2009/10/27

書評『ルポ 資源大陸アフリカ』── アフリカは遠いか?(その2)

「アフリカは遠いか?──その2」

10月25日付けの北海道新聞朝刊「ほん」の欄に、毎日新聞記者の白戸圭一さんが書いた『ルポ 資源大陸アフリカ』の書評を書きました。

 今日、ネット版にアップされました。(追記:11月5日現在、翌週ページに移動したので、こちらへファイルします。)

 800字という字数のなかに、シングル・ストーリーにならないように書くのは、ほとんど不可能に近いことでした。それでも、この本は「アフリカは遠いか?」という問いに、ひとつの答えを出してくれる貴重な本です。

2009/10/22

シングル・ストーリーの危険 ── アフリカは遠いか?(その1)

「アフリカは遠いか?──その1」

木の葉が色づきはじめ、もうすぐ秋もたけなわ、といった感じですが、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』の翻訳もいよいよ佳境に入ってきました。
 読者のみなさまにお届けするまでには、もう少し時間がかかりますが、最近のアディーチェの横顔を伝える動画がありますので、ご紹介します。

 話の内容は「 The danger of a single story/シングル・ストーリーの危険」というタイトルによくあらわれています。
 「アフリカ」というと饑餓、貧困、紛争、サファリ、野生動物、エイズで死んでいく人びと、とステロタイプなイメージしか持たない北側の人間の横柄さ、そして、それを許している世界のメディアに切り込む彼女のことばが新鮮です。ものごとを片面からしか見ようとしない人間の視野の狭さを、その危険性を、アディーチェはみずからの体験をふまえて、縦横に語っています。

 軽くのぞいてみてください。ここです。ときおり笑顔を見せながら、野太い声と平明なことばで、説得力にみちたスピーチを聞かせてくれます。

 ステロタイプを笑い飛ばす彼女の快活さに拍手! 笑い飛ばしながら、鋭い指摘をいくつもする知性にも拍手! まあ、拍手ばかりしてもいられないのですが・・・ね。

 

2009/10/08

フィクションの枠内で虚実のあわいを漂う”クッツェー”

J・M・クッツェーは発表する作品ごとに奇抜な手法を使って、読者を驚かせたり楽しませたりしてきた作家だ。8月にHarvill Secker から出た『サマータイム/Summertime』は1997年の『少年時代』、2002年の『青年時代』につづく自伝的作品の最終巻で、その斬新な手法にまたしても誰もがあっけにとられた。

「自伝的作品」とするのは『少年時代』も『青年時代』も3人称現在形でフィクションとして書かれているからだ。作家の少年期、青年期の横顔を彷彿とさせるエピソードには、きらりと光る真実がチップのように埋め込まれている。
 このような書き方の根底には、過去の自分をその当時の自分とは異なる存在が書いている事実をあいまいにしない、という意識的な姿勢がある。記憶や思い出を現在から見て都合よく変形しながら、1人称過去形で物語る従来の「自伝」という概念に対して、クッツェーは根底的な疑問をつきつけてきたといえるだろう。

 今回の『サマータイム』ではさらに、手法の劇的変換が見られる。これがまたすこぶる刺激的で、端正な文体はじつに軽やか。
 全体は7章に分かれ、第1章と最終章が作家の残したメモと断章で、まず第1章で米国から帰国した独身のジョンが、やもめの父親と廃屋のような家に暮らしていることが分かる。(実際は当時クッツェーには妻も子もいたし母親も健在、その事実は作品内から完全に消去されている。)
 ところが第2章からは一変してインタビュー形式となり、ヴィンセントなる若い伝記作家が登場する。そして読者はいきなり作家ジョン・クッツェーがすでに死んでいることを知らされるのだ。

