以前「クッツェーはアントニオーニの映画手法をぱくった?」と書いたが、これはどうやら勘違いだったようだ。そう推論する前提が崩れた。
クッツェーが1963年にロンドンで観たアントニオーニの作品「L'Eclisse(蝕)」(日本語タイトル:太陽はひとりぼっち)にはイタリア語のバージョンがあると、友人がこのサイトを教えてくれた。(イタリア、フランス、日本は公開が1962年、イギリスは翌年1963年だそうです。)
クッツェーが1963年にロンドンで観たアントニオーニの作品「L'Eclisse(蝕)」(日本語タイトル:太陽はひとりぼっち)にはイタリア語のバージョンがあると、友人がこのサイトを教えてくれた。(イタリア、フランス、日本は公開が1962年、イギリスは翌年1963年だそうです。)
それでもう一度、ネットショップで入手したDVDのフランス語バージョン「L'Eclipse」と比べてみた。ヴィットリアとリカルドの口の動きをよく観察したのだ。それで気づいた。どうやら彼らはイタリア語をしゃべっているようだ。口の動きがぴったりなのだ。シナリオもアントニオーニらイタリア勢が書いていることも分かった。わたしがネットショップから入手したDVDはフランス語バージョン(日本語字幕)であるため、どうしても字幕に目が行って、口の動きはあまり見なかった。
ということは・・・クッツェーが1963年のロンドンで観たのはイタリア語に英語字幕、と考えるのが妥当だろう。だとすると「アントニオーニをぱくった」という論は根拠を失う。映画好きのクッツェーが、吹き替えという映画手法をヒントにして新作小説を書いたかもしれない、という推論までは否定できないが...........別にアントニオーニをぱくったわけではないだろう。
それにしても、なぜ、日本で入手できるDVDはフランス語バージョンで、オリジナルのイタリア語バージョンではないんだ? アラン・ドロンの出た映画=フランス映画、という60年代シングルストーリーでついついものを見てしまった。反省!
ちなみに、映画の冒頭で入るパンチのきいた歌は、やっぱり、「砂に消えた涙」のミーナだった。