2021/08/01

1冊目のゲラがやってきた

 またずいぶん間があいてしまった。

 信じ難いほど非合理的なイベントが始まった。医療現場は急激に逼迫している。東京だけではないが、人とイベントが集中している東京はもう煉獄のような状態になってきた。

 家にTVはないけれど、仕事のためにPCを立ちあげると目に飛び込んできたのは、オリンピック関連のロクでもない記事ばかりだった。誰が辞任、誰が解任。その理由が次から次へと、なあんにも学んでないんだなあ、という感じで。それが先々週。

 そして先週からコロナ感染者数が急増している。死者数は比較的少ないが、病院に入院すべき症状の人が自宅待機を強いられているというニュースは、本当に辛い。なんのための……どうしてこんな状況でオリンピックか!と誰もが思っている。絶対に楽しめない。楽しむとしたら、個人ではどうしようもない現状に目をつぶるため、忘れるため、意見を棚上げにして、だったりする。

 自分=個人を手放して、ナショナリズムの臭気ふんぷんとする何やらに身を寄せて、一時凌ぎをやる心理が手にとるようにわかるけれど、これで個々人としてつながっていた関係が分断されているのだ。間違いなく。

 暑い季節にあっちでも、こっちでも、ゲラと奮闘する人たちがいることを、ここにお知らせいたします──って「宣言」したい気分になる。わたしもまた、何かの反動で動いているのかな?

 カメラが壊れてPCに接続できなくなった。写真をアップできないので、6年前に連日アップしていたパウル・クレーの絵をアップしよう。


 

2021/07/02

今年はじめての朝顔が咲いた

 雨の音で目が覚めた。雨の音に消されて他の物音はほとんど聞こえない。風はない。ひたすらに降る雨にすっぽり包まれているような朝、カーテンを開ける。

今季初めての開花
 さて、今朝はどんなふうかな。朝顔の蔓はどこまで伸びたかな──とベランダに出る。するとパーテーションの手間にちいさな紫色が見える。花が咲いた。今年はじめての朝顔が咲いた。雨にもめげず。
 
 といっても、今朝の雨は、昨日もそうだったけれど、上から下へ向かってひたすらまっすぐに降る雨だから、朝顔の花に雨粒がじかに当たることはない。せいぜい飛沫がかかるくらいだ。それでも。

 7月になったとたんに気温はさがり、昨日も今日もひんやりと肌寒い。

 カナダのソルトスプリングに住む友人から、BC一帯が何日も摂氏40度をこす暑さだったけど、ようやく落ち着いた、というメールがくる。そっち(東京)はどう? クレージーなオリンピック、反対する人たちはデモとかやってないの? 

 やってるけど、やめた方がいいという人も大勢いるけど、それでも最初のシナリオ通りに強行する、ほとんど一億総玉砕オリンピック──と書きたくなる。参加選手だって安全とはいいがたい。

 日本の外に住む人たちには、完全に狂ってる「クレージー」な様子と映るらしい。そりゃそうだろな。そもそものはじまりは「福島復興のため」という名目だったオリンピック。そのためについた嘘「福島原発はアンダーコントロール」から始まって、数々の嘘と詭弁と利益に群がる人たちが招いたのがこのカタストロフ! そこへ襲ってきたのがコロナ・ウィルスというわけだ。

 今年はじめて咲いた朝顔の花の話を書こうと思ったのに、昨日とどいた友人からのメールへの返信みたいな、狂気のコロナオリンピックの話になってしまう。世界からじっと見られているこの国の非論理と非道なものごとの決め方。議論さえ成立しえない「貧しさ」。どれだけことばを壊し、人心の荒廃をもたらすつもりか。選手団、くるのかな? こないチームがこれから増えるんじゃないの?

