Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/04/20

真っ白な表紙で出したかった──とクッツェーは語る

 最新作「The Childhood of Jesus」のカバーについての、クッツェーの面白い発言を紹介します。2012年暮れにケープタウン大学で朗読を行った際に述べたことばとして、カナダの「ザ・スター」などが伝えています。

In a recent reading given by J. M. Coetzee at the University of Cape Town South Africa from his new novel, the Nobel laureate said: “I had hoped that the book would appear with a blank cover and blank title page, so that only after the last page had been read would the reader meet the title: namely, The Childhood of Jesus. But, in the publishing industry as it is at present, that is not allowed.”

「この本は真っ白なカバーと、真っ白な本扉で出したかった。読者が最後のページを読み終えてようやくタイトルを:The Childhood of Jesus 読むことになるように。しかし、現在の出版産業のなかでは、それは許されない

引用元はこちら。

http://www.thestar.com/entertainment/books/2013/04/19/the_childhood_of_jesus_by_jm_coetzee_review.html

 「イエス」という語はキリスト教文明社会においては、あまりに強いことばであり、作品を読む前に強烈な思い入れやイメージを喚起してしまいます。そこにはキリスト教の影響がきわめて弱い日本社会では、ちょっと想像がつきかねるものがあります。それをクッツェーはなんとか回避したかったのでしょう。しかし、現実にはそんな手法は許されない、というわけです。

 来日時の会話でも、この本のカバーは話題になりました。Havil & Secker 版の、二人の男と犬の綱を握る一人の女が写った写真を使ったカバーは「いい」といっていましたが、オーストラリア版のサングラスをかけた男の子の写真は「嫌いだ」と。「嫌いだ、と言ったのに、出版社(オーストラリア・ペンギン)はあの写真を使った」と不満そうに述べていました。こちらからの質問に答えたのではなく、この表紙のことが話題になったとき、彼から出てきたことばでした。よほど嫌だったのでしょう。

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2013.4.28  アメリカ版のカバーはこんな感じです!

JESUS がやけに大きく、すべて大文字。

 ほかの文字もすべて大文字だけれど、それにしても、やっぱりアメリカって。。。。ううう。9月発売だそうです。