「すばる 8月号」に「曇る眼鏡を拭きながら 7」が載っていたのをお知らせするの、すっかり忘れていました。💦💦💦
もうすぐ次の号が出るのに! 明日ですね、9月号には斎藤真理子さんのすご〜く面白いお手紙「曇る眼鏡を拭きながら 8」が紙面を飾る予定。
そのお返事「曇る眼鏡を拭きながら 9」を、いま書いているところです。いや、これ、ちょっと長いな!
「すばる 8月号」に「曇る眼鏡を拭きながら 7」が載っていたのをお知らせするの、すっかり忘れていました。💦💦💦
もうすぐ次の号が出るのに! 明日ですね、9月号には斎藤真理子さんのすご〜く面白いお手紙「曇る眼鏡を拭きながら 8」が紙面を飾る予定。
そのお返事「曇る眼鏡を拭きながら 9」を、いま書いているところです。いや、これ、ちょっと長いな!
前回の投稿から、あっという間にひと月が過ぎました。この間にいろんなことが起きて、心がざわつきますが、忘れないうちに記録しておきます。
23日の日経新聞に、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの拙者訳『パープル・ハイビスカス』(河出書房新社)の書評が掲載されました。評者は「アフリカの文学」についての、いまや彼女の右に出る人はいないと思われる研究者であり翻訳者でもある、粟飯原文子さん。
ナイジェリアという国を舞台にした作品の背景をきちんと書いてくれました。アディーチェが26歳のときに発表した初作『パープル・ハイビスカス』は、15歳の少女カンビリが語る、崩壊していく家族の物語であり、少女自身の成長物語でもあり、作者アディーチェの故郷への熱い思いが行間からじみ出てくる作品です。
粟飯原さん、丁寧に読み解いてくれて、ありがとう!
以下、部分的に引用します。
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>興味深いのは父親が単なる狂信的な悪人ではなく、複雑で孤独な人物として描かれているところだ。歪(ゆが)んだ愛の形や矛盾含みの正義感には、ミッション・スクールの規律と懲罰を含む教育、ナイジェリア独立後の痛みに満ちた現代史の影響も垣間見える。
>冒頭の「家族の絆が崩れはじめた」から始まる時代背景には、クーデターの勃発によってさらなる混乱に陥る国家の姿がある。(中略)
>作品では暴力的な父親、国の動乱や悪政という否定的な面が目立つ。とはいえ、それは著者が愛を込めて故郷と向き合い、どれほど欠陥や困難があろうとも、より良い未来のあり方を信じる姿勢の表れである。「何度かやって失敗しただけ」という叔母の言葉にはその信念と誇りが読み取れる。
>(中略)叔母の庭に咲く希少な紫のハイビスカスがカンビリたちの庭でも根づいて蕾(つぼみ)をつけたように、再生の明日が予感される。
🌺
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2022年6月21日の東京新聞夕刊「海外文学の森へ 33」に沼野充義さんが訳されたヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集『瞬間』(未知谷刊)について書きました。画像では文字が読みにくいので、ここに全文を!
<人生を凝縮したことば>
無性に詩を読みたくなるときがある。心に響くことばをふいに目にして、いま自分は詩を必要としているとわかる瞬間がある。
昨秋から訳者、沼野充義氏のSNSを通して、折々にとどけられてきたヴィスワヴァ・シンボルスカの詩が瀟洒な書籍となった。詩人晩年の作品だという。
読みすすむうちに、晩年とは死を前にして、これまでの時間を一瞬のうちに含み込む凝縮したことばを生み出すときだと知る。詩句が放つ硬質な透明感が、ページから比類なき確かさで立ち上がってくるのだ。
いつもいつも詩のことを考えているわけではないのだけれど。大波のような危機に襲われたとき、シンボルスカの詩を読んできたように思う。
それは3・11の直後に読んだ詩集『終わりと始まり』の「またやって来たからといって/春を恨んだりはしない」で始まる「眺めとの別れ」であったり、昨秋からくりかえし読んできた「ひしめき合う世界で」であったり。
詩人はみずからを「地上にひしめきあう数えきれないほど多くの生き物たちと比較して」こう書く。
私も自分で選んだわけではない
でも不平は言わない。
はるかに個性のない
誰かであったかもしれないのだから。
魚の群、蟻塚、ぶんぶんうなる群の誰か
風に乱される風景のひとかけらだったかもしれない。
そして読者はいきなりこんな詩句に出会うのだ。
運命はこれまでのところ
私にやさしかった。
この二行を目にしたとき、ある試練のなかにいたわたしは、思わず涙した。
この詩集の翻訳と解説の執筆は、入院中の病室で行われたという。それが「気ままに飛び去りそうな魂をつなぎとめる唯一の方法だったような気がする」と沼野氏は謝辞に書いている。
一篇ごとの解説は詩人への切実な応答となり、奇跡の訳詩集として結実した。
くぼたのぞみ(翻訳家・詩人)
机に向かい目をあげると
ぴかぴかの板を通して見える樹木。
雨あがりのこんな朝は
ハン・ガンの「解剖劇場」も
すっと理解できる。
若くて、生なましい
突き抜ける痛み。
ハン・ガン詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』きむ ふな/斎藤真理子訳(クオン刊)
