2019/03/03

ゆき恋:ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

ひなまつりの日にゆきの話をするのは、わたしにふさわしい。まっしろいゆきの話を。母にうながされるようにして雛人形を一段一段、買い求めて飾っていった、桃花のない北の土地のひなまつり。窓の外はまだ雪に埋もれる世界だった。

 ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』を読んでいる。どれも心にしみる、ちいさな断章のような、白と黒の世界。これは、わたしのよく知っている世界だ、そう思わせるものが、この本のなかにつまっている。いまは遠い、その世界へ、わたしが行ったことのないポーランドを経由して、ふたたび連れていってくれることばたち。幾重にも深い味わい。

 だから、ページをめくる手がゆっくり、ゆっくり、確認するような動作で進む。そしてふいに行きあたる「雪」。雪片が舞い落ちてきて、オーバーコートの袖口にふわりとかかり、またたくまに消えていく、あの一瞬。雪の結晶。そしてあたりに音もなく舞い沈む雪の、その時間のすべて。その短い、だれにも奪われることのない、美しい時間のすべて。

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 ぼたん雪が黒いコートの袖に止まると、特別に大きな雪の結晶は肉眼でも見ることができる。正六角形の神秘的な形が少しずつ溶けて消えるまでにかかる時間はわずか一、二秒。それを黙々と見つめる時間について、彼女は考える。
 雪が降りはじめると、人々はやっていたことを止めてしばらく雪に見入る。そこがバスの中なら、しばらく顔を上げて窓の外を見つめる。音もなく、いかなる喜びも哀しみももなく、霏々として雪が舞い沈むとき、やがて数千数万の雪片が通りを黙々と埋めてゆくとき、もう見守ることをやめ、そこから顔をそらす人々がいる。

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 訳者の斎藤真理子さんのことばが、本当にいい。どのページも、まったく違和感のないことばで、ワルシャワの街を歩くハン・ガンの目と記憶の織りなす世界をリードしてくれる。とめどなく染み入ることばたちだ。(河出書房新社刊 2018.12)


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2019.3.12──備忘のためのメモ。
チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』は、読む人が自分の記憶を刺激されてそれぞれの物語を思い思いに盛り付ける真っ白い器みたいな本なので、紙のうえのことばを味わってゆっくりページをくるということはありませんが、ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』は、ことばそのもののために書かれていて、ページから目が、白と黒の世界をゆっくり引き出して描くための本のような気がします。そういう意味では散文詩に近いかも。