind? I could understand it if he wanted to hide blind eyes. But he is not blind. The discs are dark, they look opaque from the outside, but he can see through them. He tells me they are a new invention."
「そんなものは見たことがなかった。彼の両眼のすぐ前で、二つの小さなガラスのディスクが、環にした針金のなかで浮いている。彼は盲目か? 見えない目を隠したいというなら分かる。だが彼は盲目ではない。ディスクは黒っぽく、はたから見れば不透明だが、彼はそれを透してものが見える。新発明なんだそうだ」
ここで言われているのはもちろんサングラスのことだが、その語は使われていない。行政官はジョル大佐から「新発明」との説明を受ける、と書かれているところに注目すべきだとリアは語った。サングラスの発明は20世紀に入ってからの出来事だ。だからこの物語にはしっかり時代が書き込まれているのだと。(追記:われわれの二代、三代前の祖先の時代と読めるではないかと。)もうひとつ、この作品は dreamlike と言われることがあるが、dream ではなくあくまでdreamlike なのだ。一見「夢のように」場所や時間が特定しにくいことが重要なのだ。なぜか?
(と、ここからは私見だが)この作品が発表された1980年はまだ南アフリカには厳しい検閲制度があり、検閲官がちくいちテクストを読み、発禁にするかどうかを決めた。その厳しさは『
In the Heart of the Country/その国の奥で』が通常なら1人の検閲官が審査するところ、3人もの検閲官によって詳細に査定された事実からも明らかだ。(それについては
ここに書いた。)当然ながら、次に発表された「
Barbarians」は作家自身も検閲を念頭において書いている。だが、架空の、無時間の作品と見せかけながら作者は最初のページに時代をくっきりと刻み込んでいる、そこに注目すべきだ、というのが今回のリアの指摘だったと理解できる。
リア教授の講演を聴きながら(もちろん全部理解できたわけではないが)、ある疑問がふつふつとわいてきた。
Barbarians を「夷狄」と訳したのは、はたして適切な訳語選択だったのか、という疑問だ。「夷狄」とは19世紀までの中国で、漢民族を中心とした中央勢力から見た外部民族への蔑称とされる語だ。したがって「夷狄」と銘打たれた小説を読む者は、否応なく19世紀以前の時代へと導かれ、物語の舞台として東アジアのある地域を想定して読むことになる。
リアの指摘に沿って考えるなら、それでいいのか? という疑問を抱かざるをえない。古典の翻案ではないのだ。同時代作家の新作の翻訳の場合、これは妥当なことか? リアの指摘からすれば、Barbarians は文字通り「蛮族」と訳すべきだったのかもしれない。しかし邦訳の出た1991年、あるいはノーベル賞受賞後に文庫化された2003年、日本語読者は「夷狄」という聞き慣れないことばに耳をそばだて、関心を持った、という事実もまた否定できない。だからこれは、ひどく悩ましい問題提起とならざるをえない。
しかし、さらに考えてみる。現在はクッツェー作品が詳細に論じられ、3度の来日もあって、彼の名は一般にも知られるようになった。同時代をともに生きる作家の意図をあたうるかぎり伝えることこそが訳者、編者に求められる姿勢だとするなら、「夷狄」は訳語としてこのままでいいのか、という問いはやはり残る。悩ましい。
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2014.12.21追記:YOUTUBEにアップされたリア教授の講演を再度聴いたあと、上記の内容に少し加筆した。記憶だけで書き、少し誤解も混じっていたので訂正した。リア教授は、この作品が発表された当時のニューヨークタイムズの書評を批判しながら、この物語をアパルトヘイト下の南アフリカの出来事として
のみ読むのではなく(つまり遠い国の自分たちとは関係のない物語として読むのではなく)、読者が自分の住んでいる土地の近過去の歴史として読むことも可能な物語なのだと述べている。
彼の住むアメリカ合州国という土地で考えるなら、当然「蛮族=ネイティヴ・アメリカン」という置き換えになるだろうか。では、日本では? 蛮族=蝦夷、いやいや、現在はむしろ海の向こうの外敵としての・・・?
そのように読者の心理に深く働きかける「可能性」を秘めた作品である、とリア教授は論じている。であるとすれば、やはり、「夷狄」よりもう少し抽象的な語が選ばれるほうがいいのかもしれない。やっぱりこれは悩ましい。