昨夜、詩人・作家の池澤夏樹さんから呼びかけるメールがきました。
1955年に米国のピート・シーガーが作った曲「Where have all the flowers gone? 花はどこへ行った?」を全世界で歌おうという内容でした。ヴェトナム反戦歌として非常に有名なこの曲は、シーガーがその直前に読んだというショーロホフの『静かなドン』のなかに出てくるコサックの民謡「Koloda-Duda」から採られているそうです。メロディーはアイルランドの労働歌が用いられているとか(Wikipedia による)。ロシアとウクライナの文化がミックスされた歌が本歌、だから、それを全世界で一斉に歌おうということです。
英語はジョーン・バエズ、フランス語はジュリエット・グレゴ、ドイツ語はマレーネ・ディートリッヒが、それぞれ歌っている動画がYOUTUBEに出てきます。
びっくりしたのはロシア語のバージョンです。沼野恭子さんによると、「歌っているのはジャンナ・ビチェフスカヤЖанна Бичевская(1944年生まれ)というシンガーソングライターで、1970年代にとても人気がありました」とのこと。
歌い上げずに、淡々と歌うところが、とてもとても心打たれます。日本語の字幕もついています。ぜひ聞いてください。そして、何語でもかまわないから、5月30日午後9時にみんなでこの歌を歌おう。
英語バージョンの最後、「When will they ever learn? いつになったら彼らは学ぶんだ?」というルフランが、痛みを持って迫ってくる。
スイカズラ
あまい香りをあたりにふわりと漂わせている。
青空の下で昨日、撮影した、出来立てホヤホヤの拙者訳、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『パープル・ハイビスカス』の写真と並べて見る。なんとなく色調が似ているのだ。
お待たせしました。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのデビュー作『パープル・ハイビスカス』が、今月20日に河出書房新社から発売です。(追記:5.18ネット書店で「在庫あり」になりました!)
異端になることを恐れるな。たった一度の自分の人生を生きるために 西加奈子
舞台はナイジェリアの南部エヌグという町、主人公カンビリは15歳の女の子。裕福だけれど、とても厳格なカトリック信者の父親の、強い支配のもとに暮らしています。兄のジャジャとは、ことばではなく、もっぱら眼差しで会話をするような暮らしです。
父親の妹で大学講師のイフェオマおばさんが、それをみかねて、兄と妹をスッカの家へ招いてくれます。おばさんの家で、いとこたちが自由に自分の意見を言い合う様子にカンビリは心底びっくりして、最初はガチガチに緊張しながらも、だんだん外の世界に目覚めていきます。
おばさんの家によく訪ねてくるアマディ神父に、いとこたちは辛辣な疑問を投じて、議論の花を咲かせています。一言もしゃべらない内気なカンビリを心配したアマディ神父は、彼女をサッカー場へ連れ出して、思い切り走ることを教えてくれます。うっとりするような美声のアマディ神父に、カンビリは淡い恋心を抱きますが……。
イフェオマおばさんはガーデニングに凝っていて、家の前の花壇には赤ではなく、紫色のハイビスカスが咲いていました。兄のジャジャがその茎を家に持ち帰って育てるのですが。。。自由という色を秘めた、紫色のハイビスカス。
この作品には、発表当時J・M・クッツェーからこんな賛辞が寄せられました。
宗教的不寛容とナイジェリアという国家の酷薄な面に、あまりに年若くしてさらされた子どもの、繊細で心に沁みる物語。 J・M・クッツェー
2003年に米国南部にある小さな出版社アルゴンキンから出た、アディーチェの初めての長編作品。『半分のぼった黄色い太陽』や『アメリカーナ』にくらべると登場人物も多くないし、人間関係もそれほど入り組んでいないので、初めてアディーチェの作品と出会うには、この本が最適かもしれません。
今日発売の「すばる 6月号」に載っているのは、斎藤真理子さんへ、くぼたのぞみが書く3通目の手紙です。
先月号の手紙で真理子さんから、クッツェーの『青年時代』の切り抜きの意味を質問されたので、お返事としてそれについて書きましたが、予想通り、書いているうちにどんどんハマって、クッツェー祭りになってしまいました(笑)。
『青年時代』はクッツェー自伝的三部作の第2巻で、2014年にインスクリプトから出た『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの<自伝>』に入っています。
第1巻と第3巻に挟まれて、やや影が薄い作品のように見えますが、どうして、どうして、改めて読むと、これはサンドイッチの中身のようにコクがあって、噛み締めると味がにじみ出てくる作品です。どこまでもドライな筆致で書かれていますが、若いってこういうことだったよなあ、と納得の一冊です。納得だけではなく今回は『ダスクランズ』を翻訳した後初めて読んだこともあって、新たな発見がいくつもありました。
この第2部は、自分を死んだことにして、生前の友人や恋人へのインタビュー構成で読ませる第3部『サマータイム』に比べると、やや地味に見えますが、青春の嵐をくぐり抜けた人がじっくり読むと、きっとジーンとくること間違いなしです!
