2008/03/22

「埋み火」──読書、切り抜き帳(5)

 もうすぐ七回忌を迎えるわが日本語の師、安東次男の『花づとめ 』(講談社文芸文庫、2003)から紹介します。70年代当時、「週刊読売」に連載されていたコラムを本にしたものです。
 「埋み火」は、私の好きなことばのひとつで、冬と春のあわいを思わせる語です。以下の文章では、京の地をベースに語られていますが、雪深い土地でもまた長い冬のあいだの「春まつ心」の陰影をうつしだすものとして、実感がありました。
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 埋み火は古来冬のものとされているが、花園院の撰になる「風雅和歌集」には、珍しい歌が入っている。

  かすみあへずなほ降る雪に空とぢて春ものふかき埋み火のもと
                          藤原定家

 集でも「春」の部に分類されていて、これは手あぶりに倚って戸外の春雪にふと目を留めた歌である。前書から定家三十二歳のときの詠とわかるが、「空とぢて」といい「春ものふかき」といい、情感の的確に伝ってくる表現で、印象にのこる一首である。定家の歌の中でも、まだ父俊成の歌風を受けているところがあって、晦渋なところも、ひねりすぎたところもないのがよい。
「風雅集」には、俊成の埋み火の歌も撰入されていて、「埋み火にすこし春ある心して夜深き冬をなぐさむるかな」、これは冬の歌である。「夫木(ふぼく)和歌抄」に収める「埋み火のあたりにちかきうたたねに春の花こそ夢に見えけれ 俊成」、これも冬の歌である。俊成歌の春意の浅さにくらべると、定家の歌の春はじつに広大に存在していて、作者が目を上げる上げ様までもそこに見えるようだが、そのみなぎるものを包む工夫に「埋み火のもと」と使ったところが、当時としては想像外の新しさである。
 数ある定家の歌の中からこういう歌を撰入した花園院は具眼の詩人(うたびと)だが、その花園院は同じ集に、

 暮れやらぬ庭のひかりは雪にして奥くらくなる埋み火のもと

という自分の詠も撰入している。定家の歌に唱和した御歌というべきだろう。唱和しながらも、これを春の歌となしえなかった院の心が私には面白い。「ひかりは雪にして」といい「奥くらくなる」といい、それ以前に見られない大胆な表現だろうが、正中の変前後の世の乱れはそこに現れていて、これは俊成などの冬の歌とはおのずから異なるものである。歌は画の妙手でもあった院の自然観照のこまやかさがよく出ているが、それだけはない。今の世相にも通じる、深い挫折感の歌である。人間の心の傷痕が対象そのものが痛むさまにこちらの目にやきつけられてくるのは、玉葉・風雅の歌人あたりからだろう。