E. Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2010/10/10

『半分のぼった黄色い太陽』が21の言語に翻訳された

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのヒット作『Half of a Yellow Sun』は2006年に発表されてから、すでに多くの翻訳が出ている。(詳しくはリエージュ大学のダリア・トゥンカ氏のサイトを参照。)このたび日本語版が加わって21の言語ということになった。

「21カ国語」と書きたいところだけれど、一言語一国家ではないので「◯◯カ国語」とは書かない。 
 日本では「母国語」という表現が長いあいだ、なんの疑問もなく使われてきた。一国家一民族というフィクションが当然のように語られてきた時期とそれは重なる。それが「意図的な幻想」以外のなにものでもないことは、いまさらアイヌの人たち、沖縄の人たち、朝鮮半島出身の在日の人たちのことを持ち出すまでもなく、自明の事実だ。
 ところが、ある年齢以上の人たちにとって、これがかならずしも「自明」ではないところが厄介だ。もっと厄介なのは、現代日本語のなかに「何カ国語」という表現がしっかり根をおろしていることである。だからつい人口に膾炙したその表現に頼りそうになる。おっと、いけない、違う、違う、と意識しなければ、耳障りのよい表現をそのまま使ってしまいそうになる。実際、この表現はまだまだ目にする。とりわけジャーナリズムの世界では厚い壁のように立ちはだかるのを感じる。

 アフリカ大陸出身のたいていの作家にとって「母国語」という表現はあてはまらない。たとえばアディーチェの場合は250以上の民族が住む国ナイジェリア出身で、民族はイボである。「マザー・タング/母語はイボ語ですか?」と質問されると、彼女は「家族や親しい人たちとはイボ語で話すけれど、教育はすべて英語で受けたので、英語で考え、英語で書きます」と答える。

 大学町で育ち、幼いときから英語の本に馴染んで育った彼女は二言語(家の外ではヨルバ語やハウサ語を含む多言語)空間に生きてきた人だ。それでも本音の感情を伝え合うときはイボ語になる。実際、今回の来日時もそんなやりとりを何度か耳にした。この辺はとても微妙。

 以前、南アフリカ出身の人たちと接したときも、それと似たような体験をした。南アでは小学校の低学年までそれぞれの民族言語で学び、途中から英語になる。アディーチェよりは自民族言語で「書く」習慣が多少はあると考えていいのだろう。ズールー語やコーサ語での出版もある。
 アディーチェは、イボ語で書くことは考えられないと語った。『半分のぼった黄色い太陽』では、執拗に「英語で」とか「ピジン英語で」とか「イボ語で」とト書きが入っていて、言語への強いこだわりが書き込まれている。それが語り手の置かれた位置を明らかにもする。
 大学講師のオデニボが「アフリカで白人のミッションが成功した理由は?」と英国人リチャードに唐突な質問をし、「英語で僕は考えている」と述べる場面があった。英帝国による「精神の植民地化」手段としての徹底した英語教育の結果を、憤怒をもって大学人が語る場面だ。

 アディーチェが多くの対談やインタビューを精力的にこなす場面に同席しながら、作中のその場面を何度か思い出した。そして「旧植民地出身の作家にとっての言語」問題の複雑さについて考えていた。

*カヴァー写真は上から、オランダ語版、ヴェトナム語版、イタリア語版、ボスニア語版。
 ちなみに21言語とは、オランダ語、ドイツ語、スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語、スペイン語、セルビア語、ボスニア語、ギリシア語、スロヴェニア語、イタリア語、フランス語、ポルトガル(ブラジル)語、チェコ語、ヘブライ語、ポルトガル(本国)語、フィンランド語、ヴェトナム語、ポーランド語、シンハラ語、日本語。