 それにしても、これからしばらく、このブログ、写真が朝顔だらけになっていく予感が…まいっか。


2021/06/25

訳書2冊、自著2冊、合計4冊の本を抱えて夏を越す

 ブログからずいぶん遠ざかっていたけれど、復帰します。


「東京コロナオリンピック 2021」とも言えそうな凄まじいイベントがこの国で進行していますが、感染症の専門家たちが何をいっても正面から問題と向き合おうとせず、適切な対策を講じないまま、シナリオありきの物事の進め方に、誰もが不満、不安、そしていまや生命を脅かされそうな恐怖さえ感じるようになって、本当にどうなるのかと思います。

 でも、そんな時、目の前の細切れ情報にふりまわされずに、淡々と、冷静に、日々の暮らしをまっとうしたいもの。それには、facebook や twitter などの SNS だけでは非常にバランスが悪い。こういうブログで文章を書くことで、考えていることが整理され、気持ちも落ち着く、そうやってブログを書いてきたんじゃなかったかな、と思いなおしました。あるいは好きな本を読むのもまた、その効用が大きいことを思い出しています。

 短いメッセージに「いいね」や「ツイート」などで反応し、「シェア」することで元の情報に依存したまま自分のことばで書くことをどこかではしょっていないだろうか、と思い至ったのです。まあ、ちょっと忙しかったこともあるのですが。

 現在、翻訳書が2冊、自著が2冊、同時進行で動いています。翻訳は以前も書きましたが、J・M・クッツェーの『少年時代の写真』と、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの初作『パープル・ハイビスカス』。自著はもう少ししてから具体的にお披露目しますが、1冊はコアなエッセイ集、もう1冊はどちらかというと柔らかい文章で書いたメモワールです。昨年は「仕込みの年」、今年は「蔵出しの年」となりそうです。

 今年もベランダの植木鉢とプランターに朝顔のタネを蒔きました。早々と発芽して、梅雨空をものともせずにベランダの天井を目指して蔓を伸ばしています。毎朝、目が覚めるとまず朝顔たちのことを思います。昨日立てたポールに蔓は巻きついたかな? どこまで伸びたかな? 最初の花はいつかな? 

 今年もまた朝顔と、そして、4冊の本といっしょに夏を越します。


*写真は昨年の朝顔*


2021/05/02

東京新聞(夕刊)「海外文学の森へ」第8回で『ウサギ』について書きました

 今回は、ジョン・マーズデン文、ショーン・タン絵『ウサギ』岸本佐知子訳、河出書房新社刊、について。4月27日の東京新聞(夕刊)です。

 素晴らしい本です。絵本だけれど、絵本だから、ここまで細かく細かく描けるのか、そして想像力による読解を読者に委ねることができるのか、とため息をつきたくなるほどすごい本でした。

 ショーン・タンが24歳のときに描いた絵は、とんがっていて、鮮やかで。ジョン・マーズデンのことばは、「コロンブスが新大陸に到達した500年」を記念する1992年にバリー・ロペスが書いた本を思い出させます。

 1990年代に出た本だけあって、あのころのオーストラリア政府の先住民に対する姿勢も考えることができます。とにかく、謝ったのですよ、それまでの白豪主義でヨーロッパ白人を優先させてきた人種主義を捨てて、政府がこれまでの政策について、先住民に対して謝罪した。歴史的に見て、それはもう間違いなく、画期的なことでした。

2021/04/28

1964年はブリティッシュ・ポップスばかり聴いていた。

 先日、駅前のスーパーで買い物をしていたときだ。不意に耳に飛び込んできた。「ショート、ショート、……」なんだったっけ、この曲? 日本語で歌われてるみたいだけど、これ、原曲は英語だったな。60年代なのは間違いない。でも、思い出せない。気になってしかたがない。

