三度目の正直、とはこのことかと思いながら、J・M・クッツェー作『マイケル・K』(岩波文庫)のゲラを読んだ。初訳が出たのは1989年10月だったから、かれこれ26年以上も前だ。二重の意味で初訳書だった。クッツェーの作品が日本語になるのも、わたしが訳者となる本が書店にならぶのも初めてだったからだ。インターネットなどない時代で、南アフリカの事情や固有名詞を調べるのには本当に苦労した。
二度目はちくま文庫に入ったときで、2006年だった。いろいろ気づいたことがあったので全面的に改訳した。そして三度目の今回は、作品を読んでいてまったく異なる風景が目の前に立ちあらわれて驚いた。理由はいくつも思い当たる。
まず、クッツェーの作品をすでに6作も訳してきたので、初訳時と違って、この作家のことがかなり深く理解できていること。ことば遣いの特徴、文章のリズム、作家の好きな表現や癖、疑問符の多用、くり返される自問など、いろいろある。なんといっても大きな違いは、この10年のあいだに作家自身と何度も会って話をし、人柄などがじかに分かったこと、数年前に南アフリカを旅して作品の舞台となった風景を実際に見てきたことだ。
『マイケル・K』はいわばロードノベルだ。マイケルはケープタウンから内陸部のプリンスアルバートまで徒歩で旅する。その道程は地図通りに進んでいく。いまなら、グーグルマップでたどることもできるし、ストリートビューを使えば、田舎町の大通りをゆっくり車で走る気分さえ味わえる。
作品が書かれたのは1980年代初頭、30年以上も前のことだ。だから、もちろん違いもある。アパルトヘイトは1994年に完全撤廃され、新体制に変わった。これは決定的だ。ヴスターへ向かう国道1号線も変わった。マイケルがプリンスアルバートをめざしたころは、まだユグノートンネルは着工されたばかり。当然、マイケルは山を登り、峠を越える道をたどる。それでもケープ半島や内陸のカルーの風景そのものは、基本的に変わっていない。気候だってそれほど違わない。出てくる地区、道路、街、山脈、川といった固有名も地図を探せば見つかる。
今回、あらためて発見したのはスヴァルトベルグ山脈の近くの風景が、まさしく赤い岩石質の土だということだった。放棄された農場にやっと辿り着いて畑を耕し始めたが、かつての持主の孫が脱走兵としてあらわれて彼を下僕にしようとした。そこでマイケルは農場をいったん離れてこの山のなかにこもる。洞穴ぐらしをして、岩肌に咲いた花を両手に何杯も食べて胃が痛くなったりもする。それがこの赤土の山だ。
「俺が欲しいのは緑と茶色ではなくて黄色と赤の大地だ。湿った土ではなくて乾いた土、暗色ではなく明色の土、柔らかい土ではなくて固い土だ。かりに人間に二種類あるとしたら、俺は違う種類の人間になろうとしている。手首を突き出してじっと見ながら、傷を負っても血は噴き出さずに滲み出すだけかもしれない、そう思った」(岩波文庫版、p106)」
1989年に初訳が出たとき、この本を「マジック・リアリズム」と評した人がいたが、これほど実際とかけなはれた読み方もないだろう。南アフリカという土地について、日本語読者が地理、歴史といった基本的な知識をもたない時期だったせいだろうか。背景や流れがよく分からないものに、このレッテルを貼って分類するのが流行りだったのか。
それで思い出すのは、「マジック・リアリズム」という語について、ハイチ出身の作家エドウィージ・ダンティカが鋭い批判を述べていたことだ。ガルシア・マルケスの作品内で起きる出来事について、あれはカリブ海社会の「日常だ」と彼女は言ったのだ。このことは「リアリズム」という語について、誰の目から見て「リアル」なのかを考えるとき、とても示唆的だ。
思えば80年代後半という時代は、南アフリカだけでなく、世界を見る目が恐ろしいほど偏っていたのではなかったか。南アでは、1994年に悪名高いアパルトヘイトから解放され、2010年にはサッカーのワールドカップも開催された。日本語読者との距離感は明らかに変わった。でも、無意識に眠る西欧中心主義、名誉白人は名誉であるという意識は、はたして変わっただろうか? むしろ「グローバリズム」だとか「英語中心主義」の文脈のなかで、暗黙のうちに強化されてはいないだろうか?
