ジンバブエからすばらしい作家が登場した。1971年ジンバブエで生まれて、いまは息子とジュネーヴに住むペティナ・ガッパ(Petina Gappah)だ。4月に出た初の短編集『An Eelegy for Easterly/イースタリーへの悲歌』では、切れのいい、からりとした文体で、ジンバブエ人の悲喜こもごもの暮らしぶりを活写する。
植民地化されたアフリカのなかでも比較的遅く、チムレンガと呼ばれる長い解放闘争をへて1980年に独立したジンバブエは、南部アフリカの星と期待された。しかし、30年におよぶムガベ大統領の独裁色を強める体制下で、ここ数年は天文学的数字のインフレを経験し、昨年の選挙では多数の死者も出た。
短編集におさめられた13の物語は、この国のエリートへの痛烈な皮肉から、名もなき人々の苦悩やスラムに吹き寄せられる底辺層の暮らしまで、じつに幅広い。悲しい話も多いのだが、人を笑わせるのが好きというガッパは、持ち前の旺盛なユーモアで、悲惨な話を土臭い、ピリ辛のコメディにしてしまう。しかも繊細なタッチで。そこがとても新鮮だ。
いくつも印象にのこった短編のなかで、もっとも面白かったのが、最後の「真夜中に、ホテル・カリフォルニアで」、これが傑作! もちろん、あのイーグルスのヒット曲のことだ。でも、舞台となる「ホテル・カリフォルニア」は田舎町のB&Bで、ブラックマーケットでなんでも手に入れて生き延びる人たちのなかで手練手管で稼ぐ男の話。ぱきぱき語るガッパの調子が、ホント、笑えます。
作品内には民族言語の一つ、ショナ語も頻出する。作家自身はショナ語と英語が混じった「ショニングリッシュ」で書く、と堂々と語る。アフリカ出身の作家たちを勇気づける面白い話ではないか。
驚いたのは、この短編集がフランク・オコナー賞の最終リストに残ったこと。昨年インド系アメリカ人作家、ジュンパ・ラヒリが受賞した、英語で書かれた短編集に贈られる最もビッグな賞である。ここにもまた世界文学の新しい潮流が見て取れる。
いま長編小説に初挑戦中のガッパは、南部アフリカ文学の期待の星だ。間違いない。
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付記:2009年7月28日付北海道新聞夕刊に掲載した記事に加筆しました。
2009/07/30
2009/07/25
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ──CNNに登場!
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェはいま31歳のナイジェリア出身の作家です。
2007年に『半分のぼった黄色い太陽』でこの賞はじまって以来最年少でオレンジ賞を受賞し、この4月に出したオリジナル短編集『The Things Around Your Neck』はフランク・オコナー賞のロングリストに入り、と相変わらずの活躍をみせるアディーチェですが、この7月にナイジェリアのラゴスでこの短編集の独自版(by Farafina)の出版を記念して、作家を囲む会が開かれたようです。写真はそのときのもの。
また、CNNのインタビューに答えている映像を教えてくれた方もいます。Many thanks!
もともと落ち着いた低めの声の持ち主ですが、その声や表情にさらに磨きのかかった貫禄が出て、話もずいぶん歯切れがよくなっています。
まさに「パワフルなことば」です。
Half of the Yellow Sun の翻訳、がんばらなくっちゃ!!
2007年に『半分のぼった黄色い太陽』でこの賞はじまって以来最年少でオレンジ賞を受賞し、この4月に出したオリジナル短編集『The Things Around Your Neck』はフランク・オコナー賞のロングリストに入り、と相変わらずの活躍をみせるアディーチェですが、この7月にナイジェリアのラゴスでこの短編集の独自版(by Farafina)の出版を記念して、作家を囲む会が開かれたようです。写真はそのときのもの。
また、CNNのインタビューに答えている映像を教えてくれた方もいます。Many thanks!
