届いたばかりのほかほかです。出版年は2014年9月というから、出てからまだ半年。
『Regarding Muslims──from slavery to post-apartheid
眼差すムスリム──奴隷制からポスト・アパルトヘイトへ』
著者はハベバ・バデルーン/Gabeba Baderoon、南アフリカのポートエリザベスで1969年に生れた詩人だ。これは南アフリカのムスリムについて書かれた本で、カバーの裏に J・M・クッツェーが推薦文を書いている。
Drawing on the by now extensive scholarship on slavery at the Cape, Gabeba Baderoon guides us through the labyrinth of racial and cultural stereotyping which for centuries minimised Islam and obscured Muslims as actors in South African history. Intellectually sophisticated in its explorations of material culture, of iconography, and of media rhetoric, yet lively in style and engagingly personal in presentation, Regarding Muslims is a welcome contiribution to the larger revisionist project under way in South Africa.──J.M.Coetzee
「いまや広く学究の対象となっているケープ地方の奴隷制に迫りながら、ハベバ・バデルーンはわれわれを人種的、文化的ステレオタイプの迷宮を抜ける道案内になってくれる。このステレオタイプこそが何世紀にもわたってイスラムを過小評価し、南アフリカの歴史におけるムスリムの役割を不明瞭なものにしてきたのだ。物質的文化、イコノグラフィー、そしてメディアのレトリックの探求で知的な洗練を見せながら、生き生きとしたスタイルで、個人的な関わりを含めて描き出していく『眼差すムスリム』は、目下、南アフリカで進行中の歴史を見直すプロジェクトにとって歓迎すべき貢献である──J・M・クッツェー」
そう、ムスリムなのだ。そう、『恥辱』の冒頭に出てくるあの「ソラヤ」なのだ。
これは面白い! 近著『鏡のなかのボードレール』でも触れるが、この有色女性の描写はともすると後半の劇的展開に目を奪われて、読後は印象が薄くなりがちな箇所なのだけれど、じつはクッツェーが極めて明晰かつ含みのあることば遣いで、南アフリカにおける人種をめぐる歴史の深層を暗示している箇所でもあるのだ。
それは主人公である白人男性デイヴィッド・ルーリーには見えなかった歴史であり、教育や意図的認識によって合理化されてきた、歴史体験やその無知と彼が向き合わざるを得なくっていくドラマへの奇妙な助走をうながしている。この第一章に出てくる女性、それがソラヤだった。
この本は、そのソラヤの存在を詳細に裏づける瞠目すべき好著である。
バデルーンについては数年前に、彼女が賞をとったときにあれこれ調べたり、インタビューで声を聴いたりしたことのある詩人だったが、こんな本を書いているとは知らなかった。教えてくれたNさん、Muchas gracias!
*******
追記:バデルーンの公式サイトから写真を拝借しました!
『Regarding Muslims──from slavery to post-apartheid
眼差すムスリム──奴隷制からポスト・アパルトヘイトへ』
著者はハベバ・バデルーン/Gabeba Baderoon、南アフリカのポートエリザベスで1969年に生れた詩人だ。これは南アフリカのムスリムについて書かれた本で、カバーの裏に J・M・クッツェーが推薦文を書いている。
Drawing on the by now extensive scholarship on slavery at the Cape, Gabeba Baderoon guides us through the labyrinth of racial and cultural stereotyping which for centuries minimised Islam and obscured Muslims as actors in South African history. Intellectually sophisticated in its explorations of material culture, of iconography, and of media rhetoric, yet lively in style and engagingly personal in presentation, Regarding Muslims is a welcome contiribution to the larger revisionist project under way in South Africa.──J.M.Coetzee
「いまや広く学究の対象となっているケープ地方の奴隷制に迫りながら、ハベバ・バデルーンはわれわれを人種的、文化的ステレオタイプの迷宮を抜ける道案内になってくれる。このステレオタイプこそが何世紀にもわたってイスラムを過小評価し、南アフリカの歴史におけるムスリムの役割を不明瞭なものにしてきたのだ。物質的文化、イコノグラフィー、そしてメディアのレトリックの探求で知的な洗練を見せながら、生き生きとしたスタイルで、個人的な関わりを含めて描き出していく『眼差すムスリム』は、目下、南アフリカで進行中の歴史を見直すプロジェクトにとって歓迎すべき貢献である──J・M・クッツェー」
そう、ムスリムなのだ。そう、『恥辱』の冒頭に出てくるあの「ソラヤ」なのだ。
これは面白い! 近著『鏡のなかのボードレール』でも触れるが、この有色女性の描写はともすると後半の劇的展開に目を奪われて、読後は印象が薄くなりがちな箇所なのだけれど、じつはクッツェーが極めて明晰かつ含みのあることば遣いで、南アフリカにおける人種をめぐる歴史の深層を暗示している箇所でもあるのだ。
それは主人公である白人男性デイヴィッド・ルーリーには見えなかった歴史であり、教育や意図的認識によって合理化されてきた、歴史体験やその無知と彼が向き合わざるを得なくっていくドラマへの奇妙な助走をうながしている。この第一章に出てくる女性、それがソラヤだった。
この本は、そのソラヤの存在を詳細に裏づける瞠目すべき好著である。
バデルーンについては数年前に、彼女が賞をとったときにあれこれ調べたり、インタビューで声を聴いたりしたことのある詩人だったが、こんな本を書いているとは知らなかった。教えてくれたNさん、Muchas gracias!
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追記:バデルーンの公式サイトから写真を拝借しました!