2025/12/13

Dusklands『ダスクランズ』のカバーにクッツェーが使おうとした写真

 これも記録のために書いておく。

写真1
 昨年2024年はJ・M・クッツェーが最初の小説『ダスクランズ』を発表してから50年にあたる年で、ケープタウンとアデレードで相次いで記念のコンフェランスが開催された。

 4月18-19日にまずウェスタンケープ大学で開かれたコンフェランスの記録が、雑誌 English in Africa Volume 52, Issue1-2 にアップされている。発表された論文のなかでは、キャロル・クラークスンとハーマン・ウィッテンバーグのRe-readingDusklandsデイヴィッド・アトウェルのDusklands and the Postcolonial Turn あたりがおもしろそうだ。

 クラークスンとアトウェルはオランダやイギリスの大学で教えていたが、現在はケープタウンに戻っている。この常連たちにつづいて、若手研究者の論文がならぶ。概略はそれぞれのリンク先で読めるが、本文は購読手続きが必要だ。

写真2
 注目すべきは、雑誌今号のカバーだ。このナマ民族の女性の写真を、クッツェーは作家としてデビューする自作のカバーに選んでいたという(写真1、2)。

 だが出版元のレイバン社はそれを採用せずに、田園風景をぼんやり遠くから描いた絵を使った。1974年の南アフリカの読者層を考えると、あるいは、検閲制度を考えると、どういうことだったのか、あらためて考えざるをえない。というよりも、植民地主義をどう考えるか、クッツェーという作家の仕事を、50年という時間の経過から考えると何が見えてくるか、ということなんだろう。


 実際に発売された Dusklands の田園風景ふうのカバーも、すでに何度かこのブログでも紹介してきたけれど、ここにもアップ。比較して考えてみてほしい。

 1974年、アパルトヘイト政策が開始されて26年、クッツェーは34歳。

 1994年、アパルトヘイト撤廃、作家54歳。

 2024年、『ダスクランズ』発表から50年、作家84歳。


 アデレードで開催されたコンフェランスは、もっぱら文学理論上のテーマなどでクッツェー作品を分析し論じる会だったようだ。アデレード在住のクッツェーは出席者たちに、3年後に『その国の奥で』50周年なんてのはもうやらないでほしい、と釘を刺したとか。ふ〜ん、やっぱり。62歳でオーストラリアへ移住したクッツェーが、自分はそれほど南アフリカから遠ざかったわけではない、と言ったのをまた思い出してしまうな。

 先日はベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガルなどを訪ねた長旅の最後に、南アフリカを再訪して、ステレンボッシュ大学で11月3-7日に開催された Nobel in Africa


アブドゥルラザク・グルナたちとステージに上がっていたっけ。

2025/12/04

マッチョなアフリカに「愛はくる」か?⎯で秋は終わる

 11月1日、世田谷文学館で「マッチョなアフリカに「愛はくる」か?」という、我ながらどこから湧いてきたんだろ? と思うようなタイトルで話をした。記録のため書いておきたい。

 5回の連続講座で共通のテーマが「愛」。ええっ? そういうのめっちゃ苦手なんだなあ、と一瞬思ったけれど、他の4人の講師陣を眺めやると、ほぼ男性で、私とほぼ同世代で、となると「愛」は舌に美味なる大きなテーマに違いない。苦い愛も含めて全体には愛への讃歌に満ちた作品が登場するんだろうと想像がついた。(ちがっていたら、ごめんなさい!)

 アフリカンの文学をどう関連させればいいの? 困ったな、と思っているうちに、藪から棒に浮かんだのが「マッチョなアフリカに「愛はくる」か? こないよな〜〜」という脳内会話だ。後ろの部分はもちろん省いて、それでいくことにした。

 最初はこれまで訳してきたアフリカンの文学全般について、思いつくままにあれこれ話をするつもりだった。ところが、夏にJMクッツェーの自伝的三部作『少年時代』を再読しはじめて、頭はすっかりケープタウンとヴスターに行ってしまった。2011年のケープタウン旅行の写真などひっぱり出して眺めているうちに、たった1.5時間にまとめるなら、これだけでめいっぱい。そこで朗読は『少年時代』の第一章と、クッツェーの愛してやまないカルーの農場フューエルフォンテインがベースとなった短編「ニートフェルローレン」(『スペインの家』所収)からとした。当然、話はヴスター時代の少年ジョンと農場生活のことにしぼられてくる。

『少年時代』第一章は、田舎町のヴスターへ引っ越して、狭い家に閉じ込められたくない、と思った母親が、中古の自転車を手に入れてなんとか乗りこなす話。ところが「女は自転車になんか乗らないもんだ」という周囲の意見に加勢して、少年は父親といっしょに冷やかす側にまわってしまう。ずっと悔いていたのだろうか、フェミニズムからクッツェー自身が学んだ成果なのか、とにかくそれをなんとか贖おうとすることばでこの章は終わる。ちなみに『少年時代』を書いていた作家は40-50代だ。

 自伝的三部作をまとめて訳出した2014年からすでに11年が過ぎた。2021年には、写真家になりたかったクッツェーが十代に撮影した『少年時代の写真』も日本語版が出版された。そこに岩だらけの平地を背景に、貯水地で水を飲む子羊の写真がある。これがいい。じっといつまでもながめていたくなる写真だ(このブログ最初の写真)。キャプションに「フューエルフォンテイン、クッツェー家の農場、カルーのプリンス・アルバート通り」とある。

 そうか、『マイケル・K』の主人公がめざしたプリンス・アルバートは、フューエルフォンテイン農場のある土地のことだったのか! 母親が幼いころ過ごした農場へ連れて帰ってくれ、そこで死にたい、と懇願した。そこでマイケルは手作りの手押し車でプリンスアルバートを目指す。プリンスアルバートとは、クッツェーの愛する農場がモデルだったのだ。

 というわけで文学館での話は「母親への愛(憎)と農場への愛」が中心になった。「愛」というと、きっと男女のロマンチックな愛を思い浮かべる人が、とりわけ同世代には多いことだろう。そこをちょっと「外した」のは無意識だったのか、意識的だったのか。おまけに、クッツェー自身が『サマータイム』で、死んでしまったジョン自身に、自分は文学とか音楽とか詩なんてものは「女々しい」とされた「マッチョ文化」が優勢な社会で育ったんだ、と言わせている。だから。

 マッチョなアフリカに「愛はくる」か?⎯という問いに率直に答えるなら、どうかな、来ないな、マッチョなまんまじゃ無理だろな、日本だって同じだけどな、と思いながら話をしたのだった。「アフリカで癒されたい」と「マッチョ」をポジティヴな意味にとった人には期待外れだったかもしれないけど😅。

 とにかく無事に終わってよかった2025年の秋のイベントでした。お世話になった世田谷文学館のスタッフのみなさん、わざわざ足を運んでくださった大勢の方々、どうもありがとうございました。