2012/09/29

報告「ゾーイ・ウィカムとトランスローカル」

9月13、14日にヨーク大学で開かれた「ゾーイ・ウィカムとトランスローカル」のリポートがここで読めます

そうそうたる南アフリカ文学者、研究者たちが集い、発表し、朗読し、という会。
参加者たちの写真を何枚か見ることのできるサイトもありました。こちらです

 三回つづいたウィカムをめぐるシンポジウムもこれが最終回。いずれペーパーになって読むことができる日がくるでしょう。
 
 わたしは日本語訳『デイヴィッドの物語』の再校ゲラと格闘中。いやはや、この作品はすごい! としか言いようがない。通常の3~4冊分のエネルギーを費やしたような気がする。それだけの価値のある作品だと、訳し終わって、全体を通読しながらあらためて思う。ドロシー・ドライヴァーの「あとがき」が作品内容と不可分に結びついていて、たがいに引き合い、補い合って読み応え抜群です。

 デレク・アトリッジが言っていたように、チャレンジングな野心作です。船を水に浮かべる「進水式」を待つような気分。11月発売です。どきどき。

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付記:都甲幸治さんの『21世紀の世界文学 30冊を読む』のなかの、日本語で閉じた世界がすべてとは思わずに、地球の裏側におなじ悩みを持ち、何かをはじめている人がいることを知ってほしい、というところを読んで、そう! ウィカムを訳そうと決めた動機って、まさにそれ! と膝をたたいたんだった!

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さらに付記:管啓次郎さんに「トランスローカルってどう訳せるだろう?」とぶつけてみたら、「小さな土地と土地の呼応のことですから、グリッサンの<世界の響き>écho-monde とおなじことでしょうね」という実に明快なことばが返ってきた。そうか、グリッサンとも響き合ってる世界なんだな!

『リージェンツ・パークのミナレット』

スーダン出身で、大学を卒業後イギリスへわたり、現在アラブ首長国連邦に住む作家、レイラ・アブルエラー/Leila Aboulela の自伝的小説『ミナレット』がアラビア語に翻訳された。タイトルは『リージェンツ・パークのミナレット』、アラビア語になるとこのタイトルのほうがいい、気に入っている、と作家自身が自分のフェイフブックで述べている。

 以前「博物館」という短編を日本語に訳した者として、この作家はもっと日本にも紹介されていいと思いながら、南アフリカやナイジェリアの作家たちの作品で手いっぱいで、なかなか手ががまわらない。

 アルジェリア出身の作家、たとえばヤスミナ・カドラはフランス語から翻訳された──もちろんフランス語で書いている作家なのだから当然だけれど・・・。マフフーズのようなビッグなエジプトの作家はアラビア語から直接翻訳された。でも、エジプト出身のサーダーウィーは英語からだったし、モロッコのメルニーシーも英語からだった。

 このアブルエラーはハルツームで大学に通い、卒業後に渡英して統計学を学び、作品は英語で書いている作家である。上記の短編「博物館」で2000年に第一回ケイン賞を受賞、長編が3冊、短編集が1冊ある。現在、英語圏作家のなかでもアラブ社会の内側を描き、積極的に発言している作家として、日本でももっと注目されていいように思うのだけれど・・・。

 ちなみに作家の名前のカタカナ表記「アブルエラー」は、アラビア語の専門家に原語をあたってもらって確認したものだが、さらに原音に近い表記にすると「アブルエッラー」となるそうだ。

 

2012/09/20

失われたエデンの園、ふたたび

  エデンのどこかで、この時代のあとになお、
  まだ立っているだろうか、廃墟の都市のように、
  打ち捨てられ、不気味な釘で封印された、
  幸運に見放された園が?

  そこでは、うだる暑さの昼のあとに
  うだる暑さの夕暮れと、うだる暑さの夜がきて、
  黄ばんだ紫色の木々の枝から
  朽ちかけた果実が垂れているだろうか?