 伝記作家は生前のクッツェーとは面識がなく、『ダスクランズ』を書きはじめたころから第二作目『その国の奥で』を仕上げていた時期(1972〜77年)に焦点をあて、彼と親交のあった5人の人物にインタビューを試みる。その5人とは、帰国したばかりのジョンの情人となる人妻ジュリア、カルーの農場でジョンが唯一心を開くことのできたいとこのマルゴ、ジョンが一方的にのぼせあがったブラジル人ダンサーのアドリアーナ、ケープタウン大学時代の同僚マーティン、10歳年下のやはり同僚でジョンといっしょにアフリカ文学の講座を教えるフランス人、ソフィーだ。
 とにかく女性たちの語り口がすごい。当時のジョンに対して情け容赦ないことばをあびせるのだ。そこに浮かび上がるのは、ヒッピーのように髭を生やして詩を書いている不器用な本の虫、他人に自分を開いて見せることができず、一族のあいだでも徹底的な変人として扱われる人物である。

 フィクションという枠内で、虚実のあわいを漂いながら、あくまで外側から突き放したように自画像を描こうとする物語は、ときに可笑しく、ときに哀切で、痛々しいまでに苛烈だ。「他者に語らせる自伝」という形式によって初めて、30代半ばという「朱夏のとき」を書くことができるとクッツェーは考えたのだろうか。長いあいだ温めてきたプロジェクトだと、作家自身は語っていた。
 研ぎ澄まされたことばと、行間にちりばめられた貴石のような沈黙が、心にしみる作品である。

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付記:J.M.クッツェーが3度目のブッカー賞を受賞したら、ある全国紙に掲載される予定で書いたものです。残念ながらブッカー賞ハットトリックならずで、ここに載せることにしました。
 2012.5.13/少し補筆しました。

2009/10/07

J・M・クッツェー『サマータイム/Summertime』──朗読

8月中旬、発売予定を半月もくりあげて出版されたJ・M・クッツェーの『サマータイム/Summertime』は今年、ブッカー賞ショートリストにノミネートされ、ずいぶん話題になりました。惜しくも3度目の受賞は逃しましたが、今回もまた授賞式/パーティー(?)には出席しなかったようです。

 その新作から彼が朗読するようすを、つぎの2つのサイトで聴くことができます。

 http://news.bbc.co.uk/today/hi/today/newsid_8278000/8278003.stm

 http://www.nybooks.com/podcasts/

 これは『少年時代』からはじまるフィクション化された自伝トリロジーの最終巻にあたります。本の詳細はいずれまた。

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2012.5.15 付記:上記の2つのサイトは変わってしまったようです。BBCでは少しだけクッツェーの声が聞こえますが、アナウンサーはあいかわらず「クッツィー」などと発音しているのが残念です。

2009/10/06

愛するものの束縛から自分を切り離して

「愛するものの束縛から自分を切り離して自由になるのがベストだよ」彼は散歩の途中でそう言った──「自分を切り離して、その傷が癒えるのを待つんだ」彼女は彼のことをぴたり正確に理解する。なににもましてそれが、二人が共有していることだから、それは・・・・・・への愛だけではなく、愛に付いてくるものを理解し、愛しすぎてしまうこともあると理解していることだ。

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以前、読んだ本から。強く心に残り、書き留めておいたことばです。

2009/10/01

現代詩焼くように訳してしまえ

というフレーズに目を奪われた。

今月の「水牛のように」にある藤井貞和氏の詩の一行。


高橋悠治さんの「記憶と夢のあいだ」にも刺激的なことばがならんでいる。すこし引用してみようか──。


「理論からははじまらない 眼に見えるものではなく 手をうごかし・・・中略・・・

記憶と夢のあいだ というより 思い出せないことを思い出し まだどこにもないものを夢みるのが音楽だ という ますます強くなる予測に突き動かされ 手 をうごかすなかで新しい発見がある それはまだことばになりきれないままで 途切れるとそのまま消えてしまう輪のように かたちもなく 宙に浮いている」


 十月は収穫のとき!

