4日前から『少年時代』の見直しに入った。原作は1997年に刊行され、日本語訳は1999年にみすず書房から拙訳で出て、いまは絶版。
クッツェーの自伝的三部作「Scenes from Provincial Life」(2011)の第一部におさめられるとき作家自身が見直しをしたため、それに合わせて日本語訳者もあらためて訳を最初から見直している。これが予想外に楽しい作業となった。
そもそも『少年時代』を訳すきっかけになったのは、なにをさておき、この作品の身につまされる面白さと切実さだったことを、いま一度、ありありと思い出している。わたしは現実には元少女だけれど、揺れる少年の心や、身勝手な悩みや、身を切るほどの不安がわからない、ということはない。むしろ、ひしひしと切ない。文学はそれが伝わる不思議な容器なのだ。
だから、読むほどに、訳しなおすほどに、10歳から(まあ、思い出を入れると8歳くらいから)14歳までの少年ジョンの秘かな内面が、これでもかこれでもか、と伝わってくる。少年のころって、こういう感じなんだよな〜、と思わせるものがぎっしり詰まっていて、息が苦しいほどあまい。
ちなみに、みすず書房版のカバーは英国で出た Secker&Warburg社のハードカバーの写真を使ったもので(編集を担当したOさんのデザイン)、あの年、ブックデザインか、カバーデザインの賞をなにやらいただいた記憶がある。なつかしい思い出です。
クッツェーの自伝的三部作「Scenes from Provincial Life」(2011)の第一部におさめられるとき作家自身が見直しをしたため、それに合わせて日本語訳者もあらためて訳を最初から見直している。これが予想外に楽しい作業となった。
そもそも『少年時代』を訳すきっかけになったのは、なにをさておき、この作品の身につまされる面白さと切実さだったことを、いま一度、ありありと思い出している。わたしは現実には元少女だけれど、揺れる少年の心や、身勝手な悩みや、身を切るほどの不安がわからない、ということはない。むしろ、ひしひしと切ない。文学はそれが伝わる不思議な容器なのだ。
ちなみに、みすず書房版のカバーは英国で出た Secker&Warburg社のハードカバーの写真を使ったもので(編集を担当したOさんのデザイン)、あの年、ブックデザインか、カバーデザインの賞をなにやらいただいた記憶がある。なつかしい思い出です。