Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/12/07

クッツェーとゴーディマの「マンデラ追悼文」

ネルソン・マンデラが逝き、南アフリカ出身の2人のノーベル文学賞作家が、それぞれ追悼文を書いている。南アフリカに住むナディン・ゴーディマと、オーストラリアに住むJ・M・クッツェーだ。

 ゴーディマのニューヨーカーの記事
 クッツェーのシドニー・モーニング・ヘラルドの記事

 それぞれの作家の特徴がそのまま出ていて面白いが、マンデラが27年の幽閉ののちに解放されたときの事情を多少なりとも知っている者には、ゴーディマの具体的な内容の回顧がだんとつに面白い。
 たとえば、解放後にマンデラが初めてゴーディマに会いたいといってきた理由が、彼女の小説『バーガーの娘』についてではなく(マンデラは当時発禁だったこの小説を読んでいたのだ!/どういう方法で入手したか分からないが──とゴーディマは書いている)、ウィニー・マンデラに恋人ができていたことについてだった・・・というのは、当時の事情というかスキャンダルを知っている者にとって、わっ! という内容!
 また、彼女の家が、ANCが当時の政権と話し合いをする準備の場として用いられたこともリアル。

 とはいえクッツェーの、感情を抑制して、少ない語数で、クリアな視界のなかにマンデラという人間をおいて容赦なく分析する、圧倒的な視線の冴えには唸るしかない。とりわけ、マンデラが人間として人生の最盛期を牢獄に幽閉されたことで奪われた時間と自由を思いやる視線、あるいは、その老齢ゆえに大統領を一期つとめただけで引退し、獄中にあって世界規模で起きた社会主義の崩壊について(他のANCのメンバー同様)不意打ちをくらったため、南アフリカの経済が、ANCが最初となえていた理念からどんどん離れていったことへの無念さ。しかし、老齢ゆえに正しい経済秩序を創造するという差し迫った仕事にエネルギーを注入できなかったことは、不運だとはいえ無理もない、とする一方、いまのような略奪を目的とする合理的経済理論に対抗する哲学を現政権党はもたなかった、とクッツェーは批判する。
 これは「神奈川大学評論」に訳出したばかりの彼の短編「ニートフェルローレン」と繋がるものでもある。

 ゴーディマはコムラッドとしてのネルソン・マンデラを具体的に書き、クッツェーは同時代を生きた人間としての共感を含め、時代のなかで果たしたその人物の役割に鋭い光をあてる。とにかく、こちらの目の表面の曇りがメリッと剥がされて、これでもかというくらいの強度の光のなかに置かれるのだ。いずれも、一読にあたいする。
 
 そして、忘れてはならないのは、このマンデラという解放闘争の闘士/政治家は、長いあいだ、西側諸国から「テロリスト」という名で呼ばれつづけたことだ。そのことは、いまの日本の状況のなかで、常に思い出す必要がある歴史的事実だ。 

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2013.12.29 追記:もうひとり、作家のゼイクス・ムダが「ニューヨークタイムズ」に書いている追悼文が面白い。幼いころ自分の家に来たマンデラ、大統領になってから閣僚たちの政治を批判する手紙を書いたムダに、マンデラがすぐ電話してきたことなど、興味深いエピソードが書かれている。いずれもこちらに訳出する予定です。