Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2016/03/02

津島佑子の本がきた

なんだかここ一カ月は、力が抜けた時間だった。長い訳稿を送ったあとしばらくは、読みたいのに読めなかった本の山をどんどん崩していくぞっと、気負い立って本を手にとったはいいのだけれど、数冊読了したところでアウト。「しばしお休みなされ」という心身の芯からの命令で、ひたすら休養した。

まず、やってきた本たち
 その間に、何人もの人が逝ってしまった。逝ってしまって、あ、しまった、もっとちゃんと読んでおくべきだったのに、そうしたかったのに……と悔やんでもあとの祭り。その一人、津島佑子(1948年3月30日〜2016年2月18日)。

 70年代から読んでいたのだ。『寵児』や『光の領分』は雑誌掲載のかたちですぐに読んだ。そうだ、『生き物の集まる家』はまだ学生のころ、四畳半アパートで読み終えて、箱入りのその本を箱に収めて、読後の濃密感にため息をついた。そのとき感じたものの記憶は、いまでも確かによみがえる。

 しかし、80年代に入って、子育てに追われて、読書にあてられる限られた時間に、まず読んだのはトニ・モリスンであり、アリス・ウォーカーであり、トニ・ケイド・バンバーラだった。そして藤本和子、森崎和江、石牟礼道子、etc.etc.
 津島佑子がアイヌ民族のことや、沖縄のことや、台湾のことに深い関心をもち、作品にもそれは如実にあわわれている、ということを見聞きしながら、いつかじっくり読まなきゃなと思いながら、今日になってしまった。そして、津島佑子はもういない。合掌。

「救済としての差別」の書き出し
 目の前に残されているのは、しかし、多数の作品。心して、これと向き合っていくことになるのだろう。そういえば、訃報を聞いたときに真っ先に思い出したのは、津島佑子がトニ・モリスンの『青い眼がほしい』に書いていたエッセイのことだった。朝日新聞社からシリーズの第1巻目として出たバージョンだ。

 そこに「トニ・モリスンという作家の存在を、私はこのシリーズで初めて知り、作品を読むことができたのだったが、それは私にとって幸運なことだった」と始まる「救済としての差別」という津島佑子の文章があった。藤本和子の編集によるこの本が出たのは1981年のことだ。
 思えばそれが「始まり」だったのだ。あれからもう35年になる。