Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2020/03/27

フラットシューズのチママンダ

コロナウィルスのブレイクアウトが心配されている東京で、週末をどうすごすか? 食べ物、飲み物を確保して自宅で、自室ですごす。これまで読みたかったのに読めなかった本をかたっぱしから読破する。観たいと思っていた映画や動画を観る、というのもひとつの方法だと思います。料理というのもいいなあ。すぐに結果が出て、滋養豊か。

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのこれまでの動画のなかでも、特におすすめの一本をあげておきます。「エコノミスト」のSacha Nautaがインタビュアーになって、マンチェスターで行われたイベント、白熱したやりとりが展開されます。とくにterfについて突っ込まれたアディーチェの、明快な応答が聞けます。(昨秋このブログでアップしたものですが、再掲!)

 注意して見ると、いつもピンヒールに奇抜なドレスに凝ったヘアスタイルで決めるアディーチェが、このときはシンプルな白い服に紺色のフラットシューズ。髪もゴージャスながら自然のアフロです。

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マンチェスターで10月5日に行われたチママンダ・ンゴズィ・アディーチェのトークの実況中継。OPEN FUTURE FESTIVAL.


以下に大雑把な内容を。(あくまで粗い聞き取りですので引用はお控えください。)

 まずアイデンティティについて質問された彼女:アイデンティティというのは外部からの要求によって変わる、たとえば、最近もUSAの空港でプレミアの列にならんでいたら、あなたはあっちだと指差されたのはエコノミーのほうだった。これは肌の色で判断したからで、ナイジェリアではありえない。ナイジェリアでは、エスニシティか、ジェンダーによって分けられる。だからアイデンティティというのは外部からの問いによって、いくつにも変わりうるのだ、と述べている。だから自分としてはそれをたったひとつに狭めることはできない。

ストーリーテリングについて、作家として、と問われると:もっといろんな声がでてくることが必要だと強く思う。文学作品を読むということは、可能性として、自分の体ではない体から発せられる声を聞くことだと思う。書くというのは、自分の体ではない体から発せられる声を書くことでもある。どんな声であれ、わたしを呼んでいるならその声を物語に響かせていきたいと。

 これまでアフリカ、アジア、ラテンアメリカの物語は長いあいだ、そこの出身の人たちによって語られてこなかった。だから、ロンドンの書店に行っても、本がコロニアルなテイストでならんでいることが多い。もちろんそれは大事よ、だってイングランドはナイジェリアを植民地化してきたんだし、歴史としては……中略……でも、数日前の香港を見てもわかるように、世界中の土地は過去にずっと取り憑かれつづけている。

 それから、『アメリカーナ』について、かなり突っ込んだ質問がきて、アディーチェも非常にクリアに答えている。もう少しニュアンスをつけて、と編集者からいわれたが、それは、もう少し正直さ=あからさまにいうことを控えて、ということだった。

 なんでも比較的率直に語る英語社会で、「もう少しニュアンスを」といわれたとしたら、このニュアンスだらけで空気を読めとかいわれる日本語社会では、どうなるんだ😅?なんて思いながら最後まで見ましたが、最後のほうでオーディアンスから質問が出て、それに真っ向から答えるチママンダ、そして白熱の議論が展開されるようにもっていく司会のジャーナリストもなかなか。

 あとは動画をじかに見てください。

 もしも日本にチママンダを呼ぶなら、同時通訳があいだにはさまるとしても、これくらいの丁々発止のやりとりができるステージになるといいなあ、と思います。