2009/09/27

J・M・クッツェーの小説が発禁にならなかったわけ──南アフリカの検閲制度(2)

アパルトヘイト下の検閲制度に関するクッツェー発言で注意しなければならないのは、検閲官は当時の南アフリカ社会において、みずからを「文学という共和国の守護者」と考えていた作家や大学人だったことだ。つまり彼らは自分の役割を、無教養な国家から文学が生き残るスペースを保護すること、と見なしていた。この点は注目にあたいする。当時の南アの白人社会内部からみれば「勤勉な、ごく普通の人」(もちろん秘密裏に)だったのだろう。

 2008年5月オークランドの作家フェスでクッツェーは検閲制度について述べ、検閲対象となったった次の3作品から朗読した。

  In the Heart of the Country(1977)──日本語訳『石の女』
  Waiting for the Barbarians(1980)──〃『夷狄を待ちながら』
  Life and Times of Michael K(1983)──〃『マイケル・K』

 英国のイースト・アングリア大学でも、ほぼ同時期にクッツェーはおなじような報告をしている。その詳細はサイモン・ウィルスの記事として雑誌「Granta:2008/6/23」で読める。
 
 マクドナルドの『The Literature Police』によると、3冊はまず一般的な選別を受け、それから「文芸委員会」へ送られた。「Country」は異例なことに3人の検閲官、H・ファン・デル・メルヴェ・スコルツ(ケープタウン大学の同僚)、アンナ・ラウ(作家)、F. C. フェンシャムによって精読された。一方「Barbarians」はレジナルド・ライトンによって、「Michael K」はリタ・スコルツ(「Country」を検閲したスコルツの妻)によって精読されたが、このように1人が読んで報告書を出すのが検閲の実施方法としてはより一般的だったらしい。(p309)

 実際1977年に「Country」の南ア独自版がレイバン社から出るとき(この小説は同年にまずロンドンのセッカー社から出た)、作家もレイバンの編集者ピーター・ランドールも、本が発禁にならないよう細心の注意を払っている。そのようすが、両者のあいだの書簡からうかがえ、クッツェーは何カ所か書き直してぼかすことまで提案している。
『夷狄』が出たときも、『マイケル・K』が出たときも、検閲委員会は「じゅうぶんに」機能していた。ところが、1986年の『フォー』は対象外となり、アパルトヘイトの内実をはっきりと書いた『鉄の時代』も対象外。『鉄の時代』が出た1990年は、アパルトヘイトが崩れていくきざしが誰の目にもあきらかになった年だった。

 1988〜9年当時、反体制の新聞は検閲にひっかかった記事を黒塗りしたまま発行するといった抵抗手段をとっていたが、外部からみると、書物に対しても人に対しても、なにが発禁/活動禁止になり、なにがスルーするか、細かなところまでは判断できなかった。
 そのころ南ア国内にいて小説を書いていたクッツェーは、事態の推移をおしはかりながら『鉄の時代』の書き方を決めていったのだろう。その内実が、マクドナルドの著作によっていま、手に取るように明らかになった。

The Literature Police』は、クッツェー作品の一般読者にとっての必読書とまではいえないにしても、同時代を生きるこの作家の作品を訳したり研究したりする者には欠かせない内容を含んでいる。どのような場からあの作品群が生み出されたかを知るためにも、この作家を形成した社会/文化的背景を知るためにも、たいへん役立つからだ。

 1999年に行われたクッツェーへの独自インタビューをも含むこの本について、作家自身はこう述べている──「アパルトヘイト時代の南アフリカで文芸創作を形成かつ変形した暴力を、わたしたちが理解したいと思うなら、必読の書だ──J.M.クッツェー」

(了)

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2011年7月20日、付記:クッツェーが2010年5月にテキサス州オースティンで公演をした映像が見つかりました。ここで触れた検閲官の名前の読みを、その公演でクッツェー自身が語っている音に変更します。ex. ショルツ→スコルツ

2009/09/19

J・M・クッツェーの小説が発禁にならなかったわけ──南アフリカの検閲制度(1)

