『鉄の時代』には、浮浪者ファーカイルが連れてきた犬が出てくる。良家の家から盗まれた犬ではないか、と主人公エリザベスが疑う犬、ドライブにもいっしょに出かける、よく訓練された犬だ。
『少年時代』にも犬は出てくる。母親がむかし飼っていたキムというジャーマンシェパードや、家族で飼うドーベルマンの血が入った雑種犬だ。少年は犬にコサックと名づけるが、だれかに砕いたガラスを飲まされて死んでしまう。クッツェーにとって犬は身近な動物だったのだろう。
しかし『恥辱』に出てくる犬たちは、娘ルーシーの飼うケイティというブルドッグの老雌犬をのぞいて名前をもたず、それまでの作品とは趣を異にして、犬という動物として重要な役割を振られている。英国版ハードカバーの表紙には、病み衰えた一匹の犬の後ろ姿がじつに効果的に使われていた。第22章の最後など、「犬のように?」「ええ、犬のように」という父娘の会話で終わりさえする。
1999年に発表されたこの作品で、なぜ、惨殺される犬や、処理される対象としての犬が前面に出てきたのだろう。そこで思い出すのは、当時、南アで起きたある事件のことだ。
アパルトヘイト体制が撤廃された1994年前後のことだったと思う。地元の新聞に、警察犬が集団で「処分」されたという記事が載った。体制を維持するための有用動物として利用されてきた犬が、もう利用価値がないとして大量に殺されたのだ。
嗅覚の鋭いジャーマンシェバードは警察が麻薬密売の摘発などのために、空港などでよく使う犬だ。南ア警察の場合、反体制活動のかどで逮捕する「黒人」を、犬を使って捜し当ててきた歴史がある。黒人を見ると、あるいはその臭いを嗅ぎつけると、襲いかかるよう訓練された犬。また、白人の大邸宅は、外壁上部に有刺鉄線を張ったり、ガラス片を埋め込んだりして、外部から侵入できないようになっていたが、これに加えて、どの家にもドーベルマンなど大型犬が数匹飼われ、夜間は庭に放し飼いされていた。(犯罪が減らないいまも強盗よけに飼われているのだろうか。)
ひとたび訓練された犬の再訓練は不可能とみた行政は、「黒人」を襲うよう仕込まれた犬を大量に処分した。この「処置」に対して、74年にベジタリアンになったクッツェーが烈しい憤りを感じたであろうことは容易に想像できる。
アパルトヘイト撤廃から5年後に発表された『恥辱』は、価値観が大きく変わる社会、それまで見えなかった暴力が強盗、レイプ、殺人といった一般犯罪として噴き出てきた社会を背景にした作品だ。「暴力」というキーワードで見るなら、女性に対する暴力(セクハラ、レイプ、レイプ殺人)と、動物に対する暴力、ということになるだろうか。
クッツェーがこの作品を書いた時期に、おびただしい件数の暴力犯罪とともに、「警察犬の大量処分」があったことは記憶しておいていいかもしれない。