12月10日ヴィッツヴァーテルスラント大学で J・M・クッツェーが名誉博士号を授与された、そんなニュースが数日前にあちこちに流れた。

教師という仕事は、労力の割にはささやかな収入だが、若年人口が多い南アフリカでは将来性のある重要な仕事だ。官僚制度が作り出す多量のペーパーワークと格闘することにはなるが、なにより、小さな子どもたちといっしょに過ごすことは、物を売買したり、コンピュータの前で数字や記号だけをいじっているよりはるかに良いことだし、人間として成長できる仕事だ、とこの作家は述べる。

クッツェーは、自分が小学校で男の教師に初めて教わったのは11歳だったが、小さいときから両性の教師に教わったら、もっと十全な成長ができたのは間違いない、と述べる。社会に出るときの準備ができる、と。これは彼の人間観、教育観ともいえるものがあらわれていて興味深い。

72歳にして母国、南アフリカのジョハネスバーグにある、アフリカーンス語の名を冠する(かつてはアフリカーナーの法律家を数多く排出し、アパルトヘイト思想の牙城と呼ばれた)大学の名誉博士となったこの作家が、若い卒業生に、ときに笑いをとりながらあくまで平易に語ることばは、彼の思想を考えるうえでも、なかなかに深い意味合いが込められている。
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付記:アパルトヘイトという「人類への犯罪」と呼ばれた制度のなかで加害の側に組み込まれながら、50年を、歯ぎしりしながら、絶望的な思いに駆られながら、それでも真摯に生きてきた人間のシンプルで強いことばは、いまこの怨念が渦巻くような社会のなかに生きるものたちにも強くシンプルに伝わる。ことばの表層の意味ではなく。