面白い本が出た。

 南アフリカのアパルトヘイト体制下で実施されていた検閲制度が、作家、出版社、編集者にどのようなことを強いたのか? その時代、作家たちは書きたいことを書くため、自分の作品を出版するため、発禁にならないようにするため、どのような戦略をもちいたか? その過程で、内面にどのような葛藤を抱え込んだか?
 あるいは、編集者とどんな手紙のやりとりをしたか? 発禁になったために出版社はどれだけの損害をこうむったか? 検閲制度の具体的な実態と、制度を支えていた思想について、さらにはそれがもたらした結果について、秘密裏に保管されていた膨大な資料を用いながら緻密に分析した本が出たのだ。

 本のタイトルは『The Literature Police/文芸警察』(Oxford Univ. Press, 2009)。著者は、ピーター・D・マクドナルド、1964年ケープタウン生まれの気鋭の学者だ。

 全体が二部構成になっている。第一部には、検閲制度、出版社、作家について述べた3つの章がおさめられ、第二部を構成する6つの章では、多くの著作を発禁処分にされたナディン・ゴーディマ、エスキア・ムパシェーレ、ブライテン・ブライテンバッハとルルー、黒人詩人たち、さらには発禁をまぬがれたJMクッツェー、最後に反体制文化活動の中心的雑誌だった「スタッフライダー」、についてそれぞれ論じられている。

 図版も豊富だ。80年代後半から90年にかけて私も入手した雑誌や書籍の写真がたくさん掲載されている。それを見ていると、ある感慨に襲われる。
 年譜(1910年〜96年)も充実している。1931年に作られた検閲法を実施するための委員会は、ネルソン・マンデラが解放された1990年に実質的に機能停止になった。しかし法律自体が完全に廃止されたのは1996年、新たな出版法ができたときだった。

 クッツェーをめぐる第8章は本当に面白かった。彼の著作のなかで検閲委員会が対象にしたのは3冊だけだというのも興味深いが、いずれも「望ましくない」となることはなく、発禁にはならなかった。その理由は、マクドナルドが引用する、検閲者の報告書からおよそのことが推察できる。いま読むと、現実を知らない部外者には滑稽に思えるほど。だが、当時の南アフリカで生きる「常識的」人間の考え方をありありと伝えていて、現代および外部世界との落差/僅差(?)に愕然とする。
『IN THE HEART OF THE COUNTRY/(邦題:石の女)』のレイプ場面に対する感想など、当然のことながら、男女で意見がまったくちがう。クッツェーのポストモダン的作風は、旧態然とした「リアリズム」をもとにして考えようとする検閲者の目を、みごとにすり抜けたことが確認できるのだ。

 昨年5月にニュージーランドのオークランドで開かれた「作家と読者のフェスティヴァル」に招かれたクッツェーは、その場で、彼の小説を検閲した報告書が出てきたこと(その事実は2007年にマクドナルドから知らされたそうだ)について、たとえば、ケープタウン大学の同僚の一人が検閲官だったこと、彼自身は検閲の報告書はとうにスクラップされたと思っていたことなどについて語ったという。(つづく)
 

2009/09/10

カナダの大自然──湖と野生動物と

いま一度、カナダの雄大な自然をお届けします。
 ブライアン・スモールショー氏の撮影した写真。まずは、リンダ湖です。


なんと、山羊がいるんですねえ! 母さん山羊と仔山羊です。

このサイトへ行くと、すばらしい写真がもっとたくさん見ることができます。

photo:©Brian Smallshaw

2009/09/05

美味しい読書──佐野洋子

昨年春に出た『シズコさん』は圧巻だった。母親との確執を、息つかせずに読ませる内容だった。この本で佐野洋子はそれまでにない読者層をつかんだように思える。

 その直後に出た『役に立たない日々』もまた面白かった。笑って読んだ。過去に出たエッセイ集もどんどん文庫化されているようで、嬉しい。個人としての人間の来し方、行く末をしみじみ考える。そして、元気が出る。

