数日前に、風刺漫画を出しつづけてきたフランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」の編集室がカラシニコフ銃をもった男たちに襲われ、12人の漫画家や編集者が殺されるという事件が起きた。場所はフランスのパリだ。その後、犯人たちは印刷所やスーパーに人質をとって立てこもったが、フランス憲兵特殊部隊とフランス警察所属の特殊部隊によって射殺された。人質のなかからも4人の犠牲者が出た。ほかにも警官が死んでいる。
フランスの風刺画といえば、わたしなどはすぐにドーミエという19世紀の版画家を思い出すが、シャルリー・エブドという週刊紙で作家たちが風刺対象にしたのは、イスラーム教をめぐる事柄のみならず、キリスト教や広く政治、社会、などあらゆる分野におよんでいたと聞く。ただ、それに対して言論による批判ではなく今回のように暴力による口封じをしようとした実行犯が、フランス生れのアルジェリア系のフランス人であり、その背後にアラビア半島を拠点にするアルカイダがいるらしいということで、ややこしくなる。この事件はグローバル社会の歴史的背景やその重層性を抜きに、単純な二項対立で考えるわけにはいかないのだ。
今回の事件をめぐる詳細な分析や情報等は、事件が起きた場所の近くに住む詩人・翻訳家・作家である関口涼子さんが facebook などに、時を移さず書き込みをしてくれるおかげで知ることがで、とても助かる。ややもすると、西欧社会×イスラーム社会、とか、キリスト教社会×イスラーム教社会、といった図式的な枠組みで理由づけして分かったような気にさせてくれる、いわゆる「専門家の分析」のことばに頼りがちだけれど、今回の事件は、つきつめていうなら「言論の自由」を暴力で封じ込めるという事件である。今回の場合、その「言論の自由」が、ある人たちから見れば「ダブルスタンダード」であるとしても、その根幹にある事実に変わりはない。しかし、である。
関口涼子さんの指摘を読んでいて、今回あらためて確認したのは、日本語社会が抱く、いわゆる「フランス」のイメージのなかには(大雑把な議論になるが)、有色の人たちは含まれていないらしいということだ。いうまでもなく現在、フランスには大勢の非白人系の人たちが住んでいる。フランスが過去に植民地としてきた土地からやってきた人たち、あるいは、生れた土地で命の危険を感じて亡命してきた人たち、経済的な困窮ゆえに移民した人たち、などなど混じり合いながら、そういう人たちの子供、孫の世代まで含めて、大勢の非白人系の住民があの国には住み暮らしてきたし、いまも住み暮らしている。日本だってじつはそうなのだ。
それをどうも、きちんと理解したいと思わない傾向がこの日本語社会にはあるらしい。だから、今回の事件を説明することばが、まず「フランスにはイスラーム教徒の移民が・・・」といった解説が入ってきて、議論が横にずれていく。フランス革命記念日を「パリ祭」と呼び換え、そのパリといえば相も変わらず「花の都」だの、ファッションの本拠地といった「イメージ」ばかりを、とりわけ女性雑誌が流しつづけてきたのだから、これは無理もないか・・・。
かつてカトリックでなければ「市民」としてさえ認められなかった時代から現代まで、この国では「言論、宗教の自由」は長い年月をかけて鍛えられてきた。キリスト教、ユダヤ教、イスラーム教、仏教、ヒンドゥー教など、「宗教」への風刺は許されても、その宗教を信じる個人への風刺は許されない、というバランスを取ってきたのだ。そのバランス感覚をつくりあげてきた多民族社会、それが現在のフランスという国だ。その努力のなかには、当然のことながら、この国に亡命を余儀なくされてきた非西欧系とされる人たちの、たゆまぬ努力もまたあっただろう。そこの部分が、この日本社会にいて、日本語の大手ジャーナリズムに頼っていると、見えにくい。
