4月につづいて、J・M・クッツェーがアルゼンチン、ブエノスアイレスのサンマルティン大学で、9月14日から25日まで開かれた第2回「南の文学」セミナーのチェアをつとめた。今年のセミナーのゲストは、ゾーイ・ウィカムとアイヴァン・ヴラディスラヴィッチ、いずれも南アフリカ出身の作家だ(ウィカムはスコットランドに住むが、ヴラディスラヴィッチはヨハネス在住)。以下は、サンマルティン大学のホームページに掲載された記事を、ざっと訳したもの。
学長のカルロス・ルタは、「南の文学」とはアフリカ、オーストラリア、そしてラテンアメリカを照らし合わせながら相互交流をする場だと述べた。クッツェーによってなされたこの提言の核心には、南という世界がもつ経験のために、大学として必然的なコミットメントがある。アカデミズムの世界がその視界から除外し、押さえ込んできた部分を可視化させる、そういう真実を明らかにするものがあるのだ。そのために文学は有効な役割をはたすだろう。……中略……「南の文学」のチェアはもちろん、既成の境界を広げたいという要望についてさらに深く考え、断固とした決意をもっている、と述べた。
それに対してクッツェーは「前回、ゲイル・ジョーンズとニコラス・ジョーズという2人の作家をオーストラリアから伴ってこの大学を訪れ、オーストラリアの文学について講義をしたが、たいへん心踊るものであり、新しい学生や作家、テクストと出会う喜びがあった。今回はサンマルティン大学の方々に南アフリカの主要な作家を2人紹介できて嬉しい。彼らには6つのコースを担当してもらう。今回のプログラムでは、南アフリカ文学の歴史と、「南」という概念について扱うが、この「南」が理論的に含み持つ意味合いには大いなる可能性がある」と述べた。
北と南、という軸を立てることについて、チェアであるクッツェーは、それが新しい次元を切り開くことになるのではないかと提案。「北と南というパラダイムは、南アフリカや南全域を貫いているが、この軸で考えると、南のなかでもっとも小さな大陸であるオーストラリアは北に属している。南北の軸で国々を分けるのは、地理的にほとんど注目されず、多くは経済的な意味合いにある。オーストラリアはこのパラダイムでアルゼンチンと合致しないだけでなく、20世紀初めには世界でもっとも裕福な国のひとつとなり、今日ふたたび中心的位置を獲得する可能性をもっている。北と南という図式は、奇妙なシンメトリーを活性化しつつ、ひとつの均衡のようなものを作りあげている。しかし、北は政治権力とグローバル・コミュニケーション・ネットワークの中心であり、南はそれ以外ということだ。このパラダイムは北のアカデミズムの概念であり、南の知識人は警戒して考えなければならない。南は、北が押し付けてくる受け身の役割を引き受けてはならない。文学においては、北によって決められたスタンダードとパターンを追いかける結果になっている。北と南は、中立的な分析タームではなく、分離の歴史を背負わされている。今回のチャレンジは、南の新しい文学を立ち上げることなのだ」と述べた。
ゾーイ・ウィカムはサンマルティン大学への招待にお礼を述べたあと「南の文学に多大な貢献をしてきたアイヴァン・ヴラディスラヴィッチやJ・M・クッツェーとともにこうして参加できるのはとても光栄だ」と述べた。
最後にアイヴァン・ヴラディスラヴィッチが「こんなに歓迎されたこと、大勢の人たちと自分の熱意を共有できたのはとても嬉しい。ブエノスアイレスに来ることができるとは思わなかった。講座をとおして、もっとも興味深く、重要な南アフリカの作品を学ぶことになるだろうが、それと同時に、アルゼンチンの作品についても学びたいと思う」と述べた。
「南の文学」講座は、ラテンアメリカ文学とラテンアメリカ研究の共同研究活動として開催される。
第1回は、オーストラリアからゲイル・ジョーンズとニコラス・ジョーズの2人が参加したが、今回は「グローバル・サウス」と「リーディング・ムンディ」および「サンマルティン大学編集局」(今回の南ア作家2人の作家の話をアンソロジーにした『Perspectives:South African Tales』の特別出版に注目!)も参加。
南アフリカの文学をテーマとする今回のコースは、8回のミーティングと6回の授業、そして2回の公開講座から構成される。
ノーベル賞作家 J・M・クッツェーによって指導される「南の文学」は、アフリカ、オーストラリア、ラテンアメリカや他の南部地域出身の作家、文芸批評家、文学研究者、教師の交流、意見交換の場である。