 気になると、はっきりするまで徹底的に調べるのが癖なのだ。でも「ショート、ショート、……」だけでは手がかり不足で、数日がすぎた。

 少女期からのメモワール原稿をしあげていると1964年ころのことが出てきた。中学2、3年だった。北海道の田舎町で、古いラジオのダイヤルを東京の局に必死で合わせながら「ハローポップス」なんかを聴いていた。その年のヒット曲チャートをにぎわした曲を、記憶を頼りに手あたりしだいにGoogle やYouTube で調べた。圧倒的に1964年のものが多かった。

 出てきた!「恋はスバヤクShort on Love」ガス・バッカスGus Backus。これだ!発売は1963年だけど、あのころ洋楽が日本に入ってくるには時差があって、1年遅れなんてのはザラだった。でもスーパーで耳にしたのは日本語で歌っていた(ような気がした)のだけれど、誰? 

 まあいいか、とそこまでは深追いせずに、あのころのブリティッシュ・ポップスを調べているうちに出てくる、出てくる、当時はラジオと限られた写真しかなかったから、情報を次から次へ渡りあるいているうちにたっぷり夜は更けていった。

 ダントツ大好きビートルズは言わずもがな、デイヴ・クラーク・ファイブ、ゾンビーズ、ピーターとゴードン、サーチャーズ、ほとんどがブリティッシュのポップスだ。まあ、ロックといってもいい、4人組、5人組の男の子グループ。「グループ・サウンズ」の走りだ。

 ガス・バッカスはアメリカンだけどドイツで活躍した。アメリカンのヒットソングを次々とYouTube を見てると、ブリティッシュとは体の動きが決定的に違うのがわかる。面白い。なんか変にくだけてるのだ。ビートルズが流行らせた(とわたしは勝手に思っているのだけれど)襟なしスーツの、一応カチッとしてるブリティッシュとは決定的に違う。

 先日これもまたひょんなことからサーチャーズの「Love Portion No.9」という曲の歌詞を調べた。シングル盤やEP盤を買ったビートルズの曲は曲がりなりにも歌詞がついていたけど、耳から入るばかりの曲は、意味はほとんどわからない。日本語が「恋の特効薬」だったかな。

 英語の意味がサイコーにおかしいのだ。媚薬をゴクリと飲んだら目に入るものに手あたり次第にキスをすることになって、お巡りさんまで……という。。。そんなこと全然知らずに聞いていた中2、中3の少女だったなあ。笑うしかない。

2021/04/19

フェミニズムの視点からJ・M・クッツェー『少年時代』を読み直す(2)

『少年時代』はこう続く。

 母親が独り裏庭で自転車の乗り方を習得しようとする。脚を両側にまっすぐ伸ばして養鶏場までの斜面を下る。自転車が倒れて止まる。クロスバーがないので母親が転ぶことはない。ハンドルにしがみつきながら、ぶざまな格好でよろめくだけだ。
 彼は内心、母親に反感を覚える。その夜は父親のひやかしに加勢する。これがひどい裏切りなのはよくわかっている。いまや母親は孤立無縁だ。

 それでも母親は自転車に乗れるようになり、おぼつかない、ふらつく乗り方ながら、懸命に重たいクランクを回転させる。

 母親がヴスターまで遠出するのは、午前中、彼が学校へ行っているときだ。一度だけ母親が自転車に乗っている姿をちらりと見かける。白いブラウスに黒っぽいスカート。ポプラ通りを家に向かってやってくる。髪を風になびかせて。母親は若く見える、少女のようだ、若くて生き生きとして謎めいている。


 この描写は、もちろん、当時の少年の心理を57歳の作家が鋭く分析しながら書いたものだ。

 少年は、周囲の環境のなかで孤立すると、どうして自分はみんなと違うんだろ、どうして自分の家族が「ふつう」じゃないんだろ、と悩む。でも、自分の母親がみんなとは違うことがちょっぴり自慢でもある。他の家族と違って母親が家で主導権を握っていることにも、変だと思いながら、ありがたいと思う。でも。


