Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2011/07/12

作風を初期作品へもどすクッツェー

いずことも知れぬ国で食料とシェルターをもとめる一人の男と一人の少年、彼らが国家権力や官僚組織から手ひどい扱いを受ける・・・クッツェーがいま執筆中の新作の内容である。この作品の第一章と、第二章を少し、先のヨーク大学でおこなわれた朗読の夕べで、700人の聴衆を前にしてクッツェーは読んだという。

 う〜ん。面白そう。作風が80年代に彼が発表した初期作品、「夷狄を待ちながら」や「マイケル・K」に戻ったような感じがする、と実際に現場で朗読を聴いた複数の人たちが述べている。

 Coetzee Collective というケープタウン大学の面々がつくっているサイトがあって、メンバーには『J.M. Coetzee: Countervoices』の著者キャロル・クラークソンや以前このブログで紹介した『The Literature Police』の著者ピーター・マクドナルドなど若手研究者に混じって、ケープタウン大学のOBで<クッツェーの作品は読者のほうが読まれるから気をつけて!>とまさに正鵠を射た発言をしたエレケ・ブーマー、おなじみのデイヴィッド・アトウェルなども名をつらねている。そこに写真といっしょに載った情報が具体的で面白い。

 ヨーク大学で行われたのはベケット国際会議だから、イントロダクションはベケット学者(後記:あ、ジョイス学者です!)であるデレク・アトリッジ(写真右)となるのもなるほど、という感じで、その紹介の方法もちょっと趣向が凝らされたらしい。

 ちなみに、クッツェーの初来日といえる公式訪問は、2006年9月のベケット国際会議に特別ゲストとして招かれたときだ。「それ以前にも何度か非公式に来たことがある」という噂を耳にしたため、『鉄の時代』の年譜を書いた者の責任として直接クッツェー氏に確かめたことがある。
 するとクッツェー氏から返ってきた返事は思わずにやりとさせられるものだった。

「シンポジウム以前に日本を訪ねたのは一度だけで、2003年(だと思う)に、ドロシー(註/彼のパートナー)とわたしは全日空機でオーストラリアから米国へ行った。午後9時に東京(註/成田)に到着、空港近くのホテルに一泊し、朝の便でUSへ向けて発った。あなたの国にわたしたちは約12時間いた」とまことに几帳面な、事実だけをきちんと述べる文面だった。つまりは、トランジット。
 これが「非公式」の中身???