2011/01/11

一年と一日のあとハイチでは──エドウィージ・ダンティカ

2010年1月12日、大地震がハイチを襲ってから明日でちょうど一年になる。
 世界中のニュースカメラがいっときカリブ海のエスパニョーラ島に集まり、世界中の人々の目が、その西側のちいさな国に集まった。あれから一年、復興は遅々として進まないという情報が入ってきたり、大統領選に有名ミュージシャンが立候補したというニュースが流れたり。

 ハイチ出身の在米作家、エドウィージ・ダンティカが「ニューヨーカー」に寄せた記事を紹介する。ハイチでは一年と一日、死んだ人の魂が水のなかに留まっているという。頭部分を少しだけ訳出する。興味のある方はぜひニューヨーカーのサイトへ行って、読んでみてほしい。なめらかな口調ながら深く心に響く文章が読める。また、YOUTUBE には地震直後にマイアミ・ヘラルドのTVに出て語るダンティカの映像もある。
 日本ではおりしも、ダンティカの長編小説『The Farming of Bones, 1998』の翻訳『骨狩りのとき』(佐川愛子訳、作品社刊)が出たばかり。2009年には「天才奨励金」と呼ばれるマッカーサー・フェローシップを受け、いまでは押しも押されぬ作家となったエドウィージ・ダンティカ、二児の母でもあるというところがまことに頼もしい。

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一年と一日           エドウィージ・ダンティカ
「ニューヨーカー」2011年1月17日号

 ハイチのヴードゥーの伝統には、死んだばかりの人の魂が川や小川にすべりこんで、水の下で一年と一日、留まっていると信じられている。その後、魂は祈りや歌といった儀式によって誘い出されて水の外へ出てきて、スピリットが生まれ変わるのだ。こうして甦ったスピリットが樹木に住みつき、耳を澄ますと、風のなかにその密やかなささやきが聞こえる。スピリットはまた、山岳地帯に浮かんでいたり、ちいさな洞穴や、横穴のあたりでうろついていることもあって、その名前を呼ぶと聞き慣れた声でこだまとなって返ってくる。一年と一日の記念祭は、それを信じてまつる家族の家では、必ず行わなければならない栄誉あるお勤めだ。ある意味それは私たちハイチ人を、どこに住んでいようとも、何世代もの自分の祖先につなぐ超自然的な連続性といったものを確かなものにするからだ。

 ハイチに数多くあるもののひとつ、この死という中断によって、二十万人の魂が昨年の一月十二日の地震のためにアンバ・ドロ(水の下)へ行ってしまった。しかし彼らの肉体は他所にあった。多くは家、学校、仕事場、教会、ビューティーパーラーの瓦礫の下に埋もれていた。多くはブルドーザーのパワーショベルによって共同墓地に放り込まれたまま。がらくたを集めて燃やす焚き火のように燃やされたものも多い。生者に感染症がうつるのを恐れて・・・。
「ハイチでは、人は決して死なないんだよ」子どものころ祖母たちが言っていたことばだ。わたしは変だなと思った。ハイチではいつでも人が死んでいたから。・・・

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 ハイチの地震からの復興を支援したい、という方がいらっしゃったら、大きな組織よりも、現地に直接かかわりながら活動している、ちいさな組織を支援することをおすすめします。
ハイチ友の会」「ハイチの会セスラ