ようやく時間ができたので、レベッカ・L・ウォルコウィッツ著『生まれつき翻訳』(監訳・佐藤元状、吉田恭子/訳・田尻芳樹、秦邦生、松籟社, 2021)を読みはじめる。監訳者の方々は「クッツェーファンクラブ」の面々なので、読むのを楽しみにしていたのだ。
まずは序章「世界文学の今をめぐって」をざっくり読んでいくと、クッツェーという作家名がかなり出てくる。そこはゆっくり読む。するとチカチカと点滅する文字群に出くわした。p24の3つ目の段落はこう始まる
「ニューヨークやロンドンなど出版業界の中心から外れた場所にいる英語作家も、翻訳を余儀なくされることがある。ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴが最初の一連の長編をキクユ語で出版することにしたのはよく知られているが、自らの翻訳で英語でも出版してきた。チヌア・アチェベの『崩れゆく絆』にはイボの言葉がそこここに使われているが、一九六二年、ロンドンのハイネマンの叢書で出版されたときには用語集が必要だったし、クッツェーの『石の女』は一九七七年に南アフリカで初版が出たが、英国版では一部がアフリカーンス語から英語に翻訳されている」(下線引用者)アフリカ系/発の作家たちと言語との関係をざっと見渡す部分だが、下線を引いた箇所で「?」となった。クッツェーの第二作目に当たるこの本はまず、イギリスとアメリカで出たはずだ。念のため原文も当たってみたが、原文通りの訳になっているから、これは著者レベッカ・L・ウォルコウィッツの勘違いなんだろう。まず下線部前半。
1)クッツェーの『石の女』は一九七七年に南アフリカで初版が出たが
In the Heart of the Country(わたしはいくつかの理由で原タイトル通りに『その国の奥で』とする) の「初版は」たしかに1977年に出ているが、南アフリカのRavan社からではなくイギリスのSecker社からだ。同年にアメリカのHarper社からもタイトルが一語異なる形で出ている(理由は後述する)。南アフリカで英語とアフリカーンス語の混じった「バイリンガル版」として出たのは翌年の1978年2月*だ。出版にいたる事情は非常に複雑。この出版年の微妙なずれについては、2014年の拙者訳『サマータイム、青年時代、少年時代』(インスクリプト)の年譜にも、昨年の『J・M・クッツェーと真実』(白水社)の年譜にも載せた。だからここはちょっと残念。
クッツェーがこの作品を書き上げたときは2つのバージョンがあった、とカンネメイヤーの『伝記』(伝記 p288~)やデレク・アトリッジの著書(Attridge p22)は伝えている。デイヴィッド・アトウェルの作品論(p65~)にも詳しい。(参考図書はブログ下に)
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| Ravan 1978 |
2つのバージョンのうち1つはすべて英語のバージョン。もう1つは会話部分がアフリカーンス語のバージョンだ。ロンドンのエージェント宛てのクッツェーの手紙によると、会話部分にフォークナーが南部訛りの英語を用いたように、自分も英語でローカルな感じを出したいとやってみたがうまくいかなかった、とある。会話は英訳前のアフリカーンス語バージョンがしっくりくるとクッツェーは述べる。
テクストが海外版と南ア版で異なるこの作品の出版が、南アフリカで一年遅れた理由は、1970年半ばに南アフリカの検閲制度が大きく変化し、作家や編集者が検閲委員会の動きを注視せざるをえなくなったことと関連があるようだ。さらに、旧植民地をも市場にしたいイギリスの出版社と南アフリカの極小出版社との、販売権をめぐる複雑な事情が絡んでいる。
これはまだ初作『ダスクランズ』が南アフリカでしか出版されていなかったころで、クッツェーは二作目はイギリスやアメリカで出版したいと強く希望していた。そこでレイバンの編集者とイギリスのエージェントと同時に交渉していたらしい。その結果、まず英語のみのバージョンがイギリスとアメリカで出版され、会話部分がアフリカーンス語のバイリンガル版が翌年、南アフリカで出版ということになった。
![]() |
| Harper Collins 1977 |
クッツェーが2つのテクストを準備した理由は、農場を舞台にした会話場面の多いこの作品の本質と関わってくる。南アフリカの農場で用いられる言語は、『少年時代』を読むとわかるが、圧倒的にアフリカーンス語だ。会話はアフリカーンス語であるほうが、クッツェーを含む南アの読者にとって自然なのだ。次に下線の後半部分。
