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まず、やってきた本たち |
70年代から読んでいたのだ。『寵児』や『光の領分』は雑誌掲載のかたちですぐに読んだ。そうだ、『生き物の集まる家』はまだ学生のころ、四畳半アパートで読み終えて、箱入りのその本を箱に収めて、読後の濃密感にため息をついた。そのとき感じたものの記憶は、いまでも確かによみがえる。
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津島佑子がアイヌ民族のことや、沖縄のことや、台湾のことに深い関心をもち、作品にもそれは如実にあわわれている、ということを見聞きしながら、いつかじっくり読まなきゃなと思いながら、今日になってしまった。そして、津島佑子はもういない。合掌。
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「救済としての差別」の書き出し |
そこに「トニ・モリスンという作家の存在を、私はこのシリーズで初めて知り、作品を読むことができたのだったが、それは私にとって幸運なことだった」と始まる「救済としての差別」という津島佑子の文章があった。藤本和子の編集によるこの本が出たのは1981年のことだ。
思えばそれが「始まり」だったのだ。あれからもう35年になる。