 今年になって出た、新しいエッセイ集『問題があります』を、少しずつ楽しみながら読んでいる。

 かつて佐野洋子は、自分には文体はひとつしかない、と発言した。しかし、なぜこれほど心打つ文章を彼女が書けるのか、考えてみると、それは身を削って生きてきた彼女自身の存在を惜しみなく読者に見せてくれるからかもしれない。書くことでさらす、そのことに賭ける潔さを感じるのだ。しかし、最初からそこまで到達していたわけではない。
 佐野洋子が最初に発表した、絵本以外の書物『わたしが妹だったとき』には、みずみずしい子どもの感情、感覚が、みとごに結晶化されていた。『右の心臓』もまた、ヤングアダルト向けの本とは思えない、深く心打たれる文章だった。だが、ここ数年のような凄さはなかった。

 ある時点から彼女は変わった。この絵本作家のかぎりなく簡潔な、てらいのない文体は、人間の虚飾をざっぱり切り捨て、核心に一気に迫るようになった。くりかえし語られる自分自身の生きてきた軌跡が、不器用なまでに鍛え抜かれたことばによって、読者の心をわしづかみするようになったのだ。こざかしい器用さがまるで感じられない。単刀直入、大陸的といえば大陸的。彼女が戦中生まれ育った、北京や大連と関連づけられそうだが、そういうお決まりのレッテルにはおさまりきらないものが、彼女の作品からは立ちのぼってくる。そこがすごい。

 それは、これまでの「推し量る」ことを美とする日本の文化にはなかなか育ちにくかったものであることも、おそらく、間違いない。狭い集団内のことば使いからははじき出される体験によって培われた感覚、まさに一種のクレオール的姿勢がこの書き手には見られる。それは、真実を書こう、伝えよう、とする姿勢に貫かれているためであることもまた、疑いえない。
 

2009/09/02

ターコイズブルーのレイク・オハラ

バンクーバー沖に浮かぶ島に住む友人一家が、この夏、キャンプにいったときに撮影した写真を送ってくれました。
目の覚めるような色合いです。

 Lake O'hara.

写真をクリックするとかなり大きくなります。お楽しみください。

photo:©Brian Smallshaw

2009/08/27

アシャ/ASA──ナイジェリアから飛び立った小さな隼

さあ、今年75歳のムスタキおじいさんが続いたので、この辺で思いっきり若手に登場してもらいましょう。

 アシャ/ASA。

1982年生まれというので、今年まだ27歳です! 生まれはパリですが、両親はヨルバ系ナイジェリア人で、小さいときにすぐナイジェリアに戻って、ラゴスで育ったそうです。で、おもに英語で歌っていますが、音楽活動の拠点はパリ。運命みたいなものを感じるとか。

 とにかく、すっごくいいです。オフィシャルサイトに行くとすぐかかるのが、初アルバム「ASA」の最初の曲、「Jailer/看守」。それで思い出したのは、マジェク・ファシェク/Majek Fashek の1990年のアルバム「Prisoner of Conscience」です。あらためて、ナイジェリアの音楽ってものすごく層があついのを感じます。

 アルバムジャケットの写真が、眼鏡をかけてわめいているようなショットなので、一瞬、引きましたが、YOUTUBE で歌ってる映像を見て、うーん、これはすごい、と思いました。ひさびさに「参りました」。ちょっとトレイシー・チャップマンを思い出させるところがありますが、もっともっとのびやか。でも、歌はね、そうねえ、エムリン・ミシェルとも違う、チオニソとも違う。ことばの意味がストレートに伝わってきます。語りの調子が、しぶいです。良いです。

 おなじナイジェリア人のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが1977年生まれですから、アシャより5歳ほど年上ですが、現代の若い歌姫アシャを聞きながら、『半分のぼった黄色い太陽』を訳すのもいいかな〜なんて。
 とにかくお薦めです。

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付記:いやいや、ちょっと調べたら、アシャは昨年来日していました。日本語のオフィシャルサイトもありました! インタビューも出てきました。すごい人気なんですねえ。