 父親は黒く重たい自転車が壁に立てかけてあるのを見るたびに冗談にする。父親の冗談によれば、ヴスターの住人たちは自転車に乗った女があえぎながら通り過ぎるあいだ、仕事の手を止めて身を起こし、口をあんぐりと開けているそうだ。よいしょ! よいしょ!  と彼らは母親を囃し立て、冷やかす。冗談は少しも面白くないが、彼と父親はそのあと決まって大声で笑う。母親のほうは、機知に富んだことばを返すことがない。そんな資質に恵まれていないのだ。「笑いたければ笑えばいい」という。

 そしてある日、なんの説明もないまま、母親は自転車に乗るのをやめる。それから間もなく自転車は姿を消す。だれもなにもいわないが、彼には身のほどを思い知らされた母親が諦めたことがわかる、そして自分にその責任の一端があることもわかる。いつかきっとこの埋め合わせをしよう、と彼は心に誓う。


 でも、幼ない子供にとって、母親は生きるための大地のような存在だ。とりわけ最初の子供は生まれ落ちたときから自分を中心に世界が回っている経験をすることが多いため、母親には、とにかく子供である自分を中心に生きていてほしい。少年の体験として、クッツェーは正直にそれを書く。

 自転車に乗っている母親の姿が彼の脳裏から離れない。母親がペダルをぐんぐんこいでポプラ通りを走りながら、彼から逃げて、自分の欲望に向かって行こうとしている。母親に行ってほしくない。自分の欲望をもってほしくない。母親にはいつも家にいてほしい、家に帰ったとき彼を待っていてほしい。彼が父親と組んで母親に対抗することは滅多にない。断然、母親と組んで父親に対抗したいほうなのだ。でもこの件では、男たちの側につく。

 そして「いつかきっとこの埋め合わせをしよう」と心に誓った少年は、ものすごい勢いで自立して成功への道を探る。ノーベル賞受賞時の晩餐会のスピーチにもあるように、「とにもかくにも、自分の母のためでなければ、われわれはノーベル賞を受賞するようなことを、はたしてするものだろうか?」といってテーブルについた大勢の客達から笑いをとった。

 実は、必ずしも母親でなくてもいいのだけれど、自分を大事に思ってくれる人、自分を大切にケアしてくれる人への繋がりが子供の成長にはとても大切なのだ。幼い生命にとっての養分なのだから、それが手当なく遮断されたり、長期的に途切れたりすると、幼い命は疲弊する。疲弊すると、花でも野菜でも、伸びやかには育たない。子供は自分だけの「誰か特別な人」がほしいものだ。長いあいだそれは「母親の仕事」とされてきた。1940年代の南アフリカでも。
 クッツェーの母親は周囲に同調して、みんなと同じように子供を育てることはしない。その子の性格や力に合わせた教育が大事だとして徹底的に保護する。『サマータイム』の最後の断章でも、シュタイナー、モンティッソーリという教育者の名前を作家自身が引き合いに出している

 『少年時代』の第1章の最後で、クッツェーは「男たちの側に」ついたことが母親への裏切りだったと自省する。フェミニズムという語が、今のような意味で使われるのは1960年代になってからだ。セクシャル・ハラスメントという語も知られるようになった90年代後半に、50年ほど前の田舎町ヴスターでの出来事を作家は書いている。それも自分自身が息子を早々と失ったのちに。。。

 そのことを考え合わせると、この第一章を書いている作家の位置が、二重、三重に違って見えてきた。読者によって、フェミニズム的視点から分析されるのを待っているような作品ではないか。

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2021.4.27──昨日、facebookとtwitter でシェアしたときのコメントを備忘のために追加:
「1940年生まれの作家が自分の少年時代、青年時代から30代の「朱夏のとき」まで、徹底的に自分を突き放すようにして他者化して、過去の記憶の内部をさらしながら物語にまとめる作業はフェミニズムという時代の風を受けてさらに輝いて見える」

