Rainy Day Bookstore & Cafe で昨夜おこなわれた「ポエトリー・リーディング & トークライブ」に行ってきた。
「吹きわたる風、アメリカの風」
期待にたがわず、面白い催しだった。アメリカから来た詩人2人(詩の出版社もやっている)と、日本の詩人/作家7人が、それぞれ自作を日本語と英語でつづけて朗読する、というユニークな企画。出演者がまたとても興味深い顔ぶれだった。
ジョエイエル・ミックスウィーニー/ヨハネス・グランソン
伊藤比呂美/管啓次郎
平田俊子/小池昌代/旦敬介/田中庸介/蜂飼耳
司会は管啓次郎さんと、伊藤比呂美さん。
前半は日本の詩人が、後半はジョエイエル・ミックスウィーニーとヨハネス・グランソンのカップルが朗読。この2人と伊藤比呂美さんは、60年代のアメリカ、ビートニクの詩人(アレン・ギンズバーグの名があがっていた)に多大な影響を受けたとか。ことばと音とリズムを即興的に絡ませて紡ぎ出す、インプロヴィゼーションそのものといったパフォーマンスがじつにスリリングで面白かった。
この流れは日本でもひとつの形を成してきたことがよくわかる。独特の「のり」をその場で楽しむ経験が、カフェ全体を包んでいた。不思議なオーラもあって、これは一種のエンタテイメントといっていいかもしれない。それでいて、押し付けがましい過剰さがないところもまたよかった。全体に肩の凝らない、知的な刺激にみちていたところが。
なんといっても面白かったのは、「詩と翻訳」の関係、これは「詩」にかぎらないけれど、女性のナラティヴを男性が訳すと「〜わ」とか「〜よ」と過剰につく傾向があり、「そんなに、わよわよ、いわない」と伊藤さんや平田さんが指摘していたことだ。
これは小説の翻訳にもいえることで、同性の読者が「のれる」かどうかを決定的に左右するポイントだ。つまり、女性の訳者が男性のナラティヴを訳すときもステロタイプにならないよう要注意、ということでもある。でも、どちらかというと、まだまだ男性訳者の女性ナラティヴ訳が「わよわよ」しがちなことは否めないかな。
あらためて思ったのは、声に出される詩の面白さだ。耳から入ってくるのと、目でページの文字を追いかけるのとでは、質的にずいぶんと異なる経験なのだと、いまさらながら再確認。耳からことばを聞く、声を聞く楽しみ、語り手の表情や動きを目で見る楽しみ。
それはそれで限界ももちろんあるのだけれど、その「楽しさ」をあなどってはいけない、といま一度、確認した夜でした。