「現代詩手帖 8月号」の詩書月評で、水島英己さんが『記憶のゆきを踏んで』を取りあげてくれました。こんな引用も。
ここから出て行く
閉じ込められずに
プロヴィンシャルとは
地方とは
そんな思いを募らせる場所
それでいて
土くれとともに
あの風景のなかに
死んだら姿を消したい
紛れたいと 思いをはせた遠い記憶
ノスタルジアふくらませながら
回顧する場所
粉雪が舞い狂うピンネシリの
「ピンネシリから岬の街へ──JMCへ」
水島さんの文章のなかに「翻訳者であるということは言語の複数性を自らの肉体で生きるということにちがいない」ということばがあった。Muchas gracias!