もともと落ち着いた低めの声の持ち主ですが、その声や表情にさらに磨きのかかった貫禄が出て、話もずいぶん歯切れがよくなっています。
まさに「パワフルなことば」です。
Half of the Yellow Sun の翻訳、がんばらなくっちゃ!!
2009/07/23
草刈り
草刈り鎌を研ぐのはなかなか難しかった。子どもの手にあまった。草を刈る動作にもこつがあって、しっかりと鎌の柄を握り、草の茎の根元あたりにほぼ垂直に刃をあて、思い切ってさっさっと動かさなければならない。やはり小学生のわたしは上手くできなかった。
いまの時期、田んぼの畦の草はどんどんのびる。牧草地の草は、毎日ちがう場所に山羊の鎖の先端を打ち込んでおけば、その杭を中心にしてまあるく山羊が食べてくれるので、刈る必要はなかった。
東京に出てきてから、しばらく隣人たちと畑を借りて、無農薬野菜を作っていたことがある。80年代の話だ。子どもがまだ小学生のころで、ほうれん草は冬に灰を周囲に敷いてやるとか、霜の降りそうなころになると白菜はすっぽり新聞紙にくるんでやるとか、東京にいながら野菜作りをほんの少し体験したことになるけれど、さあ、はたして覚えているかどうか。彼女たちは隣人が飼っている犬や猫ばかり追いかけまわしていた。
あるとき思い立って、家の近くの草地を刈りはじめたことがある。鎌が草の根元にすっと入っていった。ああ、こういう感じ。大人になればできるのか、と改めて思った。つまり、肩と腕の筋肉と鎌の大きさの関係なのだろう。しばらく気持ちよく刈ったけれど、あっという間にエネルギー切れ、翌日は右の腕も肩も痛んだ。それもまた、ずいぶん前のことだ。
湘南の知人の田んぼの光景をまた、借りることにした。草刈り鎌と、きれいに刈られた畦の草。下の写真は蓮の花だ。稲はすくすくと育っている。
いまの時期、田んぼの畦の草はどんどんのびる。牧草地の草は、毎日ちがう場所に山羊の鎖の先端を打ち込んでおけば、その杭を中心にしてまあるく山羊が食べてくれるので、刈る必要はなかった。
東京に出てきてから、しばらく隣人たちと畑を借りて、無農薬野菜を作っていたことがある。80年代の話だ。子どもがまだ小学生のころで、ほうれん草は冬に灰を周囲に敷いてやるとか、霜の降りそうなころになると白菜はすっぽり新聞紙にくるんでやるとか、東京にいながら野菜作りをほんの少し体験したことになるけれど、さあ、はたして覚えているかどうか。彼女たちは隣人が飼っている犬や猫ばかり追いかけまわしていた。
あるとき思い立って、家の近くの草地を刈りはじめたことがある。鎌が草の根元にすっと入っていった。ああ、こういう感じ。大人になればできるのか、と改めて思った。つまり、肩と腕の筋肉と鎌の大きさの関係なのだろう。しばらく気持ちよく刈ったけれど、あっという間にエネルギー切れ、翌日は右の腕も肩も痛んだ。それもまた、ずいぶん前のことだ。
湘南の知人の田んぼの光景をまた、借りることにした。草刈り鎌と、きれいに刈られた畦の草。下の写真は蓮の花だ。稲はすくすくと育っている。
2009/07/19
CHIWONISO──Rebel Woman/反逆する女
2009/07/18
Ancient Voices──チウォニソ
2009/07/13
アフンルパル通信 第8号──ピンネシリふたつ
2009/07/12
わたしのジャズ修行(5)──アート・ペッパー/チェット・ベイカー
1969年ころに聴いて良い、面白い、すごい、と思ったジャズは、結果として、まず黒い肌のアメリカ人が演奏する音楽が多かった。そういう音楽として最初に認識したからなのかもしれない。おおいに偏見が入っていたことは、いまとなっては明らかだが、この偏見は一考にあたいするかもしれない、とも思うのだ。なぜなら、音楽そのものに埋め込まれた「切れ」が違うから。その「切れ」の違いを識別できる耳を育てよう、自分の感覚として獲得しよう、とあの当時はっきりと意志したのを覚えている。以来、ジャズ批評のたぐいはいっさい読まなかった。
その結果なのかどうか、とにかく、ああ、いいなあ、と思うのはニューヨークなど東海岸のアーティストのものが多かった。西海岸から発信される音楽、とりわけハリウッド近くから出てくる音楽は、好みではなかった。なぜだろう?