2021/04/18

フェミニズムの視点からJ・M・クッツェー『少年時代』を読み直す(1)

J・M・クッツェーの『少年時代』を読みなおした。

 16歳の少年ジョンはカルティエ=ブレッソンに憧れて、将来は写真家になろうと考えていた。カレッジ時代のことだ。そのころ撮ったフィルムや機材などが出てきて、Photographs from Boyhood として2020年に出版された。そこにはアーティストとしてのクッツェーの出発点となる方法論が明確に出ている。(日本語訳も2021年の秋に出る。)

 翻訳作業にあわせて自伝的フィクション『少年時代』を再読した。そして面白いことに気づいた。これは個性の強い、しっかり者の母を持ち、その母から深く愛されて育った少年の自伝的物語として読めることだ。つまり、フェミニズム的な視点から読みなおすことができるのだ。

 アパルトヘイト制度が確立されていく1940年代後半の南アフリカで少年時代を送ったジョン・クッツェーは、母親をどんな風に見ていたか。白人女性である彼の母親は社会的にどのような位置にあったのか。母親と少年の関係を軸にしてこの作品を読み直すとどんなことがわかるか。

 学校の成績は抜群だが周囲から浮いてしまう男の子を母親がどう守って育てたか。その母親はどんな人物だったか。これは母と男の子の関係を考えるための宝庫のような作品だった。

 のっけから母親が家に閉じ込められることを嫌って、自転車を買ってくる場面がある。第一章だ。

 母親は、馬は買わない。その代わり予告なく自転車を買う。女性用の中古で、黒く塗ってある。やけに大きく重たいので、彼が庭で試してみても、ペダルをまわすことができない。

 母親は自転車の乗り方を知らない。たぶん馬の乗り方も知らないかもしれない。自転車を買ったのは、自転車なら簡単に乗れると思ったのだろう。そこで母親は乗り方を教えてくれる人がいないと気づく。

 父親は、それみたことかと笑いを隠さない。女は自転車になんか乗らないもんだという。それでも母親は負けない。わたしはこの家の囚人になんかならないわよ、わたしは自由になるの、といって。

 家に閉じ込められずに自由に生きたい、と移動の手段に、母は自転車を手に入れた。

 最初、彼は母親が自分の自転車をもつなんてすばらしいと思った。三人そろって自転車に乗り、ポプラ通りを走っているところを思い描いたこともある。母親と自分と弟と。ところがいま、父親の冗談に母親が頑固にだんまりを決め込むしかないのを見ていると、気持ちがぐらついてくる。女は自転車になんか乗らないもんだ、という父親のほうが正しかったらどうしよう? もしも母親に乗り方を教えてくれる人があらわれなかったら、もしもリユニオン・パークのほかの主婦はだれも自転車をもっていなかったら、とするとあるいは女は本当に自転車になんか乗らないものかもしれない。

 ケープタウンから移り住んだ田舎町は、「女は自転車なんか乗らないもの」とする社会だった。クッツェーの母親ヴェラが、今から見れば非常に自立心の強い頑張りやで、気骨のある女性だったことが伝わってくる。

 

2021/04/16

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのインタビュー:パート1&2



これはアディーチェがナイジェリアで受けた初めてのインタビューです。インタビュアーはエブカ・オビ=ウチェンドゥ:Ebuka Obi-Uchendu。非常に細やかな質問がいくつも出されて、それに対してアディーチェは注意深く考えながらも非常に細やかに答えている、そんな感じがします。


2021/03/26

日本語訳が出ます──J. M. Coetzee: Photographs from Boyhood

ブログを長いあいだ書かなかった。3月は今日が初めてだ。いろんなことがどんどん起きているけれど、ほとんど冬眠状態のような暮らしだった。完全引きこもり状態で冬を越した。引きこもっているうちに、翻訳を1本しあげた。この本です! 秋に書店に並びます。

