エデンのどこかで、この時代のあとになお、
まだ立っているだろうか、廃墟の都市のように、
打ち捨てられ、不気味な釘で封印された、
幸運に見放された園が?
そこでは、うだる暑さの昼のあとに
うだる暑さの夕暮れと、うだる暑さの夜がきて、
黄ばんだ紫色の木々の枝から
朽ちかけた果実が垂れているだろうか?
その地下世界には、いまもなお、
岩々のあいまに広がるレースのように
縞瑪瑙や黄金の
未発掘の鉱脈が伸びているだろうか?
青々としげる葉群れのなかを
遠く水音をこだまさせて
この世に生きる者は飲まない、川面なめらかな、
四本の小川がまだ流れているだろうか?
エデンのどこかで、この時代のあとになお、
まだ立っているだろうか、廃墟のなかの都市のように、
見捨てられて、ゆっくりと朽ちる運命を背負った、
誤りであると知れた園が?
イナ・ルソー
**************
この詩のオリジナルはアフリカーンス語。1954年に発表されたイナ・ルソー(1923〜2005)の第一詩集『見捨てられた園/Die verlate tuin』におさめられています。今回は、J.M.クッツェーの英訳からの重訳です。
**************
2008年6月にこのブログで試訳した詩です。いまふたたびアップします。半世紀も前に南アフリカで書かれた詩。世界はまだ希望に満ちていたかに思えた時代に、南アフリカで進んでいた事態はいま世界中に確実に広がっている。この陰画のような風景が、脈略は少し違うけれど、この暑さにぴったりに思える。クッツェーの詳しい訳者ノートはこちらへ。
まだ立っているだろうか、廃墟の都市のように、
打ち捨てられ、不気味な釘で封印された、
幸運に見放された園が?
そこでは、うだる暑さの昼のあとに
うだる暑さの夕暮れと、うだる暑さの夜がきて、
黄ばんだ紫色の木々の枝から
朽ちかけた果実が垂れているだろうか?
その地下世界には、いまもなお、
岩々のあいまに広がるレースのように
縞瑪瑙や黄金の
未発掘の鉱脈が伸びているだろうか?
青々としげる葉群れのなかを
遠く水音をこだまさせて
この世に生きる者は飲まない、川面なめらかな、
四本の小川がまだ流れているだろうか?
エデンのどこかで、この時代のあとになお、
まだ立っているだろうか、廃墟のなかの都市のように、
見捨てられて、ゆっくりと朽ちる運命を背負った、
誤りであると知れた園が?
イナ・ルソー
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この詩のオリジナルはアフリカーンス語。1954年に発表されたイナ・ルソー(1923〜2005)の第一詩集『見捨てられた園/Die verlate tuin』におさめられています。今回は、J.M.クッツェーの英訳からの重訳です。
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2008年6月にこのブログで試訳した詩です。いまふたたびアップします。半世紀も前に南アフリカで書かれた詩。世界はまだ希望に満ちていたかに思えた時代に、南アフリカで進んでいた事態はいま世界中に確実に広がっている。この陰画のような風景が、脈略は少し違うけれど、この暑さにぴったりに思える。クッツェーの詳しい訳者ノートはこちらへ。
(2012.9.21 付記)
上は1965年ころのカンパニー・ガーデンの写真(テーブルマウンテンに、雲のテーブルクロスがかかっている)。
下は2011年、ケープタウン旅行で筆者が撮影したカンパニー・ガーデン。