Je suis Charlie Hebdo! ── 事件が起きた直後、フランス全土で大きな抗議のデモが広がった。このとき「わたしはシャルリー・エブドだ!」と書かれたプラカードを掲げる人の写真がメディアにも流れた。この表現はひっかかるなあ、とわたしは思う──対象に自己を重ねて「同情」したがる傾向だもの。でも、これは「シャルリー・エブドの論調に同感する」という意味ではなくて、「わたしはあなたの意見に同感ではないが、あなたがその意見を主張できる権利は死守する」という意味だそうだ。そう発言するフランス人が多かったと関口さんは伝えている。この考え方は、かつてこのブログでも書いたヴォルテールに由来する有名なことばを思い出す。しかし、である。
I am not Charile, I am Ahmed the dead cop. Charlie ridiculed my faith and culture and I died defending his right to do so. という書き込みがツイッターであったそうだ。「私はシャルリーではない、私はアハメド、殺された警官だ。シャルリー紙は私の神や文化をばかにしたが、彼がそうする権利を守るために私は死んだ」という意味だろう。それを日本語の大手新聞が、わかりやすさを追求してか、たんなる思い込みによる誤りか、こう伝えた。「私はシャルリーではなくアハメド。殺された警官です。シャルリーエブド紙が私の神や文化をばかにしたため私は殺された」
これで、「表現の自由」を守る西欧社会の警官である自分(アハメドというアラブ系の名前をもった人間)という、皮肉な位置づけを可視化する過程がすっぽりと抜け落ちてしまった。西欧社会の表現の自由はダブルスタンダードだ、と皮肉る批評性も、ツイッター原文の背後には読み取れなくもない。
もしも、わかりやすさを追求するあまり、ということであるなら、その「わかりやすさ」を作ってきたものとはなんなのかを考えなければならないだろう。あるいは、思い込みであるなら、この日本語社会でその思い込みを作ってきたものはなにかを考えなければならないだろう。わたし自身もまた、翻訳者としての自戒を込めて。真っ白いフランスなどないし、単一民族の日本社会もないのだから。
最後にこの事件が起きたとき偶然パリに滞在したナイジェリア出身のアメリカン・アフリカン、テジュ・コールが今日付けの「ニューヨーカー」誌に書いた記事 Unmournable Bodiesをリンクしておく。興奮さめやらぬ調子で書かれたリポートである。
付記:もうひとつ。酒井啓子さんの文章をリンク。視点をぐっと引いた全体像。重要なポイントが含まれる。
(つづきがあります)
フランスの風刺画といえば、わたしなどはすぐにドーミエという19世紀の版画家を思い出すが、シャルリー・エブドという週刊紙で作家たちが風刺対象にしたのは、イスラーム教をめぐる事柄のみならず、キリスト教や広く政治、社会、などあらゆる分野におよんでいたと聞く。ただ、それに対して言論による批判ではなく今回のように暴力による口封じをしようとした実行犯が、フランス生れのアルジェリア系のフランス人であり、その背後にアラビア半島を拠点にするアルカイダがいるらしいということで、ややこしくなる。この事件はグローバル社会の歴史的背景やその重層性を抜きに、単純な二項対立で考えるわけにはいかないのだ。
今回の事件をめぐる詳細な分析や情報等は、事件が起きた場所の近くに住む詩人・翻訳家・作家である関口涼子さんが facebook などに、時を移さず書き込みをしてくれるおかげで知ることがで、とても助かる。ややもすると、西欧社会×イスラーム社会、とか、キリスト教社会×イスラーム教社会、といった図式的な枠組みで理由づけして分かったような気にさせてくれる、いわゆる「専門家の分析」のことばに頼りがちだけれど、今回の事件は、つきつめていうなら「言論の自由」を暴力で封じ込めるという事件である。今回の場合、その「言論の自由」が、ある人たちから見れば「ダブルスタンダード」であるとしても、その根幹にある事実に変わりはない。しかし、である。
関口涼子さんの指摘を読んでいて、今回あらためて確認したのは、日本語社会が抱く、いわゆる「フランス」のイメージのなかには(大雑把な議論になるが)、有色の人たちは含まれていないらしいということだ。いうまでもなく現在、フランスには大勢の非白人系の人たちが住んでいる。フランスが過去に植民地としてきた土地からやってきた人たち、あるいは、生れた土地で命の危険を感じて亡命してきた人たち、経済的な困窮ゆえに移民した人たち、などなど混じり合いながら、そういう人たちの子供、孫の世代まで含めて、大勢の非白人系の住民があの国には住み暮らしてきたし、いまも住み暮らしている。日本だってじつはそうなのだ。