     J. M. Coetzee: Photographs from Boyhood 

 そして、春になった。まちがいなく春になった。梅が咲いて、風が吹いていたけど、桃が咲いて、杏が咲いて、ユキヤナギの白いはなびらが風に散って、ついに桜の咲く季節になった。

 今年も、コロナ禍は続く。去年のいまごろに比べたら「どうしよう感」は少なくなった。このウィルスがどういう性質を持つのか、どういう経路で感染するのか、感染を防ぐにはどうすればいいのか、対処法も伝わり、少しは身について、日々の暮らしのなかで、緊張感はやや薄らいだ。でも、感染者は増えている。死者も着実に増えている。身体の弱い人、基礎疾患をもつ人や高齢者の割合が、当然のことながら高い。ウィルスは人を選ばないから、感染したらたたかえる力の少ない者は自衛するしかない。危険をできるだけ避けて、家に引きこもりがちになる。淋しいし、辛いけど、もしも感染したら……と思う緊張感のほうがまだまだ強い。重い病気になったり、大きな怪我をしたら、病院へ行っても……と不安になる。だから、それについて考えずにいられるような空間に引きこもる。

 もう一冊、しあげたのだけれど、それについてはまた別に報告したい。今日はひたすら脱力。吹く風の音に耳を澄ましている。

 母が逝ってもうすぐ7年になる。

2021/02/19

アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』が出てから約4年

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社)が出たのは2017年の4月だった。あれからもうすぐ4年。

 まだ4年とみるか、もう4年とみるか、人それぞれでずいぶん違うかもしれないけど、4年前にこの翻訳書を出すとき自分が考えていたことと、いま感じていることの差に呆然とする。4年前の3月末、見本ができてきて、これは家族みんなにプレゼントしなきゃ、と思って息子、娘、夫の妹、などに手渡したことを覚えている。ちょっとドキドキしながら。そう、「フェミニスト」という語を見て、みんなどんな反応をするかな、とドキドキしながらだったのだ。

 でも、あれから4年がすぎてみると、フェミニストという語はとりわけドキドキするような語ではなくなった。どこにでも出てくる。別に特別なことばじゃなくなった。すごい変化があったということだ、この4年間に。

 本が出た年の5月末、B&Bで作家の星野智幸さんと「"フェミニスト"が生まれ変わる」というイベントをした。このときもまだドキドキは続いていた。なぜ We Should を「私たちは〜」と訳さずに、あえて「男も女も〜」と訳すことにしたか、そのときも話題になった。あのころは、「私たち」とすると、そこに男性読者が自分も含まれていると当たり前のように、すっと感じるだろうか? その疑問が、当時は避けて通れない「重たい」課題だったからだ。自分には関係ない、と素通りする男性が圧倒的に多いだろう、と訳者も編集者も考えた。それは絶対に避けたい、そう思った。

 次々とセクハラ事件の被害者が声を上げたのはこの年だった。夏になって、神田でイベントが開かれたときの熱気もすごかったけれど、じわじわじわっ〜と広がっていった「フェミニズム」という語へのポジティヴな動きは、翌年12月にチョ・ナムジュ『1983年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳・筑摩書房)が出て決定的なものになった。一気に火がついた。それまでにもいろんな本が出ていて、勢いは野火のように広がっていった。2019年春にはフラワーデモが始まった。

 どれだけ、これまで、みんな、ガマンしてきたんだろう。どれだけ、これまで、みんな、思っていても言えなかったんだろう。どれだけ、これまで、みんな、ことばを奪われてきたことに気づかずに生きてきたんだろう。気づいてことばを発しても、無視され、変人扱いされ、後ろ指さされてきたんだ。。。

