Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/01/18

もう一度「笑い」について

 書き忘れたことを簡単にメモしておこう。

 中島らもの本『何がおかしい』を埃っぽい書架からひっぱりだしたのは、彼が確か、笑いを3つに分類、分析していたはずだと考えたからなのだけれど、そのときわたしの頭のなかにあった3つの「笑い」とは、以下のような分類だった。

1)自分とは異なる者を下に見て自分の優位性を確認する笑い(つまり「差別的な笑い」)
2)ナンセンスな笑い
3)自分自身を批判的に見る笑い

 でも、紹介したように、そうではなかった。中島らもの分類は、およそ1)と2)にあてはまるものだったのだ。あると思っていた3)についての言及は──本を隅から隅まで読み返したわけではないが──ざっと見たかぎり、残念ながら、なかった。

 劇作家であり放送作家であり、笑いをとるコントをたくさん書いてきた中島らもにとって、3)の笑いは確かにあったはずなのだが、それをもとにコントをつくるのは至難の業だったのかもしれない。この辺はむしろ、ベケットやカフカが得意とするところだろう。(あるいは、らもがいう「あほ系」に少しかぶるところがあるかも・・・)

 ベケットやカフカの作品がかもしだす笑いは、文学が得意とするところであり、いわゆるお笑いの世界で受けるのはなかなか難しいのかもしれない。
 しかし、中島らもの散文には、まちがいなく自分自身を、すさまじいばかりの勢いで笑い飛ばす精神が満ちていた。そこが面白かったのだ。

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付記:そしてこの自分自身を笑う精神こそ、多文化、多民族の社会内で人びとが共存するために、絶対必要な要素なのではないか、とわたしなどは思うのだ。