2013/01/06

クッツェー自身の翻訳論(3)── meanjin

2005年にメルボルン大学から出た雑誌「meanjin volume 64.4」の翻訳特集号に、J・M・クッツェーが寄せた文章の最後のところをここで紹介する。すでに引用しながら書いたものは、(1)(2)で読める。

『The Master of Petersburg/ペテルブルグの文豪』がロシア語に翻訳されたときタイトルが『Autumn in Petersburg/ペテルブルグの秋』になり、イタリア語版『Dusklands/ダスクランド』では男が木箱を開けるのに鳥/crow を使っている(作者は crow を crowbar/バールの意味で使った)のを発見したエピソードから書き出して、クッツェーは「フランス、ドイツ、スウェーデン、ドイツ、セルビア、クロアチアの翻訳者たちは通常、翻訳に際していつも質問をくれるが、トルコや日本の翻訳者は連絡をくれない。トルコ語と英語、日本語と英語との言語構造や文化的背景の違いを考慮すると、ヨーロッパの言語間の翻訳よりわたしのテクストははるかに厄介なものだろうと思っていた。あるいはひょっとすると連絡をくれないのは politeness によるものかもしれない(p141)」と書いている。これを読んだときは正直いって、どっきりした。

読んだのは、すでに2006年に初来日したクッツェー氏と『鉄の時代』の翻訳について、こまめにやりとりしていた時期だったけれど、そうか、彼は自分の作品の翻訳についてはとても気にしているのだということをあらためて知った・・・まあ、考えたらあたりまえだけれど・・・たぶん、クッツェー氏自身が翻訳をする作家なので、具体的なことが頭に浮かんできていろいろ考えるのかもしれない。
 
 翻訳について彼が書いたこの文章の結論部分を読み返して、これはやはり紹介したほうがいいかと思い、ここに引用する。

There is a legitimate branch of aesthetics called the theory of literature.  But I doubt very much that there is or can be such a thing as a theory of translation ── not one, at any rate, from which practitioners of translation will have much to learn.  Translation seems to me a craft in a way that cabinet-making is a craft.  There is no substantial theory of cabinet-making, and no philosophy of cabinet-making except the ideal of a good cabinetmaker, plus a few precepts relating to tools and to types of wood.  For the rest, what there is to be learned must be learned by observation and practice.  The only book on cabinet-making I can imagine that might be of use to the practitioner would be a humble handbook. (p151)

 美学には正規の一部門として文学理論と呼ばれるるものがある。しかし翻訳理論などというものがあるのか、ありうるのか──少なくとも、翻訳の実務者が大いに学ぶべきものがある理論となると──大変疑問である。翻訳というのはわたしには手工芸に思える。それはキャビネット作りが手工芸であるというのに近い。キャビネット作りの基本理論とか、キャビネット作りの哲学があるわけではなく、あるのは良きキャビネットの作り手とはどういうものかという理想と、道具と木材のタイプに関する二、三の見極めだけだ。そのほかは、学ぶべきことは観察力と実務によって学ぶしかない。キャビネット作りについて書かれた、実務者にとって役に立つ本としてわたしに想像できるのは、ささやかな一冊のハンドブックのみである。