最近、とある新聞記事(2016.2後記:辺見庸のコラム)のなかで触れられていた「チェット・ベイカー」とはどんなミュージシャンか、と家人に問われて、説明できなかったので(知人の推薦するアルバムを)1枚だけ買ってみた。「Chet Baker sings」だ。1950年代半ばの、ロスとハリウッドの録音、ベイカーはまだ20代後半の若さだ。このトランペッター、確かに、あまくて柔らかい素晴らしい音を出すのだけれど、私がアルバムを一枚ももっていない理由も、これを聴いてよく分かった。あますぎるのだ。(思い出すことば──甘さと権力!──笑)
全曲歌が入っている。
こんなふうに歌うのは3曲くらいで十分、あとは楽器だけでいいのに、と家人とも意見が一致した。自己憐憫、いや自己惑溺寸前の、過剰な退廃的雰囲気が濃厚で、それを臆面もなく前面にだしてくるところが、まことに鬱陶しい。
しかし、この時代の西海岸のジャズで、私が唯一例外的にもっているアルバムがある。「The Rreturn of Art Pepper」。このサックス奏者、音色はあまいが、切れはかなりよい。LPで聴いていたものを80年代にCDで買い直した。
いずれにしても、麻薬、アルコール、セックス、退廃の極みのような米国の男中心の文化が咲かせた花である。
あの時代、ジャズ音楽で身を立てることは、黒人男には立身出世になるけれど、白人男にとってはメインストリームから完全にはずれていく「落伍者」のイメージだったのだろう。おなじ音楽をやっても、まったく社会的意味合いが違ったことになる。ビリー・ホリディが歌う「Body and Soul」や「My Man」は臓腑にしみるすごさがあった。その理由を、いま、改めて考える。私たちの手元には、すでにトニ・モリスンの作品群があるのだ。
(ちなみに、50年代末から60年代初めに録音されたものを聴きたいという方には、スイング感あふれる、レッド・ガーランドをお薦めします!)
やがて生演奏をやるジャズスポットへ通うようになってからは、もっぱら日本人の演奏する生の演奏を聴いた。彼らの出したアルバムは、買ったとしても部屋で聴くことはまれで、現場で聴くジャズと、部屋で聴くジャズは、わたしの場合、はっきり分かれていたように思う。
その結果なのかどうか、とにかく、ああ、いいなあ、と思うのはニューヨークなど東海岸のアーティストのものが多かった。西海岸から発信される音楽、とりわけハリウッド近くから出てくる音楽は、好みではなかった。なぜだろう?
