いつ来るか分からない爆撃で、次は誰が? ガザ住民は不眠と恐怖におびえる
ハアレツ紙/アミラ・ハス
2009.12.30
アブ・サラーの家族はガザのナッセル地区に住んでいる。そこはシャティ難民キャンプの近くで、キャンプ内に住むハマスの首相、イスマイル・ハニイェフの家を狙う爆撃音がはっきりと聞こえる。ハニイェフのオフィスを攻撃する音も、国連の建物を爆撃する音も聞こえる。
「息子のサラーは家を出ていきたがっているが、私はそうさせなかった」と父親のアブ・サラーは言った。「家の外でなにが起きるかわからないし、家の中だってなにが起きるかわからない」
彼は自分の言っていることを理解していた。月曜日の朝のことを言っているのだ。「これまでに経験したいちばんひどい夜、土曜日よりもひどかった。夜中の12時から7時まで眠れなかった、ひっきりなしの爆撃、爆発、救急車」そして明けた朝。
夜の1時、細長いガザ地区の端、ラファのイブナ難民キャンプがミサイル爆撃を受け、イズ・アル-ディン・アル-カッサム隊の指揮官、リアド・アル-アッタルの家に命中した。アッタルはすでに建物から家族とともに出たあとだった。
それから間もなくもう一発、このミサイルは、人間がひしめく建物に命中した。アッタルの家から300メートル離れた建物だ。家といっても、コンクリートとアスベストの小さなもので、アッバシ家の持ち家である。父親のズィアドは建築請負人で、爆撃で殺された3人の子どもたちは、いまも瓦礫のなかに埋まったままだ。3歳のサドキ、12歳のアフメド、14歳のムハンマド。両親とほかの3人の子どもたちは怪我をしている。
月曜の午後5時、ベイト・ラヒアで一軒の家が爆撃された。先のレポートは7家族が殺されたと伝える。
「親はみんな家のなかが安全だなんて思っていないし、通りも安全だとは思っていない」とウム・バセルは言う。
だれもが、破壊された瓦礫のなかから、幼い子どもが救助されるテレビの映像に見入る。
「発電機を点けたほんの一瞬、目を離すと、子どもたちが、バルシャ家の女の子たちを観るためテレビに駆け寄るの」と彼女は言った。彼女が言っているのは、5人の娘たちをなくし、4人の兄弟と両親が重傷を負ったジャバリヤの一家のことだ。
「ヤファはそのうちの一人が『母さんはどこ?』と小さな声で言ったのに気づいたのよ」と言うウム・バセルは、その夜、家族のなかで眠れた者はだれもいなかったと言い足した。「爆撃のせいで何度も飛び起きた」とも。
家の窓はすべて開けっ放しだ。爆撃によって窓ガラスが割れて、なかにいる人間が怪我をしないように──家の窓ガラスが残っている場合の話だが。
ガザ地区で窓ガラスを入手するのは不可能だ。住民はガラスの代わりにビニールシートを貼っている。そのシートも、窓ガラス同様、イスラエルが過去2年間この地区に運び込ませない製品のひとつで、かろうじて地下トンネルを経て運び込まれている。
現在、そのトンネルも封鎖され、ビニールシートが不足するのは時間の問題だ。なかでもとりわけ、ガザ住民がいま曝されているのは、自分の家のなかにいながら厳寒に対処しなければならないことだ。ほとんど常時停電していて、重油もガスも不足している。
月曜日とその前日、エジプト国境の近くに住むラファの住民は、家を出ていくように言われた。
土曜日の夜、エジプト政府はパレスチナ国家警察のメンバーに、これから砲撃が開始されるため、国境から300メートル離れろ、というイスラエルからのメッセージを伝えた。何百人という人たちが、持ち物をまとめ、ラファ市の中心部にある親戚の家に身を寄せた。彼らの人生における何百回目かの引っ越しのために。
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