 さまざまな思いが駆けめぐる。そしていま、バックラッシュと言われようが、なんと言われようが、これはもうそんな一過性のものじゃないんだと、多くの人たちが思っている。大きく何かが変わった。風穴があいて、シフトが変わった。認識を改める時期にきたのだ。風向きだけじゃない。大地に亀裂が走って、川がザンブリと波打って、この流れはもう止まらない、止められないところへやってきたのだ。マグマのように意識の下で燃えるもの。

 ようやく。

 この4年間にいろんな本が出た。韓国の文学が多いけれど、それだけじゃない。説教したがる男たちの「マンスプレイニング」を白日の元に晒した名著とか、男性が自分の「男らしさ」を検証する本も出るようになった。まだまだこれから、だけど。

 2017年5月のイベント@B&Bは「すばる」に掲載されて、「ハッピーなフェミニスト」としてウェブで読むことができる。We shoudを「私たち……」と訳しても、男性読者がそれは自分のことでもあると思う日がくるといいなあ、と思ってから4年。いまなら「私たち」と訳してもいいだろうか、いいような気が「ちょっとだけ」している。

 この4年間の変化は大きい。ジェンダー指数が低い日本社会にも、ようやく春がくるだろうか。。。もう引き返すことはできない。後ろはないのだ。崖っぷちまで全員が来てしまったのだ。そう、「私たち」「男も女も」「女でなくても男でなくても」みんなが。

 昨日、『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』の何度目かの重版見本が届いた。

2021/02/12

「対等な関係でありたい」──今読みたい世界のモノガタリ、最終回

『英語教育 3月号』に「対等な関係でありたい」という文章を書きました。今読みたい世界のモノガタリ、第6回・最終回です。

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編集『なにかが首のまわりに』のなかの同名の短編作品について書いてください、と編集部から依頼があったのですが、これは、いくつかのアンソロジーに入っている短編で、すでにいろいろ話をしたり書いたりしてきた作品です。

最初に日本語訳になった2007年の時点では、まだ「アメリカにいる、きみ You in America」というタイトルだったのが、2009年に英語版の短編集が出たとき The Thing Around Your Neck となって、そのまま文庫化された短編集(2019)のタイトル──なにかが首のまわりに──になりました。

 今回は、最初のバージョン(2001)と最終的なバージョン(2009)の大きな違いについて書きました。そう、最後のところです。そこが決定的に変わったのです。

 付き合ってきた裕福な白人の男の子に対して、ラゴスに帰る主人公が空港で、見送りにきたその男の子と別れる場面。


──アメリカで「裕福でリベラルな」両親に育てられた若者の屈折した性格、その両親に対して彼が抱く不満(これは「きみ」には理解できない)などには変化がなく、書き換えられたのは、良かれと思って一方的に「きみ」にプレゼントを買ってくる若者への「きみ」の感情と態度で、そこに決定的な変化が書き込まれている。なぜいつも自分が「もらってばかり」になってしまうのか、という理不尽さが行間からにじみ出てくるのだ。

 「きみ」はわずかな賃金からピン札を選んで故郷ラゴスの母親に送金する。でも手紙は書かない。書きたいことはたくさんあるのに書けないのだ。ようやく書いた手紙に、母親からすぐに返事が来る。そこには父親が死んだとあった。恋人ができてアメリカ社会の仕組みを発見しながらすぎていく暮らしのなかで、父親が死んだことも知らずにいた、と「きみ」は泣き、自分を責める。

 故郷へ帰るとき、飛行場まで送ってくれた彼を「きみ」はしっかりと抱きしめる。ところがそのシーンが大きく書き換えられて……


 具体的にどう変わったのか、この続きは『英語教育 3月号』で、ぜひ!

 2月13日発売です。

2021/02/09

今日はJ・M・クッツェーの誕生日。Happy Birthday, John!

ジョン・マクスウェル・クッツェーの今日は81回目の誕生日です。おめでとうございます!

昨年マカンダで開かれた作家の誕生日とアマズウィの開館記念を兼ねたイベントの写真を何枚かシェアして、81歳のお祝いをしよう。