何語から何語への翻訳かは、アトウェルの草稿研究が明らかにしている。会話部分は最初アフリカーンス語で書かれていたが、作家が改稿の見直しをするとき、草稿の反対ページにアフリカーンス語会話の英訳を書きこむようになったのだ。「自分の作品は英語という言語にルーツをもっていない」と明言するにいたった作家の心情が、非常によく出ているのがこの農場を舞台にした『その国の奥で』だった。
というわけで、どうやらこの作品の出版年をめぐるウォルコウィッツの誤記に、「クッツェーファンクラブ」の面々は残念ながら気がつかなかったらしい。些細な誤記ではあるが、1970年代南アフリカの出版事情は、J・M・クッツェーという作家の誕生にとって重要なポイントなのだが。
なんでこんな文章を書いているのか、と自問してみる。どうやらそこには、日本のクッツェー研究者に南アフリカのことをもう少し突っ込んで探って欲しいと思っている自分がいることに気づく。アフリカなんか、と思わずに。クッツェーが生まれて育って、20代の10年間をのぞいて62歳まで暮らした土地なんだから。
ウォルコウィッツのこの本は、トピカルなテーマを追いかける文芸ジャーナリスト顔負けの奇抜な見立てと文章力で読ませてしまうところが、すごい。でもその足場として透かし見える軸は、「世界文学」としての英語圏文学をマッピングして描こうとする「北の英語文学理論」の欲望にあるのではないか。バッサバッサと斬新なテーマで切っていく勢いには、辺境で生み出される個々の作品の、いってみれば英語以外の「その他の言語」で書かれる作品の出版事情なんかにいちいちこだわらなくてもいい、という姿勢が見え隠れする。いや、ぜんぜん隠れてないか(笑)。村上春樹とJ・M・クッツェーを「翻訳」というキーワードでおなじ土俵に並べてしまうのだから。この2人にとって作家として生きる言語環境と、「翻訳」の切実性や必然性の依って立つところは、まるで異なるだろうに。
また born translated をわたしは「翻訳されて生まれてきた」と訳すことにしているが、それは「生まれつき翻訳」は「分類」「仕分け」には便利だが、作品が立ちあがる動きを切り捨てるニュアンスがあるためだ。おそらくそれは作品翻訳者の姿勢と、数多くの作品を「研究」する者の姿勢の違いからくると思われる。もう一つ、あえていうなら「生まれつき」に続く語にマイナスイメージ(差別語)を呼ぶ気配が消えないからだ。そのような表現を長く、耳から浴びつづけた世代だからかもしれないけれど。
翻訳はさぞや大変だっただろうなあと推察する。膨大な作品数と原註、そのファクトチェックの結果と思しき訳註で、クッツェーの書評集と小説の冊数をめぐる警告が入っていたりして、苦労の跡がしのばれます……ご苦労様でした。👏👏👏👏
ちなみに、2022.4.18現在のWikipedia(英語版)In the Heart of the Countryは、出版年、バージョンともに、きちんと事実を伝えています。💖
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追記:2022.4.24──
1)参考図書をあげておきます。(『J・M・クッツェーと真実』にも入れました。)
・Derek Attridge: J. M. Coetzee and the Ethics of Reading, University of Chicago Press, Chicago, London 2004.
・Peter D. McDonald: The Literature Police, Oxford University Press, 2009.
・J. C. Kannemeyer: J. M. Coetzee, A Life in Writing, Scribe, 2012.
・David Attwell: J. M. Coetzee and the Life of Writing, Viking, 2015.
・Marc Farrant, Kai Easton and Hermann Wittenberg: J. M. Coetzee and the Archive: Fiction, Theory, and Autobiography, Bloomsbury, 2021.
・Robert Pippin: Metaphysical Exile on J. M. Coetzee’s Jesus Fictions, Oxford University Press, 2021.
2)『その国の奥で』のことは『J・M・クッツェーと真実』第三章「発禁をまぬがれた小説」で、部分訳も引用しながら、詳述しました。
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さらに追記:2022.11.12──
*「6月」と書きましたが、正しくは「2月」でしたので、訂正しました。