それをどうも、きちんと理解したいと思わない傾向がこの日本語社会にはあるらしい。だから、今回の事件を説明することばが、まず「フランスにはイスラーム教徒の移民が・・・」といった解説が入ってきて、議論が横にずれていく。フランス革命記念日を「パリ祭」と呼び換え、そのパリといえば相も変わらず「花の都」だの、ファッションの本拠地といった「イメージ」ばかりを、とりわけ女性雑誌が流しつづけてきたのだから、これは無理もないか・・・。
かつてカトリックでなければ「市民」としてさえ認められなかった時代から現代まで、この国では「言論、宗教の自由」は長い年月をかけて鍛えられてきた。キリスト教、ユダヤ教、イスラーム教、仏教、ヒンドゥー教など、「宗教」への風刺は許されても、その宗教を信じる個人への風刺は許されない、というバランスを取ってきたのだ。そのバランス感覚をつくりあげてきた多民族社会、それが現在のフランスという国だ。その努力のなかには、当然のことながら、この国に亡命を余儀なくされてきた非西欧系とされる人たちの、たゆまぬ努力もまたあっただろう。そこの部分が、この日本社会にいて、日本語の大手ジャーナリズムに頼っていると、見えにくい。
Je suis Charlie Hebdo! ── 事件が起きた直後、フランス全土で大きな抗議のデモが広がった。このとき「わたしはシャルリー・エブドだ!」と書かれたプラカードを掲げる人の写真がメディアにも流れた。この表現はひっかかるなあ、とわたしは思う──対象に自己を重ねて「同情」したがる傾向だもの。でも、これは「シャルリー・エブドの論調に同感する」という意味ではなくて、「わたしはあなたの意見に同感ではないが、あなたがその意見を主張できる権利は死守する」という意味だそうだ。そう発言するフランス人が多かったと関口さんは伝えている。この考え方は、かつてこのブログでも書いたヴォルテールに由来する有名なことばを思い出す。しかし、である。
I am not Charile, I am Ahmed the dead cop. Charlie ridiculed my faith and culture and I died defending his right to do so. という書き込みがツイッターであったそうだ。「私はシャルリーではない、私はアハメド、殺された警官だ。シャルリー紙は私の神や文化をばかにしたが、彼がそうする権利を守るために私は死んだ」という意味だろう。それを日本語の大手新聞が、わかりやすさを追求してか、たんなる思い込みによる誤りか、こう伝えた。「私はシャルリーではなくアハメド。殺された警官です。シャルリーエブド紙が私の神や文化をばかにしたため私は殺された」
これで、「表現の自由」を守る西欧社会の警官である自分(アハメドというアラブ系の名前をもった人間)という、皮肉な位置づけを可視化する過程がすっぽりと抜け落ちてしまった。西欧社会の表現の自由はダブルスタンダードだ、と皮肉る批評性も、ツイッター原文の背後には読み取れなくもない。
もしも、わかりやすさを追求するあまり、ということであるなら、その「わかりやすさ」を作ってきたものとはなんなのかを考えなければならないだろう。あるいは、思い込みであるなら、この日本語社会でその思い込みを作ってきたものはなにかを考えなければならないだろう。わたし自身もまた、翻訳者としての自戒を込めて。真っ白いフランスなどないし、単一民族の日本社会もないのだから。
最後にこの事件が起きたとき偶然パリに滞在したナイジェリア出身のアメリカン・アフリカン、テジュ・コールが今日付けの「ニューヨーカー」誌に書いた記事 Unmournable Bodiesをリンクしておく。興奮さめやらぬ調子で書かれたリポートである。
付記:もうひとつ。酒井啓子さんの文章をリンク。視点をぐっと引いた全体像。重要なポイントが含まれる。
(つづきがあります)