Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2012/12/25

クリスマスの思い出


昨日のつづき、今日は降誕祭の当日。

Merry nothing! などと書きましたが、かくいうわたしも子どものころはしっかりサンタクロースの存在を信じていたし、イヴは翌朝、枕元にプレゼントが置かれるのをわくわくしながら眠ったものです。
 10歳になるまで、家では薪ストーブだったので、当然ながらしっかり煙突もあって、あの細いところをサンタはどうやって入ってくるのだろう? と真剣に考えました。朝外へ出て雪原にトナカイの引く橇の跡が残っていないかと念入りに調べもしました。橇が空を飛んでくる絵本と、現実の家の外の雪の原が、どうしても頭の中で結びつかなくて、正直、悩みましたね/笑。

 父が切ってきた樹木に綿をのせて、モールや天使の飾りをつけて、いちばんうえに大きな星型を差し込み、きらきらの電飾をうえから裾広がりにかけると、クリスマスツリーのできあがり。
 北海道の田舎の町で、周囲はみんな仏教徒ばかりの環境で、クリスマスツリーのある家というのはとてもめずらしかった。1950年代半ばのことです。
 25日はクリスマス礼拝のため、隣町の教会に行き、賛美歌を歌い、子どもたちは降誕祭の劇をやって、というのが、わたしの幼いころのクリスマスでした。その劇で、いっしょに台詞を交互にいうことになっていた相手の男の子が台詞を忘れてしまって、靴下をひたすらひっぱりあげようとするのを、困って、困って、困って見ていたのを思い出します。5歳だったかなあ。
 
 母親になってからも、子どもが小さいころは、とても熱心にクリスマスはやりました。楽しかったなあ。当然、サンタクロースがいることをわたしの子どもたちも、ある時期までは信じていました。お正月のしめ飾りはなくても、クリスマスツリーとリースは欠かさなかった。そういうふうに育てられると、自然、自分の子どももそんなふうに育ててしまう。すでにキリスト教徒としての信仰も習慣も捨てていたので、さすがに、教会には行きませんでしたが。

*写真はネットから拝借しました。