  その地下世界には、いまもなお、
  岩々のあいまに広がるレースのように
  縞瑪瑙や黄金の
  未発掘の鉱脈が伸びているだろうか?

  青々としげる葉群れのなかを
  遠く水音をこだまさせて
  この世に生きる者は飲まない、川面なめらかな、
  四本の小川がまだ流れているだろうか?

  エデンのどこかで、この時代のあとになお、
  まだ立っているだろうか、廃墟のなかの都市のように、
  見捨てられて、ゆっくりと朽ちる運命を背負った、
  誤りであると知れた園が?

                   イナ・ルソー

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 この詩のオリジナルはアフリカーンス語。1954年に発表されたイナ・ルソー(1923〜2005)の第一詩集『見捨てられた園/Die verlate tuin』におさめられています。今回は、J.M.クッツェーの英訳からの重訳です。

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2008年6月にこのブログで試訳した詩です。いまふたたびアップします。半世紀も前に南アフリカで書かれた詩。世界はまだ希望に満ちていたかに思えた時代に、南アフリカで進んでいた事態はいま世界中に確実に広がっている。この陰画のような風景が、脈略は少し違うけれど、この暑さにぴったりに思える。クッツェーの詳しい訳者ノートはこちらへ


(2012.9.21 付記)
上は1965年ころのカンパニー・ガーデンの写真(テーブルマウンテンに、雲のテーブルクロスがかかっている)。

下は2011年、ケープタウン旅行で筆者が撮影したカンパニー・ガーデン。

2012/09/15

Ascenseur Pour L'Echafaud ── 死刑台のエレベーター

ついにCDを買った。いまごろ? そう、いまごろ。DVDをぜひ、といわれたけれど、あっという間に到着したCDをかけながら、やっぱりこの音楽はわたしにはジャンヌ・モローの映像なしのほうがいい、と確認する。
 マイルスのトランペットを聴いていると、浮かんでくるのは映画のシーンではなく、60年代後半に足しげく通ったあちこちのジャズ喫茶の店内なのだから。カウンターでサイホンがぽこぽことたてる泡まで見える。黒光りしたテーブルのうえにどさりと置いた本の表紙まで浮かんでくる。そんな濃密な感覚に襲われる音楽なのだ。

 自分では買わなかったけれど、マイルス・デイヴィスはあのころ、おそらくコルトレーンとならんでジャズファンが最も話題にし、最も多くの人が耳にしたミュージシャンだったはずだ。あまりにもメジャーで、あまりにもマッチョな音楽だったため(「ビッチェズブリュー」のジャケットを思い出してほしい!)、わたしは反射的に、徹底的に敬遠した、そうだったのだろうか。
 とはいえ、ジャズを聴きにいく店のなかで否応なく耳に入ってくるのがマイルス・デイヴィスだった。そういえば、ニューヨークで開かれたブラックパンサーの集会を密かに録音したというテープを聴かされたときも、マイルスがペットを吹いていたっけ。テープ起こししろといわれたけれど、とても無理だった!(60年代のハーレムの写真を撮った吉田ルイ子さんなら理解できただろうな、とふと思う。)

 この音楽は50年代後半のものだけれど、こうして聴いてみると、なかなかいい。いや、正直いって、すごくいい。記憶との結びつきも、ここまでくると悪くないか、ということを発見する。残暑の厳しいこの夏の終わりは、このマイルス・デイヴィスでしのごうかな。

 テイクは1957年、わたしが7歳の年である。初めて自転車を買ってもらって、新開地特有の、碁盤の目のように切られた田舎道を走りまわっていたころだ。これで狭い場所に閉じ込められずに、ひとりでどこへでも行ける、と思ったのもあのころだったろうか。
 しかし、十年ほど経って、いざ東京に出てみると、それほど遠くへは行けないのだな、と気づいたのが、マイルスの音楽を街のあちこちで耳にしていたころだったのかもしれない。

2012/09/13

マイルス・デイヴィスとジャンヌ・モロー

わたしが8歳のときのフランス映画で流れたメロディー、だそうだ。



8歳のとき、つまり小学3年生のとき、ようやく村から町になった北海道の田舎で、こんな音楽がこの世にあることさえ想像できなかったはず。
 10年後、東京に出てきてから通ったジャズ喫茶で、たしかにときどき耳にした音楽である。である。であった。そうだったかな?
 