クッツェーがめざす方向性は、文学が隔たった知られざる世界を結びつけることにある。つまり、この活動は、経験や出自を問わず、だれにでも開かれた構成を促すことにあり、近似しているであろう活動を、南というイメージをもつ世界に相互に出会う経験をもたらす。その意味で、サンマルティン大学は、南と南の文化交流的空間のプログラムを創設する指導的な大学となっている。
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2015.9.28付記:上の記事の原文はスペイン語です。Googleで英訳したものの、あくまでおよその訳ですのでご了承ください。
左からヴラディスラヴィッチ、ウィカム、ルタ、クッツェー |
それに対してクッツェーは「前回、ゲイル・ジョーンズとニコラス・ジョーズという2人の作家をオーストラリアから伴ってこの大学を訪れ、オーストラリアの文学について講義をしたが、たいへん心踊るものであり、新しい学生や作家、テクストと出会う喜びがあった。今回はサンマルティン大学の方々に南アフリカの主要な作家を2人紹介できて嬉しい。彼らには6つのコースを担当してもらう。今回のプログラムでは、南アフリカ文学の歴史と、「南」という概念について扱うが、この「南」が理論的に含み持つ意味合いには大いなる可能性がある」と述べた。
北と南、という軸を立てることについて、チェアであるクッツェーは、それが新しい次元を切り開くことになるのではないかと提案。「北と南というパラダイムは、南アフリカや南全域を貫いているが、この軸で考えると、南のなかでもっとも小さな大陸であるオーストラリアは北に属している。南北の軸で国々を分けるのは、地理的にほとんど注目されず、多くは経済的な意味合いにある。オーストラリアはこのパラダイムでアルゼンチンと合致しないだけでなく、20世紀初めには世界でもっとも裕福な国のひとつとなり、今日ふたたび中心的位置を獲得する可能性をもっている。北と南という図式は、奇妙なシンメトリーを活性化しつつ、ひとつの均衡のようなものを作りあげている。しかし、北は政治権力とグローバル・コミュニケーション・ネットワークの中心であり、南はそれ以外ということだ。このパラダイムは北のアカデミズムの概念であり、南の知識人は警戒して考えなければならない。南は、北が押し付けてくる受け身の役割を引き受けてはならない。文学においては、北によって決められたスタンダードとパターンを追いかける結果になっている。北と南は、中立的な分析タームではなく、分離の歴史を背負わされている。今回のチャレンジは、南の新しい文学を立ち上げることなのだ」と述べた。
ゾーイ・ウィカムはサンマルティン大学への招待にお礼を述べたあと「南の文学に多大な貢献をしてきたアイヴァン・ヴラディスラヴィッチやJ・M・クッツェーとともにこうして参加できるのはとても光栄だ」と述べた。
最後にアイヴァン・ヴラディスラヴィッチが「こんなに歓迎されたこと、大勢の人たちと自分の熱意を共有できたのはとても嬉しい。ブエノスアイレスに来ることができるとは思わなかった。講座をとおして、もっとも興味深く、重要な南アフリカの作品を学ぶことになるだろうが、それと同時に、アルゼンチンの作品についても学びたいと思う」と述べた。
「南の文学」講座は、ラテンアメリカ文学とラテンアメリカ研究の共同研究活動として開催される。
第1回は、オーストラリアからゲイル・ジョーンズとニコラス・ジョーズの2人が参加したが、今回は「グローバル・サウス」と「リーディング・ムンディ」および「サンマルティン大学編集局」(今回の南ア作家2人の作家の話をアンソロジーにした『Perspectives:South African Tales』の特別出版に注目!)も参加。
南アフリカの文学をテーマとする今回のコースは、8回のミーティングと6回の授業、そして2回の公開講座から構成される。
ノーベル賞作家 J・M・クッツェーによって指導される「南の文学」は、アフリカ、オーストラリア、ラテンアメリカや他の南部地域出身の作家、文芸批評家、文学研究者、教師の交流、意見交換の場である。
クッツェーがめざす方向性は、文学が隔たった知られざる世界を結びつけることにある。つまり、この活動は、経験や出自を問わず、だれにでも開かれた構成を促すことにあり、近似しているであろう活動を、南というイメージをもつ世界に相互に出会う経験をもたらす。その意味で、サンマルティン大学は、南と南の文化交流的空間のプログラムを創設する指導的な大学となっている。
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2015.9.28付記:上の記事の原文はスペイン語です。Googleで英訳したものの、あくまでおよその訳ですのでご了承ください。