Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2012/03/22

『デイヴィッドの物語』──ドロシー・ドライヴァーのあとがき

いやあ、最後の山場です。ゾーイ・ウィカム著『デイヴィッドの物語』の本文訳はすでに完成。いま、それについているドロシー・ドライヴァーさんの「あとがき」の訳を仕上げています。今月中には終わらせるつもりなので、ほぼ缶詰状態。

 ひえ〜っではありますが、これがまたすごい! 原稿用紙にして約120枚。まことに熱のこもったあとがきです。「2000年、ケープタウン大学にて」とあるところをみると、彼女がケープタウンから、パートナーである J・M・クッツェー氏とオーストラリアはアデレードへ移住する 1.5年ほど前に書かれたものでしょうか。

 あのころ、です。そう、クッツェーの『Disgrace/恥辱』が、南ア政権党のANCから公的に批判された2000年5月と、時期的に重なる、そこのところが決定的!

 当時の南アフリカの文学界で激しく議論されたことが彷彿とする展開で、読み応え抜群です。ポストコロニアル文学理論としても、フェミニズム文学理論としても、南アフリカの文学作品を読む人たちにとっては欠かせないものになるでしょう。
 いや、南アフリカ、という限定は吹き飛ぶかもしれない。同時代的な作品というのは、その作品が生み出された歴史的な場と切り離せないものであることを、いや、むしろその場において新たに読み直しを求められるべきであることを、彼女は熱を込めて論じます。

 いやあ、すごい──と「いやあ」が何度も出てきてしまいました/笑。秋には本になります。お楽しみに!