 あのころジャンヌ・モローといえば「Jules et Jim」(日本では「突然炎のごとく」という、どこから考え出したか! と驚くタイトルだったナ)と「マドモワゼル」だったからなあ。
 いまさらながら、「死刑台のエレベーター」という固有名詞は、わたしにとってはどこまでも音楽であり、映画ではなかったことを認識した。妙な気分だ。
 それにしても、美しい! ジャンヌ・モロー。

2012/09/10

J・M・クッツェーの伝記 ── A Life in Writing


 9月10日になった。そろそろJ・C・カンネメイヤーが書いた J・M・クッツェーの伝記が発売になるころだが、まだ音沙汰はない。

 ネット情報では、表紙も出てくるし、発売日も明記されているけれど、変更になる可能性もあるだろうな。なにしろ、作者自身は大部な原稿を書きあげて出版社に手渡した昨年の暮れに急逝したというのだから、編集作業の難しさは容易に想像がつく。

カンネメイヤーのファスートネームはこれまたジョン、クッツェーと同名で、生まれは1939年で一年ちがい、というめぐり合わせだ。でも、カンネメイヤーの第一言語はアフリカーンス語で、この伝記もアフリカーンス語で書かれている。9月に出ることになっているのはその英訳版である。翻訳は南アフリカの作家 Michiel Heyns。

 アフリカーンス語バージョンも当然出ることだろう。オランダ語バージョンというのも Amazon を探すとすでにヒットする。オーストラリアは10月にペンギンから出るようで、そのサイトにはこうある。


JM Coetzee: a life in writing is a major work that corrects many of the misconceptions about Coetzee, and that illuminates the genesis and implications of his novels. This magisterial biography will be an indispensable source for everybody concerned with Coetzee's life and work.


ヨーク大学のウィカムをめぐるシンポジウムも数日中にはじまる。10月にはニューヨーク州オールバニでポール・オースターとの対話も予定されている。クッツェーさん、相変わらず忙しそう。

2012/09/06

ジュノ・ディアス短編集──This is how you lose her

さあ、本がとどいた。表紙がすっごくすてき。Faber & Faber のだけれど。
This is how you lose her ── さあ、どう訳すのかな。楽しみだな。

 エピグラフがサンドラ・シスネロスの詩の一部からとられている。One Last Poem for Richard/リチャードのための最後の詩。シスネロスが若いころ出した詩集に入っている。

Okay, we didn't work, and all
memories to tell you the truth aren't good.
But sometimes there were good times.
Love was good.  I loved your crooked sleep
beside me and never dreamed afraid. 

 今年は思わぬ「贈り物」で、たっぷりと本が読める。寝っころがって読書三昧なんて、ずいぶん久しぶり。夏休みがまだ本物の夏休みだったころ以来だな。つまり、母親業に突入する前のことか・・・。

 まだまだ暑さはつづくから、その分、まだまだ夏休みもつづくといいな。ほとんどどこへも行けない者の特権! 

2012/09/01

水牛に詩を ── 書きました

9月1日、「水牛のように

詩を書きました。殻の詩です。

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付記:2012.9.2──それにしても、ウェブマガジン「水牛のように」に毎月すてきな絵を描いている、璃葉さん。今月の絵はまたすばらしい色づかいです。勝手ながら、このブログに転載させていただこう。もちろん「水牛」には璃葉さんの詩といっしょに載っているので、そちらもぜひ!
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