最近、とある新聞記事(2016.2後記:辺見庸のコラム)のなかで触れられていた「チェット・ベイカー」とはどんなミュージシャンか、と家人に問われて、説明できなかったので(知人の推薦するアルバムを)1枚だけ買ってみた。「Chet Baker sings」だ。1950年代半ばの、ロスとハリウッドの録音、ベイカーはまだ20代後半の若さだ。このトランペッター、確かに、あまくて柔らかい素晴らしい音を出すのだけれど、私がアルバムを一枚ももっていない理由も、これを聴いてよく分かった。あますぎるのだ。(思い出すことば──甘さと権力!──笑)
全曲歌が入っている。
こんなふうに歌うのは3曲くらいで十分、あとは楽器だけでいいのに、と家人とも意見が一致した。自己憐憫、いや自己惑溺寸前の、過剰な退廃的雰囲気が濃厚で、それを臆面もなく前面にだしてくるところが、まことに鬱陶しい。
しかし、この時代の西海岸のジャズで、私が唯一例外的にもっているアルバムがある。「The Rreturn of Art Pepper」。このサックス奏者、音色はあまいが、切れはかなりよい。LPで聴いていたものを80年代にCDで買い直した。
いずれにしても、麻薬、アルコール、セックス、退廃の極みのような米国の男中心の文化が咲かせた花である。
あの時代、ジャズ音楽で身を立てることは、黒人男には立身出世になるけれど、白人男にとってはメインストリームから完全にはずれていく「落伍者」のイメージだったのだろう。おなじ音楽をやっても、まったく社会的意味合いが違ったことになる。ビリー・ホリディが歌う「Body and Soul」や「My Man」は臓腑にしみるすごさがあった。その理由を、いま、改めて考える。私たちの手元には、すでにトニ・モリスンの作品群があるのだ。
(ちなみに、50年代末から60年代初めに録音されたものを聴きたいという方には、スイング感あふれる、レッド・ガーランドをお薦めします!)
やがて生演奏をやるジャズスポットへ通うようになってからは、もっぱら日本人の演奏する生の演奏を聴いた。彼らの出したアルバムは、買ったとしても部屋で聴くことはまれで、現場で聴くジャズと、部屋で聴くジャズは、わたしの場合、はっきり分かれていたように思う。
2009/07/10
2009/07/05
本と旅する、アフリカ
7月6日発売の月刊誌「スタジオボイス 8月号」に、インサイド・アフリカをディープに旅するための本、を紹介しました。新旧とりまぜて、以下の7冊。
<ガイド1> 中村和恵編『世界中のアフリカへ行こう』(2009)
<ガイド2> 岡真理著『アラブ、祈りとしての文学』(2008)
<セネガル> ファトゥ・ディオム著/飛幡祐規訳『大西洋の海草のように』(2003)
<ナイジェリア> チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著/拙訳『アメリカにいる、きみ』(2007)
<コンゴ> バーバラ・キングソルヴァー著/永井喜久子訳『ボイズンウッド・バイブル』(2001)
<南アフリカ> J・M・クッツェー著/拙訳『マイケル・K』(2006)
<トランス・アフリカ> 岡崎がん著『トランス・アフリカン・レターズ』(1997)
ほかにも中村和恵さんがアミタヴ・ゴーシュの面白そうな『In an Antique Land』を紹介していたり、管啓次郎さんが、「自分の皮膚の外はすべて異郷」とおっしゃる西江雅之氏の傑作5冊をあげていたり、なかなかの面白さです。
ちなみに『マイケル・K』の雑誌掲載写真はなぜか、古い単行本の表紙。いま手に入るのは新しい全面改訳版<ちくま文庫>ですので、お間違いなく。
<ガイド1> 中村和恵編『世界中のアフリカへ行こう』(2009)
<ガイド2> 岡真理著『アラブ、祈りとしての文学』(2008)
<セネガル> ファトゥ・ディオム著/飛幡祐規訳『大西洋の海草のように』(2003)
<ナイジェリア> チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著/拙訳『アメリカにいる、きみ』(2007)
<コンゴ> バーバラ・キングソルヴァー著/永井喜久子訳『ボイズンウッド・バイブル』(2001)
<南アフリカ> J・M・クッツェー著/拙訳『マイケル・K』(2006)
<トランス・アフリカ> 岡崎がん著『トランス・アフリカン・レターズ』(1997)
ほかにも中村和恵さんがアミタヴ・ゴーシュの面白そうな『In an Antique Land』を紹介していたり、管啓次郎さんが、「自分の皮膚の外はすべて異郷」とおっしゃる西江雅之氏の傑作5冊をあげていたり、なかなかの面白さです。
ちなみに『マイケル・K』の雑誌掲載写真はなぜか、古い単行本の表紙。いま手に入るのは新しい全面改訳版<ちくま文庫>ですので、お間違いなく。
2009/07/01
ローレルの実とまさしくん
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