作品の背景にある暴力的な格差社会(不平等社会と呼びたい)も、ある意味、南アフリカ固有のものではなくなって、世界中どこでも、じつに身近なものになってしまった。
今回の決定版のために訳文は再度見直しをし、訳者あとがきもここ10年間にえた新情報を盛り込んで、クッツェーという作家の全体像がこの作品を通しても透かし見えるようにした。この「決定版への訳者あとがき」には昨年のアデレードの作家宅訪問の成果も入れたのでお薦めしたい。
**
写真は上から「国道1号線からの風景」(道の両側に必ずこんな金網のフェンスが張ってある。)。2枚目が「タウスリヴァーの駅舎」でマイケルが鉄道の土砂崩れに労働力として駆り出され、汽車でたどり着いた場所だ。3枚目が「スヴァルトベルグ山脈の道」、赤い山肌を見せてそそり立つ絶壁。4枚目がSecker&Warburg から1983年に出た原作の英国版ハードカヴァー。
二度目はちくま文庫に入ったときで、2006年だった。いろいろ気づいたことがあったので全面的に改訳した。そして三度目の今回は、作品を読んでいてまったく異なる風景が目の前に立ちあらわれて驚いた。理由はいくつも思い当たる。
まず、クッツェーの作品をすでに6作も訳してきたので、初訳時と違って、この作家のことがかなり深く理解できていること。ことば遣いの特徴、文章のリズム、作家の好きな表現や癖、疑問符の多用、くり返される自問など、いろいろある。なんといっても大きな違いは、この10年のあいだに作家自身と何度も会って話をし、人柄などがじかに分かったこと、数年前に南アフリカを旅して作品の舞台となった風景を実際に見てきたことだ。
『マイケル・K』はいわばロードノベルだ。マイケルはケープタウンから内陸部のプリンスアルバートまで徒歩で旅する。その道程は地図通りに進んでいく。いまなら、グーグルマップでたどることもできるし、ストリートビューを使えば、田舎町の大通りをゆっくり車で走る気分さえ味わえる。
作品が書かれたのは1980年代初頭、30年以上も前のことだ。だから、もちろん違いもある。アパルトヘイトは1994年に完全撤廃され、新体制に変わった。これは決定的だ。ヴスターへ向かう国道1号線も変わった。マイケルがプリンスアルバートをめざしたころは、まだユグノートンネルは着工されたばかり。当然、マイケルは山を登り、峠を越える道をたどる。それでもケープ半島や内陸のカルーの風景そのものは、基本的に変わっていない。気候だってそれほど違わない。出てくる地区、道路、街、山脈、川といった固有名も地図を探せば見つかる。
今回、あらためて発見したのはスヴァルトベルグ山脈の近くの風景が、まさしく赤い岩石質の土だということだった。放棄された農場にやっと辿り着いて畑を耕し始めたが、かつての持主の孫が脱走兵としてあらわれて彼を下僕にしようとした。そこでマイケルは農場をいったん離れてこの山のなかにこもる。洞穴ぐらしをして、岩肌に咲いた花を両手に何杯も食べて胃が痛くなったりもする。それがこの赤土の山だ。
「俺が欲しいのは緑と茶色ではなくて黄色と赤の大地だ。湿った土ではなくて乾いた土、暗色ではなく明色の土、柔らかい土ではなくて固い土だ。かりに人間に二種類あるとしたら、俺は違う種類の人間になろうとしている。手首を突き出してじっと見ながら、傷を負っても血は噴き出さずに滲み出すだけかもしれない、そう思った」(岩波文庫版、p106)」
1989年に初訳が出たとき、この本を「マジック・リアリズム」と評した人がいたが、これほど実際とかけなはれた読み方もないだろう。南アフリカという土地について、日本語読者が地理、歴史といった基本的な知識をもたない時期だったせいだろうか。背景や流れがよく分からないものに、このレッテルを貼って分類するのが流行りだったのか。
それで思い出すのは、「マジック・リアリズム」という語について、ハイチ出身の作家エドウィージ・ダンティカが鋭い批判を述べていたことだ。ガルシア・マルケスの作品内で起きる出来事について、あれはカリブ海社会の「日常だ」と彼女は言ったのだ。このことは「リアリズム」という語について、誰の目から見て「リアル」なのかを考えるとき、とても示唆的だ。
思えば80年代後半という時代は、南アフリカだけでなく、世界を見る目が恐ろしいほど偏っていたのではなかったか。南アでは、1994年に悪名高いアパルトヘイトから解放され、2010年にはサッカーのワールドカップも開催された。日本語読者との距離感は明らかに変わった。でも、無意識に眠る西欧中心主義、名誉白人は名誉であるという意識は、はたして変わっただろうか? むしろ「グローバリズム」だとか「英語中心主義」の文脈のなかで、暗黙のうちに強化されてはいないだろうか?
作品の背景にある暴力的な格差社会(不平等社会と呼びたい)も、ある意味、南アフリカ固有のものではなくなって、世界中どこでも、じつに身近なものになってしまった。
今回の決定版のために訳文は再度見直しをし、訳者あとがきもここ10年間にえた新情報を盛り込んで、クッツェーという作家の全体像がこの作品を通しても透かし見えるようにした。この「決定版への訳者あとがき」には昨年のアデレードの作家宅訪問の成果も入れたのでお薦めしたい。
**
写真は上から「国道1号線からの風景」(道の両側に必ずこんな金網のフェンスが張ってある。)。2枚目が「タウスリヴァーの駅舎」でマイケルが鉄道の土砂崩れに労働力として駆り出され、汽車でたどり着いた場所だ。3枚目が「スヴァルトベルグ山脈の道」、赤い山肌を見せてそそり立つ絶壁。4枚目がSecker&Warburg から1983年に出た原作の英国版ハードカヴァー。