2008/03/12

ミルクカートンの抒情詩

  やはらかに柳あおめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
                         石川啄木

 ミルクカートンに書かれていたのだ。
 家の近くにしだれ柳の木がいっぽんあって、この季節になるとうっすらと萌黄色の芽をつけはじめる。日に日に、風に揺られる細い枝が黄緑色に染まっていく。ある日、それを目にして、はたと気がついた。あ、ミルクカートンの歌だ、と。何枚も洗っては切り開き、乾かす作業をくりかえしているうちに、覚えてしまっていたのだ。
 風が吹き、濃い春憂に襲われて下る坂道に、そのしだれ柳はあった。やわらかな、目にしみる色。そのとき、中学時代の国語の教科書に載っていた、めそめそとして大嫌いだった石川啄木なる歌人の歌が、突然「ゆるせる」と思った。

 気ばかり強く、人前でもどこでも、絶対に泣かないと決めていた元少女が、涙は流してもいいものなのだ、と知った瞬間だった。すでに40歳の坂をこえていた。ずいぶんと遅いさとりではあった。
 今年もまた、その柳が「やはらかに、あおめる」ときを迎えた。その色の、目にしみる度合いで、この季節に襲ってくる憂いの度合いを知ることもできるようになった。
 あおめる柳は、春憂のバロメータだ。